気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

対話を求める姿勢とは。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、私は創価学会非活メンバーから、退会を選んだ身で、そんなわけでこんなブログを延々と書いております。
そして創価学会大石寺批判系の他のブログも多く目を通すことが多いです。



確かに創価学会大石寺の元信徒が「教団からの被害者」として教団を批判するのは、わからなくはありません。
ただ最近感じることは、一部の方々が被害者意識を否定することができず、被害を被った自身の感覚を絶対視してしまう傾向が一部あるのではないかということです。



例えば創価学会を批判して日蓮正宗に行った法華講活動家さんのブログですと、被害を被った自身が、自身と日蓮正宗とを絶対視し、創価学会を徹底的に非難するという傾向が見られます。
それとは違って、創価学会を抜けながら日蓮正宗にも入らないで教団を批判する人たちは、今度は被害者としての自分たちの感覚を絶対視してしまったりするのです。



これは実は私自身がかつて同穴の狢になっていたこともあり、自戒しているところであります。私自身が自分の感覚を根拠もなく被害者面をして絶対視してしまえば、それは態度としては教団を正当化する教団幹部となんら変わることがなくなるのです。



J・トールキンの『指輪物語』では、「一つの指輪」の正体を知った主人公フロドが、魔法使いガンダルフに指輪を譲ろうとするシーンがあります。しかし魔法使いはそれを拒みます。力を持って力に対抗しても、それは古い冥王を力で倒した後に新しい冥王を生み出すだけで、本質的な解決にならないことをフロドに諭します。「イスタリ」と呼ばれたガンダルフら魔法使いは、冥王サウロンに対抗する者たちを糾合するために遣わされた者たちなのですが、彼らは力をもって冥王に対抗することを禁じられていたのです。



悪に魅入られたまま悪に報いても何にもならない。私はそういう人間になりたくないと最近は気をつけるようにしています。
それでも、かつて私はTwitter等で論争に巻き込まれることも少なくなかったわけで、元広宣部のメンバーとして抵抗をしてしまったことを今も恥じています。だからこそ一度ブログを閉じようと考えたのですから。



ただブログを続けていく中で、読者が少しずつ広がり、共感して頂ける人が増えているのは本当にありがたいことです。そんな方々のお陰で、私はブログを書くことができているわけで、またそれが今は亡き父と母への罪滅ぼしになればと考えています。



「仇をもって仇に報いても何にもならない」と私は思います。だからこそ私はなるべく客観的に史料を提示して、あとは読者の判断に委ねるように気をつけているつもりです。
と同時に、被害者意識を剥き出しにし、教団を非難するだけの議論に堕してしまえば、それは第二・第三の創価学会大石寺系教団を生み出していくだけのことだと思います。
事実、私たちはそのような歴史を見てきたのではないでしょうか。


戸田城聖会長の時代から、小笠原慈聞への批判と糾弾、創価学会の発言力の増大を生みました。
その後、池田大作会長になってからも、福島源次郎らの離脱や、第1次・第2次宗創紛争を経て創価学会大石寺の決裂を生じました。
正信覚醒運動から生まれた「正信会」は、今や「日蓮正宗正信会」「冨士大石寺正信会」「宗教法人正信会」その他諸々に分裂しています。
妙心講は「顕正会」に名を変え、一部の正信会僧侶と連合もしています。
セルビアSGIは会憲制定の頃から信濃町執行部に異論を唱え、御本尊下付停止。その後、保田妙本寺と接近する時期もあったと聞きます。
元広宣部の波田地克利らのグループは、自活グループを立ち上げ、元創価学会職員の3人組も公明党の政策に異論を唱え、会内派閥を作りました。
ヨーロッパの多くのSGIも(ここではあえてセルビア以外の国名を挙げませんが)、御本尊下付停止になったり、大石寺に行ったり、合従連衡の繰り返しではないのでしょうか。



ネットが発達し、誰もが容易にブログを書けるようになった今日、誰もが容易に教団を批判することが可能になりました。しかしそれらの歴史は今まで多くの人たちが既に繰り返してきたことなのです。



今また同じ轍を繰り返し、自分たちの感覚を絶対視して他者に歩み寄ることのできない集団をネット上に形成したところで、それは新しい大石寺系教派・分派を新たに一つ生み出すことと何ら変わらないのです。
それは真に「対話を求める」姿勢ではないということを、私たちは(私も含めて)もっと自戒すべきなのではないのでしょうか。



対話を求める姿勢とは、自分たちとは異なる異論を受け入れ、時には自身の誤りも率直に認めて、発展的に変わり得る思想の可塑性を持つことなのだと私は考えています。