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陀羅尼品における提婆達多の扱い。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて今回は、法華経における提婆達多の扱いと提婆達多品第12に関してです。
以前、提婆達多品について記事にしたことがあるのですが、提婆達多品は後世になってから見宝塔品第11の次に挿入された可能性があると私は考えています。



提婆達多について」



岩波文庫版の法華経の訳者、元創価大学教授でもある岩本裕氏の見解を下に載せてみましょう。



「本章は『妙法華』の『見宝塔品』第十一と『提婆達多品』第十二に該当する。『正法華』では『七宝塔品』第十一であるが、版本によっては『提婆達多品』に該当する部分は『梵志品』と称することが知られている。(中略)
そして、後半において、ブッダの教団の反逆者として著名だったブッダの従弟デーヴァダッタ(提婆達多)を拉してきて、その成仏を説き、さらに竜王サーガラの娘の成仏を述べて、『法華経』の功徳を宣揚した。デーヴァダッタの反逆は少なくともブッダの晩年における悲惨な出来事であり、教団の動揺も激しかったと思われる。それだけに説話化され、その反逆が強調されたが、『法華経』は彼をブッダの友人とし、その特殊な立場を示しているが、その詳細はわからない。」
(『法華経』(中)岩波文庫版、374〜375ページ)



「デーヴァダッターーDevadatta. パーリ語文献ではブッダの太子時代の妃の弟とされ、漢訳仏典ではブッダの従弟で、阿難(アーナンダ)尊者の兄であるとされ、所伝が一致しないが、ブッダの近親者として教団内で重きをなしていたと思われる。ブッダの晩年に五カ条の教団改革案(所伝により内容が出入りあり)をかかげてブッダに反逆したことから、教団を分裂させた極悪な人間として、さまざまなエピソードが生まれた。しかし、その教団改革案は今日に伝えられているかぎりでは、むしろ教団に属する人々の生活を厳格に規制しようとした粛正案であり、デーヴァダッタの改革案は教団を本来の姿に立ちかえらせようとしたものであることが知られる。従って、デーヴァダッタの思想を継承する一派は細々ながらもかなり後代まで存続したのであって、五世紀の法顕も七世紀における玄奘も、インド旅行記の中に、東インドにデーヴァダッタの教団の存在したことを記し、特殊な礼拝形式を保ち特殊な戒律を遵奉していたことを伝える。本経におけるブッダとデーヴァダッタとの関係は他の経典と全く異なり、極めて親密であるが、このことは『法華経』の成立がデーヴァダッタの教団と親密な間柄の教団(または教派)においてであり、その結果、このような背景の下に成立した本章が、後に『法華経』に組み入れられたと考えられる。」
(同378ページ)



実際、サンスクリット原典でも提婆達多品は、見宝塔品の中に組み入れられていますし、竺法護訳の『正法華』でもそのようになっていて、提婆達多品は独立した章節とはされていません。
ところで今回、加えて指摘したいのが陀羅尼品第26における、提婆達多の扱いについてです。
陀羅尼品の提婆達多についての記述を少し書いてみましょう。



「若不順我呪。悩乱説法者。頭破作七分。如阿梨樹枝。如殺父母罪。亦如圧油殃。斗秤欺誑人。調達破僧罪。犯此法師者。常獲如是殃。」
(『法華経』(下)、岩波文庫版、284ページ)



簡単に訳してみましょう。



「もし我が呪文に従わず、説法者を悩乱するなら、アルジャカの枝のようにその頭が7つに裂けるであろう。父母を殺した罪のように、胡麻を潰して腐らせ、胡麻油の秤を誤魔化す者たちの罪のように、また提婆達多の破和合僧の罪のように、説法者を襲う者はこのような罪を受けるだろう。」



ここで「調達」とされているのは、「提婆達多」の別名です。
サンスクリット原典にこの語、すなわち提婆達多の名は陀羅尼品では出てこないのですが、鳩摩羅什の漢訳ではわざわざ釈迦の陀羅尼を否定するものの罪の喩えとして、提婆達多の反逆罪が取り上げられています。



この陀羅尼品第26における提婆達多の扱いは、提婆達多品第12の扱いとまるで違うことが明らかです。しかも提婆達多の呼び名までここでは「調達」と変えています。
確かに陀羅尼品の引用部分は偈の部分ですから、音節の数を合わせるために「調達」と書いたことは想像できますが、それにしてもサンスクリット原典には書いていない提婆達多の反逆罪をわざわざ喩えとして書き出すこと自体、提婆達多品の内容と比べても不自然なことです。



ここから考えて、やはり提婆達多品は法華経の内容に後から挿入された部分なのであり、少なくともデーヴァダッタ教団に近い教派と、それを否定的に見る教団との何らかの和解の後に今のような形になったことが想像できる気がしています。




追記
なお、この陀羅尼品も鳩摩羅什漢訳では第26番目の章節とされていますが、サンスクリット原典では第21番目です。つまり如来神力品の次に本来は陀羅尼品が置かれ、その次に宿王華付嘱の薬王品が説かれます。鳩摩羅什漢訳の妙法華では薬王品の前の陀羅尼品がわざわざ後ろに回され、薬王品の前に最終章である嘱累品(委任の章)が挿入されることで、薬王品の宿王華付嘱も陀羅尼品も全て付録扱いになってしまいます。
思うに、この順番の改変はどこか意図的なものがあり、それにより宿王華付嘱を覆い隠し、法華経の本来の構成・内容を歪曲するような姿勢を感じます。