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「純粋な日蓮の思想について」
「純粋な日蓮の思想を考えると」
例えば法華仏教研究会の主宰である文学博士の花野充道氏は次のように述べています。
「日蓮の独自性は、大地震に遭遇した衆生の苦しみを個人の力の及ぶ範囲で救っていこうというのではなく国家の力で、政治の力で救っていこうと考え、権力者に向かって諫言を実行したことである。そのような果敢な行動は、他の鎌倉仏教の祖師には見られない。」
「仏教が世俗(国家権力)とどのように関わり合っていくか、これは非常に難しい問題である。日蓮の仏教の特質が、親鸞の仏教や道元の仏教と比べて、国家的であり、政治的であり、また闘争的であることは否めない事実である。このような日蓮仏教の特異性をプラス評価するか、マイナス評価するかは、意見の分かれるところであろう。」
(同245ページ)
花野氏は親鸞と日蓮とを対比し、親鸞が個人の救済の問題に入っていくのに対し、日蓮が個人の救済のためには国家が正しい教えを持たなければならないとし、国家が正しければ衆生も救われ、立正安国の世が現出されるという、極めて国家主義的・政治的な日蓮の特異性をきちんと認めています。
そもそも日蓮には民衆仏教という側面は存在しません。日蓮が考えるのは常に国家の問題なのであって、日蓮は民衆など相手にはしていません。それは『立正安国論』の提出先が鎌倉幕府であったという点からも明確にわかることです。
しかしながら顕正会という宗教法人が「日蓮に帰依しなければ日本は滅ぶ」等、終末論的な主張を繰り返し、他宗派を否定して国立戒壇説を述べることは、果たして現代において有効であるのかという点については、大いに疑問符がつきます。
現在の私はどちらかと言えば、個人の救済の問題に入っていく親鸞に自身の救いを見出しています。