気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

国家主義的・政治的な日蓮の特異性。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、私はこのブログで純粋な日蓮本人の思想を求めて、教学的な検討をしていく中で、日蓮の思想がどちらかと言うと個人の救済の問題より、国家の奉ずる宗教の方を重視する立場にあることが段々わかってきました。



「純粋な日蓮の思想について」

「純粋な日蓮の思想を考えると」



私の立場は、そのような日蓮の思想的な立場を知り、どちらかと言えば国家主義的な日蓮の考え方から離れる方を選びました。



例えば法華仏教研究会の主宰である文学博士の花野充道氏は次のように述べています。



日蓮の独自性は、大地震に遭遇した衆生の苦しみを個人の力の及ぶ範囲で救っていこうというのではなく国家の力で、政治の力で救っていこうと考え、権力者に向かって諫言を実行したことである。そのような果敢な行動は、他の鎌倉仏教の祖師には見られない。」
(花野充道「立正安国の実現と本門戒壇論」、西山茂編『本門戒壇論の展開』所収、249〜250ページ、本化ネットワークセンター、2015年)



花野氏は本化ネットワーク(現・法華コモンズの前身)のパネルディスカッションを経て、書いた論文中、日蓮の『立正安国論』を読み解きつつ、日蓮の仏教の特質を次のように述べています。



「仏教が世俗(国家権力)とどのように関わり合っていくか、これは非常に難しい問題である。日蓮の仏教の特質が、親鸞の仏教や道元の仏教と比べて、国家的であり、政治的であり、また闘争的であることは否めない事実である。このような日蓮仏教の特異性をプラス評価するか、マイナス評価するかは、意見の分かれるところであろう。」
(同245ページ)



花野氏は親鸞日蓮とを対比し、親鸞が個人の救済の問題に入っていくのに対し、日蓮が個人の救済のためには国家が正しい教えを持たなければならないとし、国家が正しければ衆生も救われ、立正安国の世が現出されるという、極めて国家主義的・政治的な日蓮の特異性をきちんと認めています。



そもそも日蓮には民衆仏教という側面は存在しません。日蓮が考えるのは常に国家の問題なのであって、日蓮は民衆など相手にはしていません。それは『立正安国論』の提出先が鎌倉幕府であったという点からも明確にわかることです。



花野氏はそのような日蓮国家主義的な思想の特異性をきちんと事実の上で認め、その日蓮の思想性を現代においてどうしたら良いかという点を積極的に問題提起しています。
創価学会がやっていることは、単なる日蓮思想の歪曲であり、事実から見て国家主義的なベクトルを持つ日蓮思想を意図的に無視し、何の文献的な検証もせずに「民衆仏教である」と誤読することに過ぎないのです。



したがって日蓮の本来の思想性を考えると、極めて国家主義的なものになり、表面的には顕正会の教義とさして変わらなくなるという現実があります。
しかしながら顕正会という宗教法人が「日蓮に帰依しなければ日本は滅ぶ」等、終末論的な主張を繰り返し、他宗派を否定して国立戒壇説を述べることは、果たして現代において有効であるのかという点については、大いに疑問符がつきます。



現在の私はどちらかと言えば、個人の救済の問題に入っていく親鸞に自身の救いを見出しています。
しかしながら、日蓮の門流を自称して布教活動を展開しようとするならば、その人たちは日蓮国家主義的・政治的な思想性を認めつつも、どのようにプラス評価をするのか、そのことが問われてくるのかと思います。