気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

日目『日興上人御遺跡事』を見ても。




いつもみなさん、ありがとうございます。



ところで、大石寺第3祖の日目の『日興上人御遺跡事』の全文を今回は紹介してみましょう。



日蓮聖人御影竝御下文 (園城寺申状)
上野六人老僧之方巡可奉守護但本門寺建立之時者可奉納本堂。此條依日興上人仰奉支配事此背此旨成異議失タラン輩者永可為大謗法仍誡之状如件。
正慶二年癸酉二月十三日
日善花押
日仙花押
日目花押」
(『日蓮正宗歴代法主全書』第1巻213ページ、日蓮正宗、昭和47年)


『日興上人御遺跡事』にはきちんと「本門寺」と書かれていまして、日興の本門寺の構想がきちんと日目に引き継がれていることが確認できるかと思います。ちなみに『日蓮正宗歴代法主全書』第1巻によれば、『日興上人御遺跡事』は、日目真蹟正本が大石寺に現存するとしています。
ところが本門寺に納めるべきものに御影と御下文が書かれてあるのですが、戒壇本尊についての言及は全くありません。
日目上奏の『申状』にも「法華本門本尊與戒壇妙法蓮華経五字也」とあるだけで、弘安2年戒壇本尊への具体的な言及は存在しません。


このように日目も言及していません。
ブログで何度も指摘させて頂いたように、大石寺第4世日道の『三師御伝土代』にも戒壇本尊への言及はありません。


ですから、日興、日目、日道の頃はそもそも戒壇本尊は存在せず、現在の大石寺の教義も存在しなかったと考える方が推論としてより自然かと私は思います。