気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

ブログの紹介を。

最終更新:2018年7月14日


当ブログにお越しいただき、ありがとうございます。また毎回読みにきてくださる方も多く、本当に感謝しています。

当方、元バリバリの活動家だった非活の一創価学会員が、創価学会の現在や教義の問題等を勝手に気楽に語る、非常に趣味的なブログであります(笑)。
なお、このページは随時編集、リンクを追加していきます。


Twitterアカウント
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◯自己紹介、自身の立場の表明として

「自身の過去の告白と総括」
「現在、創価学会の活動に疑問を抱いている方へ」
「私のブログへの批判に対して」
◯教義の問題について

日蓮本仏説は後世の創作に過ぎない」
日蓮本仏論について」
釈尊を本仏とする文証」
日蓮本仏説の萌芽」
「弘安2年の戒壇本尊は日蓮の造立ではない」
「御座替本尊は戒壇本尊の書写ではない」
「日興の譲座本尊の相貌」
「興門流の各文書に見る戒壇本尊への疑義」
「『三師御伝土代』と戒壇本尊との矛盾」
「日興書写曼荼羅戒壇本尊との相違」
「和泉公日法のこと」
戒壇本尊の重さ」
「日興は身延から何も持ち出していない」
「六壺の日興本尊も贋作か」
「自山の正統性を証明できず」
「御本尊の写真撮影について」
「『余は二十七年なり』って」
「一生成仏について」
「他宗批判と諸教包摂ということ」
「無作三身のこと」
戒壇本尊と『御本尊七箇相承』との相違」
「『御本尊七箇相承』から考える」
「阿部日開氏の『二千二百二十余年』」
「万年救護本尊について」
「『百六箇抄』の問題点①経巻相承」
「『百六箇抄』の問題点②男尊女卑思想」
「『百六箇抄』の問題点③史実との不整合」
「諸天の勧請」
「日道『三師御伝土代』を読む」
「日興『三時弘経次第』を読む」
富士山本門寺の久成釈迦仏」
「仏像を安置することは本尊の図の如し」
南部実長の仏像造立に対する日興の書状」
転輪聖王のこと」
「龍樹の『空』と日蓮の『一念三千』」
日蓮真言批判の問題点」
 「法華真言の用例」
法華経一部読誦について」
「二処三会は存在しない」
「真蹟遺文に『血脈』の語はない」
「『しうし』か『したし』か」
http://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2017/01/07/001135
「宿命は日蓮の思想ではない」
「日華・日仙の御本尊書写のこと」



創価学会内の問題について

「池田青年の入信の事実」
「池田名誉会長のピアノ」
「正木さんの師弟観」
池田氏とノリエガ氏との交友」
池田氏チャウシェスク氏との交友」
創価学会内部の教義的な分裂について」
「仏法は師弟なのか」
「歴史的役割の終わり」
戸田城聖という人」
「広宣部と言論企画部」
「『実名告発・創価学会』を読む」
「元本部職員3名の精神性」
「元職員三人の今後の資金繰り」
「原田会長、財務と青年の育成について」
「財務の問題と昭和52年の問題」
「『人間革命』という用語」
「ここが変だよ。創価学会の選挙」
創価学会の選挙戦①公示前」
創価学会の選挙戦②KとFとZ」
「『アンチ創価学会』のこと」
「昭和54年の辞任問題」
「宗創問題について①平成2年7月〜12月」
「宗創問題について②平成2年7月以前のこと」
「宗創問題について③平成2年〜平成3年」
「『南元センター』について」


◯史実の検討について。

富木常忍と文書の管理体制」
日蓮の出自は『旃陀羅』か」
「『是生房』か『是性房』か『是聖房』か」
「大乗非仏説と大乗仏教運動について」
「諸々の事象は過ぎ去る」
最澄空海の関係について」
「五時八教について」
「法華三部の発想」
「日興は四老僧と敵対していない」
「日興遺誡置文のこと」
「登山会のこと」
大石寺7世・日阿のこと」
「9世日有から日乗、日底、日鎮への相承」
大石寺13世・日院のこと」
「日精は大石寺の17世か、18世か」
大石寺を隠居した18世の日精」
「三大秘法口決は八品派から大石寺流入した」
「敬台院と日精のこと」



長井秀和さんとの対話シリーズ

「その1」
「その2」




いずれ衰退する組織。




いつもみなさん、ありがとうございます。


さて私は自分の考える正しさを他者に強要するつもりは全くありません。
私がこのブログで書いているのは、単に根拠の提示です。その根拠が不自然であり、説得性に欠けるなら、それらは批判されるべきでしょう。


さらに付言すれば、自分が言いたいことを言い尽くしたら、書くのをやめても構わないと思っています。
どこまで書けるのか、問題意識をもって執筆してはいますけど、甚だ自身の能力には疑問です。


ただどういうわけだか、こんな注目されるはずもない個人のブログになぜかアクセスが集まっていまして、いろんな方がわざわざ言及して頂けるお陰でアクセス数が増え、注目が集まっています。事実、一月のアクセス数も14万を超え、たくさんの法華講さんや創価学会員さんの非活メンバーからメールを頂きます。
皆さんからは「信仰心が冷めました」「創価を退会しました」「大石寺には二度と行きません」等々、連絡を頂くことが多いです。ありがとうございます。



多くの方が法華講、また創価学会からの退会や脱講、また未活、非活を選ぶようになりました。
教団の自己都合で信仰を深めることは、もはや時代錯誤といってもよく、信仰は徐々に個人のものになりつつあると感じています。


いずれ大石寺にせよ、創価学会にせよ、また顕正会にせよ、教団信徒の高齢化により、緩やかに衰退して消滅すると私は考えています。実際、それらの衰退はすでに始まっています。



それらの衰退が隠しようもない事実として皆が知ることになれば、私のブログなどなくても信徒組織は実質的に壊滅するかと思います。
すでにその衰退は始まっています。



私がこのブログの執筆を未だに続けている理由は、私のブログを評価する方の存在と、メール等で頂くそれらのお声です。
みなさん、本当にありがとうございます!
私は皆さんの声が続く限り書き続けたいと願っています。





活動から身を引くこと。




いつもみなさん、ありがとうございます。


さて現在の創価学会の活動家さんに一番私が伝えたいことは「退会されるか、早めに非活、未活メンバーになってください」ということです。


そもそも創価学会の高齢化は日本の一般よりもはるかに早いスピードで進んでいます。
すでに創価班や牙城会の着任予定表が青年部だけで埋めることが出来ず、王城会等の壮年部、また婦人部までが駐車場役員に駆り出されている現状は異様です。早くその異常な事態に気づくべきかと思います。


すでに青年部だけで未来部担当者を決めることさえできなくなり、高齢化する壮年と婦人で未来部の育成や会合の運営をしています。
しかも方面地域によっては少年少女部、中等部、高等部をみんなまとめて会合を組まないと人が集まらない。本部単位でさえ未来部が集められない状態になっています。


一部の分県や圏では、女子部の分県幹部や圏女子部長さえ立てられない状態になっています。


ブロック幹部はすでに後期高齢者で出戻りの古参幹部を再登用しないと役職を埋められなくなっています。そのうち、地区幹部もなり手がいなくなります。すでにそういう組織が出てきています。


今後は必然的に活動家一人あたりの負担がじわりじわりと増えていきます。聖教新聞のノルマも容赦なく飛んでくるでしょう。


みなさん、早めに組織から離脱してください。
そのうちいろんなことをお願いされることになります。負担が増えます。それはもはや必然的なことです。
任用試験の受験者を毎年出すことなどもはや不可能になりつつあります。
来年は参議院選挙もあります。


大石寺は元々からそんなに信者数がいませんから、さほど気づかないかと思いますが、高齢化は進みます。創価学会と同じ道を辿り、緩やかに衰退するだけです。


組織の瓦解は緩やかに、しかし確実に起こります。もはや国内の会員数は増えません。すでにいないはずの会員の統監さえも信者数を増やすという水増し目的のために残して置いてあるのが現状です。そんな幽霊のような名簿だけの会員で数合わせをして、後期高齢者が右往左往するだけの組織にいずれなります。すでにそうなりつつあります。


自身の信仰を捨てられないなら、家で題目を唱えてても構いませんが、とりあえず組織の活動から一歩身を引いた方がよいと思います。




危うい累卵のドグマ。





いつもみなさん、ありがとうございます。


さて佐伯真光氏は以前、創価大学に宗教学部や宗教学の講座がない理由の一つとして、仏教学の基礎である批判的文献学を遂行すると、早晩、創価学会は信仰と学問の相克をもたらすことになることを指摘していました(『諸君』昭和46年10月号)。


つまり大石寺由来の教義が、非常に危うい累卵の上にあるものでして、それを調べあげられてしまうと、自己崩壊してしまうのかと思います。


大石寺の教義の根幹は戒壇本尊であり、自分たちが日蓮日興の正統であるという自覚なのですが、それらの根拠を否定されるような論に出会うと、耳を塞ぐか相手を罵倒することしかできなくなってしまいます。


そして大石寺系教団としての創価学会員もまた同じです。彼らはもはや元鞘の大石寺の教義すら持たず、恐らくは精神性としては池田大作氏の絶対視くらいしか存在しないのかと思います。
つまり「私たちはいつだって正しかった。そしてこれからも正しいのだ。」「なぜなら創価学会こそ広宣流布を進める唯一の団体だからだ。」という無言のドグマくらいしか宗教的確信を支えるものを持っていないんですね。


私もまた活動家時代、教団の内部の論理しか知り得ませんでした。その教団の内部論理、ドグマの中で生きてきて、そのドグマでしか外の世界を判断する評価基準を持たなかったんですね。お恥ずかしい話ですが。


昔、創価学会の少年少女部員会に参加した時、こんなことがありました。
女子部のお姉さんが進行役で、会が始まったのですが、いつも参加しないはずの小学生が参加していました。その子は勤行も題目もほとんど唱えたことがなく、会の最初の勤行中にも鈴の音を冷やかしたり、声をあげてお喋りしたり、やりたい放題でした。
あまりにやりたい放題をした結果、その女子部のお姉さんが泣き出しちゃったんですね。


まあ会の運営を邪魔するような少年部員の無作法ぶりもいかがなものかとは思いますけど、お姉さんもお姉さんで泣き崩れちゃうというのもどうかと思いました。
つまり自分たちのやっていることが正しくて、それ以外の論理に出会うと否定することしかできないということの裏返しかと私などは思います。


非活になって、私は教団の外側の論理を知りました。また文献的な検証を通して、自分の信じていた教義の浅はかさを知り、己のやってきたことを深く恥じました。
今の大石寺系教団の信徒さんに必要なことは、自身の思想の前提を問い直す勇気であり、その思想的陶冶の作業かと私は考えています。






タブーを捨てて。




いつもみなさん、ありがとうございます。


さてこのブログ、確か2016年9月頃から書き出しているかと記憶してますが(曖昧・笑)、もう少しで満2年になろうとしています。すでにブログの投稿記事は650を越え、総アクセス数は2018年7月現在で140万をゆうに越えています。読者の方で多くの方が「創価学会を退会しました」「法華講を脱講しました」「二度と大石寺になど行きません」「大石寺にも創価学会にも騙されました」等々、最近は多くのお声を頂いています。
とても有り難いことです。読んで頂いている皆さんに感謝申し上げます。本当に本当にありがとうございます。


こんなブログを自己満足的に書いていたのに、こんなにたくさんの方に読んでいただけるなんて想像していませんでした。本当に嬉しいです。ありがとうございます。何度ありがとうと述べても足りない気さえしています。


果たしていつまで書けるのか、自分でもよくわかりません。
他の創価学会大石寺関連のブログとしては、比較的頻繁に更新している方かとは思います。何せ毎日必ず12時過ぎには更新する仕組みにしていますから。
ただ無理をして頑張っている自覚は全くなくて、むしろ応援してくださる方の声を聴きながらいろんなことを考え、いろいろ読んでいるうちに思ったことをぽろりと書いてアップしているだけです。本当に他意はありません。


以前どこかで書いたように、私の願いはいろんな人が大石寺創価学会顕正会などの教団の論理から解き放たれて、自由に自分の頭で考え、いろんなことを語るようになることです。
そのための助けになっているのか、私は自分でよくわかりませんが、たくさんのお声を頂くにつけ、そのことを自覚して書くようになりました。ですからブログ開設当初は文調ももっと「気楽」でしたから(爆)。


Twitterで若い方が創価学会創価大学の問題点について述べるのを見つけ、とても嬉しかったです。若干言葉が強いのが問題かと思いますが(笑)、口汚い罵詈雑言を使わなければ、どんなことでも自由に皆が語れるようになるべきです。


タブーが存在する組織なんて、単なる硬直化したドグマ教団に過ぎないと考えています。口汚い悪口雑言は論外でしょうけど、どんなことでも語っていいはずですし、どんなことでも自由奔放であるべきです。特に若い方はそうあってほしいです。


私は青年部の時に、自分の組織を「生きた組織」「血の通った組織」「楽しい組織」にしたいと思い、やってみました。
それが正しかったなんて今は思っていません。私は単に体良く組織維持に利用されただけに過ぎなかったのでしょうし。
今の若い方たちに遺した、それらのものは、今や単なる桎梏であるのかもしれません。
若い方たちにはもっと自由であってもらいたいと思います。タブーなんてなくせばいい。どんなことでも語ってしまえばよいのだと思います。


パキスタンの詩人であるファイズ・アハマド・ファイズの詩を最後に引用します。


「話せ

話せ   おまえの唇は自由だから
話せ  舌はまだおまえのものだ
しゃんと伸びた体はおまえのもの
話せ  命はまだおまえのもの
見ろ  鍛冶屋では
火花が走り  鉄が赤く灼ける
錠前の口が開きだし
どの鎖も継ぎ目が離れた
話せ  この束の間で充分だ
肉体と舌が死ぬ前の
話せ  真実はまだ生きているから
話せ  言わねばならぬことは言ってしまえ」

ファイズ・アハマド・ファイズファイズ詩集』片岡弘次編訳、花神社、1994年)









徒然なるままに。






いつもみなさん、ありがとうございます。



私は活動家時代、自分の組織の部員さんが大好きでした。正直に言うと上の幹部は好きではなかったです。
私は活動家だった頃、部員さんと集まってワイワイ楽しく話すのが好きでした。皆で焼肉を食べたこともあります。ファミレスで安くお酒を飲んで遊んだこともたくさんあります。


私は創価学会の活動をしていた関係からか、家族関係が疎遠でした。母は兄弟たち(私から見れば叔父や叔母たち)から疎んじられ、避けられていました。父は若い頃に郷里を離れて東京にやって来て入信しました。父の関係の親族と私はほとんど会ったことがありません。


私は幼い頃、母が家族から蔑まれ、侮蔑されてきたのをこの目で見てきました。
ですから、私は母が好きだったし、母を大切にしたいと思っていました。
と同時に、私は自分の組織の部員さんと家族のように付き合いたいといつも考えて行動してきました。できていたかはどうかは知りませんが、そんなつもりでやってたのは事実です。単なる自己陶酔もあったのかもしれないとは思いますけどね。


創価学会は社会から蔑まれてきた人たちを拾い上げる団体だと私は信じていました。
そして昭和30年〜60年代まで、創価学会の地域組織はそのような社会のセーフティネットのような役割を果たしていたのかとも思います。


そのような夢を抱いて、組織のために挺身される活動家がいることを私はよく知っています。
しかしながら、もはや創価学会はそのような社会的弱者を拾い上げる歴史的な役割を終えてしまったのかと思っています。


昭和の時代は高度経済成長とリンクしています。つまり豊かになることが幸せであった時代です。戸田会長時代もそのような現世利益的な信仰を強調し、御本尊を「幸福製造機」とまで言い切りました。また後の池田氏も現世利益を強調していたかと思います。


しかし社会のニーズがもはや現代では多様になりました。長引く経済不況で収入が上がる見通しも持てず、世界的に類例のない早さで進む高齢化は生産者人口の減少を引き起こします。どういうわけだか、私も活動家だった2001年頃から組織内に鬱病パニック障害の症状を訴える方が増えるようになりました。


男子部の活動家でも若い人ほど非正規雇用の方が増え、就職が決まらない方も増えました。独身のまま壮年部に移行しても非正規のままです。当然ながら独身の方がほとんどでした。


私は貧しい人たち、蔑まれてきた人たちとともに楽しく暮らしたいと思い、創価学会の活動を熱心にやっていました。


プラセボ効果」という言葉があります。本来なら薬効として効く成分が入っていないにも関わらず、その偽薬を飲んで思い込みから症状が改善されたり治癒したりする現象です。
当時の創価学会は自分たちの信仰をひたすらに信じていたんでしょうね。だから御秘符みたいのを飲んで題目唱えたら病気が治ることもあったのでしょう。


つまり信じる力が強かった。だからこそ創価学会に求心力があり、会員数が爆発的に増えた。
しかし時間が経ち、創価学会の教義の偽善に気づいてしまうと信じる力がなくなってきます。
「どこかに真実の教えがあるに違いない」と思った人が例えば大石寺の欺瞞教義に近づいたりします。けれど大石寺の教義もまた後世に作られたものが多く、日蓮の教えとも日興の考えとも相違していると思います。



つまり「信じるに足るかどうか」ということです。もはや現在の大石寺創価学会も「信じるに足る」教団ではないということであり、その歴史的な役割をすでに終えているということかと思います。
そうでないというなら、なぜ会員数が頭打ちで増えないのか、なぜ会員が高齢化するばかりで、青年層がいなくなってしまったのかということです。


今の私は「願いがなんでも叶う御本尊」など必要としていません。
私が信仰に意義を見出しているのは、自分自身の生き方です。自分の人生に対する、また他者に対する姿勢です。
ありのままの自分を受け入れ、他者を受け入れ、共に生きていく、そういう信仰であれば今の私はどんな信仰であっても否定をしません。
お互いの相違を尊重しあい、尊敬できる、そのことの方が大切であって、そのために何か固定化された本尊が必要だとも思いませんし、教団が必要とも考えません。



南部実長の仏像造立に対する日興の書状。




いつもみなさん、ありがとうございます。


さて日蓮のみならず、日興もまた久遠実成の釈迦本仏説に立ち、四菩薩の脇士を伴った釈迦像の造立を認めていたことは、以前からブログでも書いています。


「日興は仏像本尊を認めている」

「富士山・本門寺の久成釈迦仏」

「仏像を安置することは本尊の図の如し」



大石寺系教団の多くの方が誤解されていることですが、日興は決して仏像の造立を否定されたわけではありません。
例えば波木井実長南部実長)の仏像造立に対して、それが始成釈迦仏であることを批判し、きちんと四菩薩を合わせた久成釈迦仏の造立を日興は正応元年(1288年)11月の波木井宛の書状で進言しています。



「仏は上行・無辺行・浄行・安立行の脇士を造副進せて、久成の釈迦に造立し進せ給べし。」
(日興『與波木井実長書』日蓮正宗歴代法主全書1-162ページ)


日蓮宗宗学全書中で『與波木井実長書』は、第2巻「興尊全集興門集」の169〜170ページに収録されていますが、これによれば同書の日興真蹟は大石寺に現存することがわかっています。



ですから日興は「波木井実長の仏像造立を否定した」のではなく、正確に言うと「波木井実長の仏像にきちんと四菩薩の脇士を副えて造立するように指摘した」というのが事実であるかと思います。