いつもみなさん、ありがとうございます。
今回は「極楽浄土には女性はいない」と言う点です。
このブログで既に書いていることですが、法華経中に即身成仏は説かれておらず、代わりに未来世において成仏する予言や極楽浄土に往生することが説かれています。提婆達多品における龍女の成仏でさえ即身成仏ではありません。龍女は法華経で「変成男子」と言い、男性になって(サンスクリット原典では「股間に男性器が生えて」)未来において成仏する姿が神通力によって示されるのです。つまり法華経には即身成仏は説かれていないことになります。
「法華経の成仏は未来世の予言に過ぎない」
「法華経薬王品における臨終往生」
「来世における成仏の記別」
まず『法華経』の薬王品です。薬王品には「もし女人あってこの薬王菩薩本事品を聞いてよく受持するなら、この女身を尽くして後にまた受けることはない」と書かれています。
以下の画像は『妙法蓮華経並開結』(創価学会版、2002年)の598〜599ページですが、明確に「能受持者、尽是女身、後不復受」と書かれています。つまり二度と再び女性の身として生まれてくることはないと言うことが「福徳」の一つとして法華経には説かれているのです。そして女人は男性となって初めて「安楽世界阿弥陀仏・大菩薩衆囲遶住所」に「即往」することになるのです。
この「能受持者、尽是女身、後不復受」という句について、『法華経』の岩波文庫版の訳者の一人である坂本幸男氏は注において「女人は多く己が身に愛着するも、今薬王菩薩の身を捨て臂を焼くを聞いて執著の心を破するが故に、死後再び女身を受けずというのである」と明確に述べています(『法華経』(下)368ページ、岩波文庫、1967年)。
また『法華経』観世音菩薩普門品には「西方に幸福の鉱脈である極楽世界がある」「そこには女性は生まれることはなく、性交の慣習は全くない」と書かれています。
「あらゆる苦悩と恐怖と憂いを滅すアヴァローキテーシュヴァラ(観世音)を、わたしは礼拝する。
ローケーシュヴァラ=ラージャ(世自在王)を指導者とした僧の
ダルマーカラ(法蔵)は、世間から供養されて、幾百劫という多年のあいだ修行して、
アヴァローキテーシュヴァラはアミターバ仏の右側あるいは左側に立ち、
かの仏を扇ぎつつ、幻にひとしい一切の国土において、仏に香を供養した。
西方に、幸福の鉱脈である汚れないスカーヴァティー(極楽)世界がある。
そこに、いま、アミターバ仏は人間の御者として住む。
そして、そこには女性は生まれることなく、性交の慣習は全くない。
汚れのない仏の実子たちはそこに自然に生まれて、蓮華の胎内に坐る。
かのアミターバ仏は、汚れなく心地よい蓮華の胎内にて、
獅子座に腰をおろして、シャーラ王のように輝く。
彼はまたこの世の指導者として三界に匹敵する者はない。わたしはかの仏を讃歎して、
『速かに福徳を積んで汝のように最も勝れた人間(仏)となりたい』と祈念する。」
このように『法華経』には明確に「極楽浄土に往生する」ことが説かれており、そして極楽浄土に往生する際に女性は極楽浄土に生まれることができないため、女性から男性に転生しなければならないのです。
龍女が成仏する時も龍女は「変成男子」して未来世において成仏することが予言されます。したがって『法華経』には女性は女性の身のままで「即身成仏」する原理が説かれていないのです。『法華経』に依拠するなら、女性は死後二度と再び女性として生まれず、阿弥陀仏の極楽世界に男性として転生し、往生することになるのです。