気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

ブログの紹介を。

最終更新:2017年10月8日


当ブログにお越しいただき、ありがとうございます。また毎回読みにきてくださる方も多く、本当に感謝しています。

当方、元バリバリの活動家だった非活の一創価学会員が、創価学会の現在や教義の問題等を勝手に気楽に語る、非常に趣味的なブログであります(笑)。
なお、このページは随時編集、リンクを追加していきます。


Twitterアカウント
@mwP0s8t4fiA7LWQ

管理者メールアドレス
kirakuhikatsu(@)gmail.com
ご意見、ご感想、応援メッセージ等ありましたら。
メールを送られる際は(  )を外して送信ください。



◯自己紹介、自身の立場の表明として

「自身の過去の告白と総括」
「現在、創価学会の活動に疑問を抱いている方へ」
「私のブログへの批判に対して」

◯教義の問題について

日蓮本仏説は後世の創作に過ぎない」
日蓮本仏論について」
釈尊を本仏とする文証」
日蓮本仏説の萌芽」
「弘安2年の戒壇本尊は日蓮の造立ではない」
「御座替本尊は戒壇本尊の書写ではない」
「興門流の各文書に見る戒壇本尊への疑義」
 「『余は二十七年なり』って」
「他宗批判と諸教包摂ということ」
「無作三身のこと」
「五時八教について」
戒壇本尊と『御本尊七箇相承』との相違」
「『御本尊七箇相承』から考える」
「阿部日開氏の『二千二百二十余年』」
「万年救護本尊について」
『百六箇抄』の問題点①経巻相承
『百六箇抄』の問題点②男尊女卑思想
『百六箇抄』の問題点③史実との不整合
「諸天の勧請」
「日道『三師御伝土代』を読む」
「日興『三時弘経次第』を読む」
「転輪聖王のこと」
「二処三会は存在しない」
「真蹟遺文に『血脈』の語はない」
「『しうし』か『したし』か」
http://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2017/01/07/001135



創価学会内の問題について

「池田青年の入信の事実」
「池田名誉会長のピアノ」
「正木さんの師弟観」
創価学会内部の教義的な分裂について」
「仏法は師弟なのか」
「歴史的役割の終わり」
戸田城聖という人」
「広宣部と言論企画部」
「『実名告発・創価学会』を読む」
「元本部職員3名の精神性」
「元職員三人の今後の資金繰り」
「原田会長、財務と青年の育成について」
「財務の問題と昭和52年の問題」
「『人間革命』という用語」
「ここが変だよ。創価学会の選挙」
創価学会の選挙戦①公示前」
創価学会の選挙戦②KとFとZ」
「『アンチ創価学会』のこと」
「昭和54年の辞任問題」
「宗創問題について①平成2年7月〜12月」
「宗創問題について②平成2年7月以前のこと」
「宗創問題について③平成2年〜平成3年」
「『南元センター』について」

◯史実の検討について。

富木常忍と文書の管理体制」
日蓮の出自は『旃陀羅』か」
「『是生房』か『是性房』か『是聖房』か」
「大乗非仏説と大乗仏教運動について」
「諸々の事象は過ぎ去る」
最澄空海の関係について」



長井秀和さんとの対話シリーズ

「その1」
「その2」



◯ブログ「仏教と批判的合理主義」Libraさんとのメールによる対話シリーズ。

Libraさんとの対話
Libraさんとの対話その2
Libraさんとの対話その3
Libraさんとの対話その4
Libraさんとの対話その5

広告を非表示にする

どんな信仰も自由。





いつもみなさん、ありがとうございます。




ブログのアクセス数も毎日数千件のアクセス数を頂き、たくさんの応援メッセージ、本当にありがとうございます!
ツイッターアカウントも本年4月に開設したばかりなのに、わずか半年で1,800人を越えるフォロワーさんからフォローを頂きました! 我ながら驚いています。感謝しています!



さて私は自分の信仰をあまりここでは具体的に語りません。
で、思うことなんですけど、私は自分の今の信仰が大乗仏教の亜流だという意識がありますが、一部の方はそう思われないようです。
でもそれはそれで構わないのではないでしょうか。私は「気楽非活さんがやっていることは仏教ではない」と批判されても構わないと思いますし、それらの批判は真摯に甘受したいと考えています。


私は真摯に自分の信仰を求める人なのであれば、どんな信仰も軽視はしません。私が大石寺創価学会を批判するのは、それが所詮他者を「邪宗」と決めつけ、自分のように考えない思想を排除する考え方に満ちているからに他なりません。


私は仏教以外の信仰も尊重したいと思いますし、どんな信仰も「自分よりも下の教えだ」とは考えません。阿含経華厳経も素晴らしい経典です。法華経の批判もしていますが、私は法華経の価値も認めているつもりです。
どの経典が優れて、どの経典が邪経であるという考え方に私が基づかないだけのことなのです。


思想は何をどう考えても自由です。
ですから私は実際書かれてあること、そして実際の史実を根本にして、そこから立論して自身の信仰を求めていきたいと考えているだけです。その中で偽書と呼ばれるものは排除するだけですし、あくまで書かれていること、残っていること、具体的な"事実"に基づいて信仰を求めていこうと思っています。


日蓮滅後13年に編集された『科註妙法蓮華経』が日蓮説として引用されている『御義口伝』は偽書に過ぎません。


創価学会大石寺の信徒の方は、史実に基づかない偽書で教義を構成してきてしまっているので、今さら冷静に考えることが多くはできなくなっているのだと私は思います。


広告を非表示にする

当ブログを応援してくださる皆様へ。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて私のこのブログは多くの方から批判されていますし、その批判はよく存じ上げています。



むしろ私は批判が出ることは大いに結構なことかと思いますし、私よりも普遍性の高い議論を文献的検証を通して展開して頂けたらよいと考えたりしています。


ところが、ネット上で、こんな私を擁護・応援してくださる方も多く、また過分な評価も頂いています。本当にありがとうございます。
お恥ずかしい話ですが、私は日蓮のなんたるかも全くわからなかった人間が、非活になったことから、自分で求め出していろいろ文献を読んできた、そういう人間です。
ですから、なるべく「自分がこう思う」よりも「文献的な考証を通してこう考えるのが自然である」というスタンスを貫くようにしています。できているかはあんまり自信がないんですけどね(笑)。



「気楽非活さんは読者に何かを押し付けている訳ではありません。判断材料を示しているだけです。」とのご指摘は本当に嬉しかったです。ありがとうございます。
私のように考える必要なんてありません。ただ私が考えたことを通して、一人でも多くの方が自身で考えて一定の結論を出すことの方が重要なのです。
その時、私の考えに普遍妥当性がないとすれば、その時は私の思想を変えればよいだけのことですから。


私はそんなに頭がよくありません。
読めば読むほどわからないことがたくさん出てきます。ですから以前書いたように、このブログはやや見切り発車的に書いていることも事実です。
ですから書いてあること、史的な事実、より普遍妥当性がありそうなこと、そういったことを基本にしてたたき台にしています。
私は単に理解力のない一人の男が、一つ一つ文献をじっくりと読んで考えてきた、それだけの人間なのです。



そして私は活動家時代に一緒に語り合ってきた、父と母が大好きです。
両親ともにこの世にもういないことはとても悲しいことです。
私は両親への罪滅ぼしの意味でも、このブログを書いています。
今、考えれば、母や父にもっといろんなことができたかもしれない。悔やまれる気持ちもないではありません。
でもきっと母も私が書くのを喜んでくれる、そういう気持ちで執筆しています。


そして、どういうわけだか、私のその立場さえ理解しようとしてくださり、私のこんなブログを擁護して応援してくださる方がネット上にたくさんいることに感謝せずにはいられません。
本当にうれしいです。
本当にありがとうございます。


毎日数千人の方の訪問を最近は頂いています。
たくさんの応援メッセージ、激励、質問メール等も頂き、本当に感謝しています。ありがとうございます。
こんな力をない人間なのですが、幸いに文献を読むことは好きです。これからもたくさん読んで、自分の頭で考えたことをいろいろ書いていきたいと考えています。
それこそが亡き父と母への供養になると信じています。






華厳経と法華経。






いつも皆さん、ありがとうございます。



さて今日のテーマは「華厳経法華経」になります。


日蓮は「華厳経法華経でどちらが優れるのか」という問いに『本尊問答抄』において「臣下の身を以て大王に順ぜんとするがごとし」(御書370ページ)として法華経を優れているとしています。
ここで日蓮の根拠になっているのは天台の五時八教判で、華厳経法華経はともに円教に属しますが、華厳経は別教も兼ねているので、純円教の法華経には及ばないとする理解です。



で、指摘してしまうと、天台教学は漢訳経典の字面から、法華経の至上性を主張しただけの教理で、現代においてはこれに有効性も普遍妥当性もありません。無量義経法華経の後に説かれたものでもありませんし、法華経他の漢訳経典は釈迦の滅後に数百年後に生まれたものです。無量義経にはそもそもサンスクリット本が存在せず、偽書である可能性が現代では高いとされています。


それにそもそも天台と華厳は大乗思想の頂点に位置する二大巨頭です。空仮中三諦円融の天台教学と十玄六相で法界縁起の妙旨を説く華厳思想との優劣がそんな簡単につくものでしょうか。


創価学会員さんはあまり知らないことですが、そもそも「教相判釈」というのは仏教の開祖なら誰でもやることです。五時八教はあくまで天台の教義に過ぎず、そこに普遍性があるものではありません。


ですから空海は『秘密曼荼羅十住心論』および『秘蔵宝鑰』で、天台を第八住心の「一道無為心」とし、その上に華厳を第九住心の「極無自性心」と位置づけ、華厳を法華よりも上としました。


つまり日蓮は天台教学の五時八教判を言わば借りて、法華経の至上性を主張しているに過ぎないのです。


繰り返しますが、そもそも「五時八教判」に仏教諸派に通底する普遍妥当性は存在しません。もしも内容的に華厳経より法華経が優れているとするなら、きちんと華厳の十玄六相法界縁起と空仮中三諦円融が、どのように違ってどのように優れているのかを思想的に説明する義務があるかと思います。まあ多くの創価学会員さんも大石寺の信徒さんもそんなことは考えられないことのようですけど。





広告を非表示にする

自分で答えを出すこと。







いつもみなさん、ありがとうございます。




さて私はこのブログで創価学会大石寺の教義についていろいろ書いています。
私は私なりにいろいろ読んだことを考えた上で「こう書いてあるのだからこう考えるのが自然ではないか」ということを述べているだけです。
言わば判断材料を提供しているだけです。



で、それを信じるのも自由ですし、それを批判されるのも別に自由だと思うんですね。
要するに書いてある事実は消せない。私が根本にすべきことはそこにあるのであって、私の言っていることを批判されるならきちんと書いてあることや歴史的な事実に即して一人一人が考えることが大切かと思うんですね。
要は「ちゃんと読む」ことかと思います。



真蹟も存在しないし、日蓮が生きていた時代の写本もない。あるのは日蓮の滅後数百年経過した後の写本ばかり。しかもそこに書かれてある内容が他の日蓮の遺文中に全く書かれていないようなことが書いてあれば、それは誰だって「おかしい」と思うのではないのでしょうか。


ですから、私のブログを読んできちんと検証をされればよいと思うんです。別に教義に関心がないなら「ふーん」くらいでもいいでしょうけど(笑)、関心があるなら実際に遺文を読んで自分で答えを出すことが大切でしょう。


答えは誰かに出してもらうものではなく、自分で出すものです。創価学会大石寺といった教団が出すものは借り物に過ぎません。
それをご自身で信じるならそれは自己責任で自由ですけど、自分で考えて自分で結論を出すことが必要なのだと思うんですね。


私のこのブログを評価してくださっている方も多く、その中には実際にいろいろ文献を読み出して、いろいろメール等でご意見をくださる方もいらっしゃいます。ありがとうございます。その中には大変示唆に富む、貴重なご意見も多く、時々ブログでも許可を得てから転載することも増えてきました。



口汚く私を罵る方も多くいますが、おそらくそれらはご自身の宗教的な立場から、それらを自己否定することができず、感情的になられてしまうからなのだと思います。
実際、かつての昔の私もそうでした。感情的にいきり立っては、敵対するものを罵ったりしてきました。今の自分にもそういうところがまだ残っているのかもしれません。意識して客観的で建設的な議論ができるように努力はしているつもりです。


私は自分の立場に別に固執しているわけではありません。様々な方からご意見のメールも頂き、少しずつ考え方も変えてきました。
生きることは変わることだと思っています。最初から完成されたドグマとしての教義を信じるのではなく、自分の中に信仰の拠り所を自分の力で築いていくことが大切なのではないでしょうか。その時にそのことをわかって頂ける方がいることはとても幸せなことで、私をそのような読者の方々こそ、本当の意味での「同志」であると思っています。
いつもありがとうございます。私は本当に幸せものだと日々感じています。



追記:
最近、ネットやSNSでの私に対する批判も多いのですが(まあ、理由もわかりますけど・笑)、同時にこんな私のブログを擁護してくださる方も多く、「気楽非活さんは何かを読者に押し付けているわけではありません」等々、好意的に私のブログを読み評価してくださる方も増えてきたように感じています。本当にありがとうございます。
私は自分で自分が正しいのかどうか、あまりよくわかりません。ただ私は虚心坦懐に読んで自分で考えたいだけなんです。たとえ自分が間違っていたとしても、それは自分の責任なのであって、間違えるにしてもきちんと自分の頭で考えた上で自分の責任で間違えたいと思っています(笑)。










承久の乱について。






いつもみなさん、ありがとうございます。



さて今回は「承久の乱」について、日蓮がこの歴史的事件をどのように捉えていたのかということです。実はこのことが日蓮仏教観に大きな影響を与えていると私は考えています。



結論から言ってしまうならば、日蓮自身の仏教に関する一つの疑問は、日蓮が生まれる一年前の出来事「承久の乱」についてなのです。



そもそも「承久の乱」とは何か。
承久3年(1221年)5月、後鳥羽上皇が二代執権北条義時を朝敵と宣言。挙兵して倒幕しようとしました。義時の姉である北条政子は動揺する御家人たちに頼朝の恩顧を訴え、返って御家人たちの団結を深め、結果として幕府軍が京都の上皇方の軍を打ち破ることになります。


後鳥羽上皇は敗北したことで隠岐へ、順徳天皇後鳥羽上皇の第3皇子)は佐渡に流されます。土御門天皇後鳥羽上皇の第1皇子)は関与していなかったので無罪だったのですが、自ら土佐に赴きます。後鳥羽上皇方に属した武士たちは多くが死罪となり、荘園を没収の上、六波羅探題を設けて、京都の朝廷を監視することになります。


ところで日蓮は『神国王御書』で、承久の乱において後鳥羽上皇らが流罪にあったのは何故なのか、そのことに疑問を抱いているのです。


「されば神武天皇より已来百王にいたるまでは・いかなる事有りとも玉体はつつがあるべからず・王位を傾くる者も有るべからず、一生補処の菩薩は中夭なし・聖人は横死せずと申す、いかにとして彼れ彼の四王は王位ををいをとされ国をうばはるるのみならず・命を海にすて身を島島に入れ給いけるやらむ、天照大神は玉体に入りかわり給はざりけるか・八幡大菩薩の百王の誓は・いかにとなりぬるぞ」
創価学会版御書全集1519〜1520ページ)


日蓮の疑問は「天皇がなぜ負けたのか」「仏の加護はなぜ起こらなかったのか」「仏教による護国の力はどうしたのか」という点にあります。


『祈祷抄』によりますと、上皇方は挙兵に際して比叡山等の座主らに調伏の戦勝祈祷をさせています。『祈祷抄』にはこの時の戦勝祈祷の十五壇法と秘法を行った41名の行者の名前が記録されています。


真言見聞』には以下のように記されています。


「承久の兵乱の時・関東には其の用意もなし国主として調伏を企て四十一人の貴僧に仰せて十五壇の秘法を行はる、其の中に守護経の法を紫宸殿にして御室始めて行わる七日に満ぜし日・京方負け畢んぬ亡国の現証に非ずや」
(同142ページ)


日蓮にとって「承久の乱」は、日蓮自身の仏教観を変えてしまう出来事でもありました。
日蓮自身は天皇を尊崇していました。天皇の敗退は、日蓮にあっては天皇を勝利に導かなかった仏教諸派への批判へと転じたのです。


日蓮仏教観は「国家が正しい仏教を信奉するなら、国家は平和になる」というものです。日蓮の問題意識は徹頭徹尾、国家と国家の持つ仏教の問題にあります。日蓮には民衆仏教という側面は存在しません。


日蓮は民衆仏法ではない」


日蓮は「承久の乱」において自身が尊崇する天皇が守られないという事態に疑問を抱きました。そして天皇が敗退したことに関して、既成宗派の仏教に疑問を抱くことになります。日蓮の他宗批判の意識はそこから出発しているのだと思います。












広告を非表示にする

創価学会の創立はいつか?






いつもみなさん、ありがとうございます。日に日に多くの方に当ブログをご覧いただき、本当に感謝しています。激励やご質問のメールもたくさん頂いています! 全てになかなか返信ができておらず、申し訳ありません。全て内容は目を通させて頂いています。



さて今回は「創価学会の創立はいつなのか」ということです。


公式に創価学会の創立は昭和5年(1930年)11月18日とされていますが、この日は正確に言うと牧口常三郎氏の『創価教育学体系』第1巻が発刊された日であって、創価教育学会が発足した日とは正確には言えません。


では創価学会の前身である創価教育学会はいつ発足したのでしょう?

まず牧口常三郎戸田城聖大石寺への入信は昭和3年(1928年)のことです。この時、大石講の幹部であった三谷素啓の話に触れ、共感した彼は入信をします。ほぼ同じ時期に戸田城聖も牧口からの誘いを受け、"日蓮正宗"大石寺に入信することになります。


昭和7年(1932年)7月、牧口常三郎法華講の副講頭に就任しています。
ですからこの時の牧口の活動はあくまで法華講としての活動なのであり、まだ創価教育学会の内実があったとは考えられません。
ちなみにこの後、牧口は直達講講頭の三谷素啓と流儀上、相容れない関係となり、激論を交わした末に絶縁することになります。


その後、牧口と戸田が独自に宗教活動を始めるのは、翌昭和8年(1933年)7月のことで、新潟県荒浜で友人たちを勧誘。
堀米泰栄(後の堀米日淳)の中野教会所(後の昭倫寺)所属となった牧口と戸田は、8月の御講で堀米氏に指南を仰ぐことになります。
この時、牧口は在家団体・創価学会の設立を願い出ますが、堀米氏はこれを許可しませんでした。
昭和8年より時習学館にて月に一度の堀米泰栄氏の法華経講義を開催します。


昭和10年(1935年)1月、牧口は「教育宗教革命正法研究会」の「折伏座談会」を東京・神田の教育会館で開催しています。
なおこの年の2月に戸田城聖は松尾幾子と再婚し、白金台に新居を構えています。


昭和11年(1936年)1月19日、富士宗学要集講習会の終了後に牧口主催による創価教育学会の座談会を開催。この会には堀日亨も参加しています。同年4月30日には教育者による創価教育学会春季総会が開催され、機関紙『新教』を発刊します(同紙は同年7月号より『教育改造』に改題)。


昭和12年(1937年)1月27日には懇談会の後、創価教育学会の会員名簿が作成され、約100名が名前を連ねたとされます。
直達講の幹部の竹尾清澄が堀日亨から聞いた話によりますと「本山宿坊理境坊住職の落合慈仁師とも別れ、牧口氏に率いられる創価教育学会は、ここで日蓮正宗と縁が切れ」、牧口と戸田は在家団体・創価学会の設立許可が貰えないことに反発。堀米日淳に対して批判を行います。この時にすでに大石寺とは一時絶縁状態にあったようです。
堀米日淳はこの時に、牧口が信仰に再起することを考え、元の常在寺を所属として戻れるように手配したとされています。


そして事実上の創価教育学会の最初の総会が行われたのは昭和14年(1939年)12月であり、麻布の料亭「菊水亭」にて創価教育学会第1回総会が行われました。参加者は約50名と言われています。



さてここまで史実を辿ってきましたが、創価学会の設立がどこにあるかというのは非常に難しいと感じます。
いくつか論点をまとめてみます。


1、現在の創価学会が公式に認める創立記念日昭和5年(1930年)11月18日だが、この時には創価教育学会組織が存在したわけではない。

2、牧口は昭和7年(1932年)7月に法華講直達講の副講頭に就任しているので、この時点で創価教育学会として牧口が活動していたとは言いがたい。

3、昭和8年(1933年)8月、牧口と戸田は堀米泰栄に創価教育学会設立の願出をしているが、堀米氏から拒否されている。

4、昭和11年(1936年)1月19日、富士宗学要集講習会の終了後、牧口は独自に創価教育学会の座談会を開催。これには堀日亨が参加している。

5、実質的な創価教育学会の最初の総会は昭和14年(1939年)12月、麻布の料亭・菊水亭で行われた。この日が実質的な会の創立であると考えられる。



もう一度きちんと創価学会は創立の時期を見直した方がよいのかもしれませんね。