気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

ブログの紹介を。

最終更新:2018年8月17日


当ブログにお越しいただき、ありがとうございます。また毎回読みにきてくださる方も多く、本当に感謝しています。

当方、元バリバリの活動家だった非活の一創価学会員が、創価学会の現在や教義の問題等を勝手に気楽に語る、非常に趣味的なブログであります(笑)。
なお、このページは随時編集、リンクを追加していきます。


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◯自己紹介、自身の立場の表明として

「自身の過去の告白と総括」
「現在、創価学会の活動に疑問を抱いている方へ」
「私のブログへの批判に対して」
◯教義の問題について

日蓮本仏説は後世の創作に過ぎない」
日蓮本仏論について」
釈尊を本仏とする文証」
日蓮本仏説の萌芽」
「釈迦一仏にかぎりたてまつる」
「弘安2年の戒壇本尊は日蓮の造立ではない」
「御座替本尊は戒壇本尊の書写ではない」
「日興の譲座本尊の相貌」
「興門流の各文書に見る戒壇本尊への疑義」
「『三師御伝土代』と戒壇本尊との矛盾」
「日興書写曼荼羅戒壇本尊との相違」
「和泉公日法のこと」
戒壇本尊の重さ」
「日興は身延から何も持ち出していない」
「六壺の日興本尊も贋作か」
「自山の正統性を証明できず」
「御本尊の写真撮影について」
「『余は二十七年なり』って」
「一生成仏について」
「他宗批判と諸教包摂ということ」
大日如来を勧請する本尊」
「無作三身のこと」
戒壇本尊と『御本尊七箇相承』との相違」
「『御本尊七箇相承』から考える」
「阿部日開氏の『二千二百二十余年』」
「万年救護本尊について」
「『百六箇抄』の問題点①経巻相承」
「『百六箇抄』の問題点②男尊女卑思想」
「『百六箇抄』の問題点③史実との不整合」
「諸天の勧請」
「日道『三師御伝土代』を読む」
「日興『三時弘経次第』を読む」
富士山本門寺の久成釈迦仏」
「仏像を安置することは本尊の図の如し」
南部実長の仏像造立に対する日興の書状」
転輪聖王のこと」
「龍樹の『空』と日蓮の『一念三千』」
日蓮真言批判の問題点」
 「法華真言の用例」
法華経一部読誦について」
「二処三会は存在しない」
「真蹟遺文に『血脈』の語はない」
「『しうし』か『したし』か」
http://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2017/01/07/001135
「宿命は日蓮の思想ではない」
「日華・日仙の御本尊書写のこと」



創価学会内の問題について

「池田青年の入信の事実」
「池田名誉会長のピアノ」
「正木さんの師弟観」
池田氏とノリエガ氏との交友」
池田氏チャウシェスク氏との交友」
「池田名誉会長の理解できない発言」
創価学会内部の教義的な分裂について」
「仏法は師弟なのか」
「歴史的役割の終わり」
戸田城聖という人」
「広宣部と言論企画部」
「『実名告発・創価学会』を読む」
「元本部職員3名の精神性」
「元職員三人の今後の資金繰り」
「原田会長、財務と青年の育成について」
「財務の問題と昭和52年の問題」
「『人間革命』という用語」
「ここが変だよ。創価学会の選挙」
創価学会の選挙戦①公示前」
創価学会の選挙戦②KとFとZ」
「『アンチ創価学会』のこと」
「昭和54年の辞任問題」
「宗創問題について①平成2年7月〜12月」
「宗創問題について②平成2年7月以前のこと」
「宗創問題について③平成2年〜平成3年」
「『南元センター』について」


◯史実の検討について。

富木常忍と文書の管理体制」
日蓮の出自は『旃陀羅』か」
「『是生房』か『是性房』か『是聖房』か」
「大乗非仏説と大乗仏教運動について」
「諸々の事象は過ぎ去る」
最澄空海の関係について」
「五時八教について」
「法華三部の発想」
「日興は四老僧と敵対していない」
「日興遺誡置文のこと」
「日興は身延から何も持ち出していない。」
「登山会のこと」
大石寺7世・日阿のこと」
「9世日有から日乗、日底、日鎮への相承」
大石寺13世・日院のこと」
「日精は大石寺の17世か、18世か」
大石寺を隠居した18世の日精」
「三大秘法口決は八品派から大石寺流入した」
「敬台院と日精のこと」
「興門派の持ち回り管長」
「日道は日興の葬儀に参列していない」
「日目から日郷への相伝について」
「日目の『法命を継ぐ』日郷」





長井秀和さんとの対話シリーズ

「その1」
「その2」




諸富文紀さんのこと。





いつもみなさん、ありがとうございます。




さて私は何度となく、今は亡き父のことをブログで書くことがあります。


「父との思い出」

「父との思い出・その2」


上記の「その2」の中で書きましたが、父はかつて新宿の「第47部隊」で活動する中心的メンバーの一人でした。
父はこの当時、部隊長の石田幸四郎さん(後に公明党の委員長さんになります。石田次男さんの実弟です)とともに活動していました。また同じ部隊ではなかったと思いますが、渡部一郎さんや竹入義勝さんのことは思い出深く語っていたことを思い出します。


なんでこんなことを書いているのかというと、創価学会大石寺も過去の歴史を全く大事にしないところがあるからなんですね。すでに父の知人の多くは鬼籍に入られた方がほとんどなので、私の記憶の残る限り、どこかに書いておきたいと思うゆえです。



さて父が青年部時代を回想し、印象深い人物を語った時、二人の名前が挙がりました。
一人は石田幸四郎さんで、もう一人は実は"諸富文紀さん"という人物でした。



父は諸富さんの家に家庭訪問をして、お邪魔したことがあるそうで、当時から大変な読書家であったことを印象深げに話してくれました。


「諸富さんの家にはたくさんの本があって、すごい読書家。大変に頭の切れる人だった。今は確か創価大学とか創価高校とかで教えているんじゃないかなぁ」


諸富文紀さんは、若い頃の昭和30年代に大川清幸さんや竹入義勝さんらとともに『大白蓮華』の編集にも携わっていました。当時から知的で、研究熱心な方だったようです。


諸富さんは高校の教員をしていましたが、後に本部職員となり、創価学園の設立に尽力をされました。
諸富さんは校舎建築や設備の構想のために10数校の学校を訪問し、その過程で「高校に中学校を併設する」案が浮上します。つまり創価学園の「中高一貫教育」体制を整えた功労者は事実上、諸富さんです。
その後、彼は創価学園の副校長をしながら、授業もしていたとのこと。


1980年から諸富さんは創価大学の教員として働くことになります。彼の最初の功績は教科書『社会科教育法』の編集です。この時に諸富さんが執筆をお願いした一人が関順也さんと言いまして、諸富さんの師匠筋になる方です。関順也さんは創価女子短期大学の学長にもなられた方で、神立孝一さんの師匠でもあります。


諸富さんは大学院で研究された経験が一度もありません。ただただ教育現場の仕事に情熱をもって挺身してきて、創価大学の教員になった方と言えるかと思います。
諸富さんは2001年に創価大学を退職しています。



私の父に限らず、昭和の時代の創価学会には、無名の功労者がたくさんいました。
創価学会は、必要がなければ、そういった功労者をどんどん正史から消していきます。少なくともそういう風に私には感じられてなりません。


父は亡くなる前に「もう一度、諸富さんと会って話したい」と言われていました。



参考文献:
諸富文紀「教壇生活四十年-わたしの足跡-」(退職記念講演)『創大教育研究』第10号所収、2001年。






宇宙生命はバラモン教の教え。






いつもみなさん、ありがとうございます。



さて戸田城聖氏や池田大作氏は以前から「仏とは生命である」という生命論を唱えていますが、そもそも仏を生命と捉え、宇宙に偏在する生命の実体と捉える考え方は、単なる仏教以前のバラモン教の考え方であり、それは単にウパニシャッド思想に過ぎないことを繰り返し指摘しています。


「仏教は生命論ではない」

「生命論に固執する人たち」


ところが、多くの創価学会員さんが、この「仏は宇宙に偏在する生命である」という考え方からなかなか脱却できません。中には大石寺法華講信徒さんでさえ、この「仏とは宇宙に偏在する生命である」と考えている人もいるほどです。というのは法華講さんの活動家の多くが元創価学会員であることは少なくないからです。


しかしながら池田氏の生命至上主義の考え方は、昭和40年代に原島嵩氏や野崎至亮氏、また川田洋一氏らとともに池田氏が練り上げてきた思想であったかと私は思います。
例えば昭和49年の『大白蓮華』に連載された「鼎談・法華経の展開」では原島氏、野崎氏らとともに池田氏が鼎談し、その中でこんなことを述べていました。



創価仏法の原点は、いうまでもなく戸田前会長の悟脱にあります。私が『人間革命』第四巻で書き記しておいたように、無量義経の三十四の『非』を呻吟しながら思索しぬかれた結果『仏とは生命なんだ!  生命の表現なんだ。外にあるものではなく、自分自身の命にあるものだ。いや、外にもある。それは宇宙生命の一実体なんだ!』という生命内奥から突き上げてくる歓喜とともに悟脱された瞬間こそ、将来において世界の哲学を変貌せしむるに足る一瞬であった。この一点をはずして今日の創価学会はの思潮の大河はない。すなわち、法華経はいうにおよばず、一切、八万の法蔵は、三世にわたり、人間を含め、宇宙、自然の森羅万象を貫く"生命"という実在を説いたものであると決定した瞬間に、創価哲学は開始されたのです。」
(「てい談  法華経の展開」第1回、『大白蓮華』昭和49年4月号掲載)


で、申し訳ないんですが、それらの「生命の実在こそが仏の本質である」とする考え方は、ウパニシャッド思想、バラモン教と何も変わらないものであり、私から言わせれば、なんら新しい思想でもなく、単に仏教以前の教えに帰ることと実質的に変わらないことだと思います。


創価学会員さんだけでなく、元創価学会員の法華講さんまでも「仏は生命」であり、「生命内奥から突き上げてくる歓喜」が仏の本質であるとわけのわからない勘違いをされている方がいるようですが、アートマンという自己が六処・十二処・十八界により、認識の束に過ぎないことを示したのが仏教の本来の意義であり、それを知らずに内なるアートマンと、大宇宙のブラフマンを結びつける思想こそ「仏教の本質」であるとするなら、単なる仏教の誤読に過ぎないと私は思います。









四聖諦と十二支縁起と六処のこと。





いつもみなさん、ありがとうございます。


さて今回は以前に紹介した馬場紀寿の『初期仏教  ブッダの思想をたどる』(岩波新書、2018年)の内容を紹介しつつ、初期仏教思想の根幹にある、四聖諦と十二支縁起から、本来の釈迦の思想が何であるかを考えてみたいと思います。


「初期仏教のこと」


四聖諦と縁起という考え方に通底しているのは、私たちがどこから来て、どこへ行くのかという、生存に対する問題と言えます。


仏教以前には、バラモン教ウパニシャッド思想において自己(アートマン)が宇宙原理であるブラフマンと一致すること(梵我一如)を説きました。以前ブログで書いたように、創価学会大石寺法華講が「宇宙の原理」とか「生命」とかを殊更に教義として強調するのは、そもそもそれらは仏教の教えですらなく、本来ウパニシャッド思想であることを露呈しているに等しいんですね。池田大作氏の『法華経智慧』などはまさに仏教でも何でもなく単なるウパニシャッド思想ということになります。


「仏教は生命論ではない」


バラモン教におけるアートマンという概念は「自己」を意味するとともに「魂」や「主体」も意味します。バラモン教ではこの概念によって認識の主体や行為主体、また輪廻の主体も説明しました。


それに対して仏教は「生存」という観点から「アートマンが存在する」「アートマンが存在しない」という二項対立そのものを解体してしまいます。主体としての自己を否定し、自己を諸要素の集合として認め、いかにしてそれらが再生産されるのかという道程を示すんですね。


四聖諦と縁起と五蘊と六処は本来バラバラのものではなく、相互の関係性として理解することが大切なことのように思います。


まず四聖諦(四諦)とは「四つの真実」の意味ですが、以下の4つになります。


①苦(苦聖諦)
②苦の原因(苦集聖諦)
③苦の停止(苦滅聖諦)
④苦の停止へ導く道(苦滅道聖諦)


全ての生あるものにとって、苦は避けられない。そのことを知った上で、その原因と克服の方法を示す教えのことです。


そして縁起とは「原因によって生じること」「依存生起」を意味します。生あるものが苦しみに至るのはなぜか、その原因を探り、その関係性を示したものが縁起説とも言えるかもしれません。ここでは様々あるうちの縁起説から最も包括的な「十二支縁起」を説明してみます。


(1)老いと死(老死)
(2)誕生(生)
(3)生存(有)
(4)執着(取)
(5)渇望(愛)
(6)感受(受)
(7)接触(触)
(8)6つの〔認識器官という〕拠り所(六処)
(9)名と姿(名色)
(10)認識(識)
(11)諸形成作用(行)
(12)無知(無明)


ここでは(1)が一連の因果系列の最終的結末で、その原因を(2)(3)(4)…と遡っていき、最後の(12)が第一原因として示されることになります。
この十二支縁起以外にもさまざまに縁起説はあります。上の分類から見るなら(1)〜(5)までを要素とするのが「五支縁起」、(1)〜(8)までを要素とするのが「八支縁起」、(8)を除いた(1)〜(10)までが「九支縁起」、(1)〜(10)までが「十支縁起」に当たります。


四聖諦によれば、生の苦しみの原因は「再度の生存へ導く渇望」です。


十二支縁起では第一原因である(12)無知(無明)によって(11)諸形成作用(行)、(12)認識(識)、(13)名と姿(名色)が順次生ずるとされます。これは「五蘊」(ごうん)の「色・受・想・行・識」のうちの三つ「行・識・色」と同じです。
五蘊の残る二つのうち、感受(受)は六処と触を原因として生じるものとして(6)に組み込まれ、また表象(想)は命名の力のことであり、名と同義と考えられます。したがって十二支縁起には五蘊全てが包含されていると考えることができます。
つまり十二支縁起は、五支縁起を基本としつつ、その原因を遡って説明していくにつれ、五蘊と六処を体系的に位置付けることで成立することになります。


六処の認識器官は、六根とも呼ばれます。この6つの認識器官を通じて私たちは対象に触れ、様々に感受を持つのですが、『梵網経』という経典では、他の教えの多様な思想家が主張する62の見解を取り上げ、それらがいずれも自らの接触に執着しているに過ぎないことを明らかにしていきます。
つまり真理を悟ったと思っても、自身の経験や見解の依拠するところは認識器官に他ならない。これこそが6つの認識器官が「六処」と呼ばれる所以です。


六処に6つの対象を含めて「十二処」と言いますが、人間はこの「十二処」を離れて世界を認識することができません。仏典では、十二処を「一切」と呼び、それを離れて別の「一切」を説くなら、それは根拠がないと説きます。すなわち十二処の外に、神とか宇宙とか法とか超越的な存在を説くことは、仏教にとって根拠のない言説であるということです。


この十二処に基づいて眼織、耳織、鼻織、舌織、身織、意識という六識を立て、これらを構成要素として組み合わせて「十八界」と呼びます。この「十八界」も十二処同様に「一切」と称されます。
すなわち「自己」だと考える個体存在は、実は6つの認識器官の束に過ぎないことになります。このような理解に立って、仏典は個々の認識器官が永遠ではなく(無常)、思い通りにならず(苦)、自己ではない(非我)と説くことになります。


つまり「非我」とか「無我」とされるものは、自己だと思われているけど、どれもそれは「自己ではないこと」を意味していることになります。ですから「無我」の本来の意味は私心がないことでもないし、何かに夢中になることでもないんですね。


つまり自己の姿、アートマンというものがそもそも存在せず、それらを根拠づけるものは6つの認識器官の束に過ぎません。そしてアートマン等が無前提に「ある」と執着することを根本的に否定したのが本来の仏教なのではないかと私は思います。



参考文献:
馬場紀寿『初期仏教  ブッダの思想をたどる』岩波新書、2018年。









戒壇本尊と日禅授与本尊の諸尊勧請の一致。

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いつもみなさん、ありがとうございます。
今回は後世の創作に過ぎない弘安2年造立説の戒壇本尊と、弘安3年日禅授与本尊の諸尊勧請の座配についてです。


すでに犀角独歩氏のブログでも指摘されているように、コンピュータマッチングの手法により、弘安2年の戒壇本尊と弘安3年日禅授与本尊との首題の形が一致することがわかっています。


「弘安2年の戒壇本尊は日蓮の造立ではない」


今回、指摘したいのは冒頭2枚の画像で示したように、戒壇本尊と日禅授与本尊との諸尊配置の一致ということです。


両者を見比べてみるとよくわかるのですが、驚くほど文字の配置が一致しています。
いくつか特徴的な点を挙げてみます。


①両本尊の諸尊勧請は全て同じである。

②両本尊ともに讃文は「二千二百二十余年」である。

③両本尊ともに「有供養者福過十号」「若悩乱者頭破七分」が書かれていない。

④両本尊ともに帝釈天王は「釈提桓因大王」と書かれている。


というように、見比べても違いがないんですね。例えば日興書写本尊に書かれる章安大師も両本尊ともに書かれていませんし、大龍王も「八大龍王」ではなく両本尊ともにきちんと「大龍王」と書かれています。唯一違うところは私の見る限り一箇所のみで、戒壇本尊に「南無迦葉尊者」と書かれているところが、日禅授与本尊では「南無大迦葉尊者」となっていて「大」の一字が相違するだけです。


ここから考えても、大石寺の本門戒壇本尊は、弘安3年日禅授与本尊を基にして後世に創作されたものであることは疑い得ないと思います。



参考文献:

犀角独歩『大石寺漫荼羅本尊の真偽について』宗教と社会を考える会、2016年。

柳澤宏道『石山本尊の研究』(増補版)はちす文庫、2013年(初版1997年)。









本尊教義の矛盾。








いつもみなさん、ありがとうございます。



ところで大石寺教学の本質とは、自山に唯一絶対の正法があるとする強い正嫡意識、ともすれば独善性・排他性にあろうかと思います。


他の日蓮系教団は日蓮真蹟本尊を拝むだけでなく、例えば釈迦像を拝んだり、鬼子母神帝釈天などを拝んだりもします。
ところが、現在の日蓮正宗の教義(実質的には大石寺26世堅樹院日寛の教義)では弘安2年造立とされる本門戒壇の本尊を唯一の一大秘法として、これだけを根本にするという教義を立てています。


この戒壇本尊が後世の創作に過ぎないことは、このブログで何度か指摘させて頂いています。


「弘安2年の戒壇本尊は日蓮の造立ではない」

「御座替本尊は戒壇本尊の書写ではない」




ところで、日蓮系教団であれば日蓮真蹟の曼荼羅を拝むことは当然のことであるのですが、大石寺創価学会は不思議なことに、大石寺の歴代法主が書写した曼荼羅を拝んでいるんですね。しかもそのことに彼らは何の不思議も覚えません。
日蓮曼荼羅ではなく、大石寺法主書写の曼荼羅を拝む理由は以下のようになります。



戒壇本尊以外の日蓮の本尊は一機一縁の本尊(個々の信徒に与えられた本尊)であるから功徳はない。

②弘安2年の戒壇本尊こそが根本本尊であり、この曼荼羅を拝むことで成仏できる。

③しかしこの本尊は日常的には大石寺に参詣しないと拝めないので、法主はこの本尊を書写して信徒に授与し、信徒は歴代法主の本尊を通して、その本体である戒壇本尊を拝むことかできる。


大石寺の本尊教義は基本このような論理構造になっているわけです。この考え方は「分身散体の義」などと呼ばれたりします。


まず一つ目の問題は、創価学会がこれらの教義を踏襲してきた事実です。実際、信濃町の大誓堂に安置されている創価学会常住本尊は大石寺64世水谷日昇氏によって書写されたものです。
創価学会がそもそもこれを根本にしている時点で、本尊の教義については論理が破綻していると言ってよいでしょう。まして創価学会信徒が日常的に拝んでいる各家庭の本尊は大石寺26世日寛書写本尊です。


つまり「日蓮の正統を主張する教団」が、大石寺64世法主の本尊を根本本尊として、大石寺26世法主の本尊を各家庭に安置して信仰活動を行なっているということになります。これは誰がどう考えても説明のつかない矛盾かと思います。


創価学会側は「御書には弘安2年の本尊が出世の本懐であるとか、この本尊を根本とせよとかの説示はない」としていますが、この見解は身延山日蓮宗等の考え方と基本的に変わりません。


日蓮の『報恩抄』に「本門の教主釈尊を本尊とすべし」とあることから、現在の創価学会日蓮本仏説を否定して釈迦本仏説に移行しようとしているように見えますし、そのための教義の構築を恐らくは宮田幸一氏が担っているのかとは思います。しかしながら創価学会はかつて日蓮宗等に対して「本尊雑乱」とか「宗教において最も大事な本尊義が定まっていない」と言って批判をしてきた過去があるのですから、今回はその批判が自分たちに降りかかってくることを覚悟しなければならないはずです。それにも関わらず、現在の創価学会員さんが本尊の意義について過去も現在の意義もほとんど知ろうともしない現実には驚き呆れる他ないというのが、私の偽らざる実感と言ったところです。




参考文献:
花野充道「日蓮正宗教学の特質ーー正信会と創価学会の新教学創作の試み」『宗教研究』89巻別冊所収、日本宗教学会、2016年。












最近の財務の傾向。





いつもみなさん、ありがとうございます。
昨日に引き続き、ブログ読者からの投稿・情報提供を基にして、今回も書いてみたいと思います。今回は最近の財務についてです。さまざまな方面からの情報提供、いつも本当にありがとうございます。



創価学会組織内では、広布部員(財務)の申し込みがまた始まっているようですが、どうもこの方の情報提供によりますと、最近の財務の傾向として「あらゆる会員さんに財務でお金を出させる」という傾向が強まっているそうです。この方のお話では実感として「年々その傾向が強まっている」と感じていらっしゃるようです。


生活保護の受給者でさえ最近は一部地域で財務をさせている現状がありますし、また年金生活者や大学生でもアルバイトをしていれば財務部員の対象となってきているようです。


私は学生時代、財務はやってなかったはずです。だんだん当時の原理原則が反故にされて、金さえ集まればなんでもありみたいな状況になってきているようです。大石寺系教団の特徴として過去に言ったこともやってたことも誤魔化す傾向がありますが、大石寺創価学会も都合が悪くなると過去の発言を本当に誤魔化します。


最近では更に、無職の男子部員にさえ、地区部長や支部長が家庭訪問をして広布部員の申し込み用紙を配っている有様です。


どうもその背景にあるのは、近年増えてきた傾向なのですが、申し込みをしたのに振り込まない人が増えていることのようです。で、実は高齢者の振り込み忘れが一番多いようですね。
そのため、現在の組織としては担当エリアの会員に総当たりするしか方法がなく、徐々に会員さんの経済状況に気を使う余裕がなくなっているようです。



「財務の問題と昭和52年の問題」

「原田会長の指導。財務と青年の育成について」