気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

ブログの紹介を。

最終更新:2017年8月5


当ブログにお越しいただき、ありがとうございます。また毎回読みにきてくださる方も多く、本当に感謝しています。

当方、元バリバリの活動家だった非活の一創価学会員が、創価学会の現在や教義の問題等を勝手に気楽に語る、非常に趣味的なブログであります(笑)。
なお、このページは随時編集、リンクを追加していきます。


Twitterアカウント
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◯自己紹介、自身の立場の表明として

「自身の過去の告白と総括」
「現在、創価学会の活動に疑問を抱いている方へ」



◯教義の問題について

日蓮本仏説は後世の創作に過ぎない」
日蓮本仏論について」
釈尊を本仏とする文証」
日蓮本仏説の萌芽」
「弘安2年の戒壇本尊は日蓮の造立ではない」
「御座替本尊は戒壇本尊の書写ではない」
「興門流の各文書に見る戒壇本尊への疑義」
 「『余は二十七年なり』って」
「他宗批判と諸教包摂ということ」
「無作三身のこと」
「五時八教について」
戒壇本尊と『御本尊七箇相承』との相違」
「『御本尊七箇相承』から考える」
「阿部日開氏の『二千二百二十余年』」
「万年救護本尊について」
『百六箇抄』の問題点①経巻相承
『百六箇抄』の問題点②男尊女卑思想
『百六箇抄』の問題点③史実との不整合
「諸天の勧請」
「日道『三師御伝土代』を読む」
「日興『三時弘経次第』を読む」
「転輪聖王のこと」
「二処三会は存在しない」
「真蹟遺文に『血脈』の語はない」
「『しうし』か『したし』か」
http://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2017/01/07/001135



創価学会内部の問題について

「池田青年の入信の事実」
「池田名誉会長のピアノ」
「広宣部と言論企画部」
「『実名告白  創価学会』を読む」
「元本部職員3名の精神性」
「原田会長、財務と青年の育成について」
「財務の問題と昭和52年の問題」
「『人間革命』という用語」
「ここが変だよ。創価学会の選挙」
創価学会の選挙戦①公示前」
創価学会の選挙戦②KとFとZ」
「『アンチ創価学会』のこと」
「昭和54年の辞任問題」
宗創問題について①平成2年7月〜12月
宗創問題について②平成2年7月以前のこと
宗創問題について③平成2年〜平成3年


◯史実の検討について。

富木常忍と文書の管理体制」
日蓮の出自は『旃陀羅』か」
「『是生房』か『是性房』か『是聖房』か」
「大乗非仏説と大乗仏教運動について」
「諸々の事象は過ぎ去る」
最澄空海の関係について」



長井秀和さんとの対話シリーズ

「その1」
「その2」



◯ブログ「仏教と批判的合理主義」Libraさんとのメールによる対話シリーズ。

Libraさんとの対話
Libraさんとの対話その2
Libraさんとの対話その3
Libraさんとの対話その4
Libraさんとの対話その5

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法廷証言にみる池田会長の代筆の実態。





いつもみなさん、ありがとうございます。


さて今回は池田大作氏の著作代筆の実態について、ご自身の発言を紹介してみます。



以下は1983年10月31日の山崎正友氏との裁判における池田名誉会長の法廷証言の引用ですが、これを読むと、池田大作氏は会長当時から著作については他人に書かせていたことがよくわかるかと思います。






弁護人「さきほどあなたがおっしゃった八矢英世さん、証人のことを本門弘通の大導師、これは仏様のことですね」
池田「日興上人、本門弘通の大導師白蓮阿闍梨日興、御本仏とつながりますけれどもね、結論は」
弁護人「証人のことをそう表現したの」
池田「そうらしいですね。これは非売品の本らしいんですがね」
弁護人「会員が対象?」
池田「そうでなくて、何人かの人だけの冊数しか作ってない本なんです」
教学と私第1巻を示す。
弁護人「これは証人ご存じですね」
池田「知っていますが、内容は知らない」
弁護人「内容知らない」
池田「知らない、全然読まない、こんなに厚くて読めない」
弁護人「指導する必要から一応目を通すとか」
池田「それはもう膨大な資料ですから、それは読めない」
弁護人「巻頭言書きませんですか」
池田「巻頭言は頼まれれば書いたかもしれません」
弁護人「教学と私、第1巻というものについては書いたかどうか」
池田「はっきりしない。たまに書かす場合もあります。忙しいから」
弁護人「2頁から3頁、はじめにということでね、あなたの署名入りのものが載ってますが、記憶ありますか」
池田「これは誰かに書かしたのかもしれませんね。八矢洋一君かに書かしてなおした場合もあります。たくさんありますから」
弁護人「書かしてなおすというのは、原案は誰かに書かせることはあるけれども、最終稿はあなたが書いて、あなたが責任を持つ…」
池田「そういうことです」
弁護人「この終りの方に、編集に際して、送り仮名、句読点など若干の文章の検閲がなされた、こう書いてありますから、証人がみんな訂正されたことになっている」
池田「それは違う、できるわけがない。だから八矢君かもしれません」
弁護人「じゃ書物に権威付けるために、格好つけた?」
池田「そうでしょう、会内的な本ですから」




1983年時点で池田名誉会長は『私と教学』第1巻について内容を「知らない」「読まない」と発言しています。巻頭言についても他の人に「書かせた」としていますが、誰に書かせたかはハッキリしていません。代筆の理由については「会内的な本ですから」と言い切っています。


ちなみに創価学会から刊行された『私と教学』第1巻は、昭和48年5月3日発行です。ということは少なくとも昭和48年前後には池田会長の代わりに誰かが代筆して書くと言うことはすでに常態化していた可能性が高いということになるかと思います。





対話形式・戒定慧の三学

いつもありがとうございます。

今日は「戒定慧の三学」について、対話形式で書いて見ました。




「やあ、先輩、久しぶりですね」

「なんだお前は、最近活動から遠ざかって! 今に仏罰が出るぞ」

「そんなの信じませんって」

「お前のように理屈で信心を捉えるヤツは、本当の仏法がわからないんだ!」

「まあまあまあ。でも本当に創価学会の信心って『仏法』なんて言えるんですか?」

「なんと罰当たりな! いいか! 創価学会日蓮大聖人様の南無妙法蓮華経末法において広める唯一無二の団体なんだ」

「そんなの聞き飽きましたって。そのあと何をいうのかもわかりますから。ところで質問してもいいですかね」

「なんだ? またインチキな爾前経の話か?」

「いえいえ、創価学会にとって『戒定慧の三学』って何ですか?」

「なんだそのカイジョウエのなんたらってヤツは?」

「ご存知ないんですか?」

「当たり前だ。そんなものは大聖人様の教えにはない!」

「えー! ないんですか! それはありえないはずですよ。」

「そんなもんは聞いたことがないぞ」

「というのは、およそ仏法という宗派を名乗っていたら必ずどの教派にも『戒定慧の三学』というのがあるんですって。」

「それはきっと爾前経だ。法華経にそんな教えはない」

「違いますって。三学というのは仏法の宗派なのであれば、基本の修行として定めなければならないものなんです。それがなければ仏法とは呼ばれないんですって。」

「そうなのか。」

「そうですよ。一般的な用語です。実際日蓮も三学については定めていますよ」

「俺は知らん」

「知らないんですか? 日蓮の三学が何かがわからないというのは大問題ですって。任用試験でも出てくるものですけど。」

「さて何だろう」 

「ほら、三の数字がついてるヤツで何か思いありませんか?」

「わからん」

「ほら、『三大秘法』ですよ」

「お前、知っててわざと俺に質問したのか? 人を小馬鹿にするにもほどがある」

「そうじゃないんです。つまり日蓮が『三大秘法』を『戒定慧の三学』として考えたんだけど、実際の学会員さんは『三大秘法』をじゃあ『戒定慧の三学』としてどのような意味で考えているのかを知りたかったんです。」

「そんなの決まってる。末法は無戒なのだから三大秘法の『本門の本尊』と『本門の戒壇」と『本門の題目』がそれを兼ねるんだ」

「ではどれが『戒』で、どれが『定』で、どれが『慧』にあたるんですか?」

「そんなことはどうでもいいんだよ。末法は無戒なのだから、御本尊の前でお題目を唱える時に全てが収まっているんだ。」

「収まっているというのは学会員さんがよく言われる説明ですよね。それでも構わないとは思うんですが、それなら三大秘法のそれぞれのどの部分のどういうところが末法における『戒・定・慧』になっているのか、学会員さんってほとんど何も説明できないんですよ。」

「そんなことは枝葉の問題で、大事なことでも何でもないぞ」

「ところがね、この『三学』というものが何なのかわからないから、他宗派はやっぱり創価学会仏教の団体とは見做さないんだと思うんですね。」

「どういうことだ? 三学が要するに戒と定と慧なんだろう? それならそれぞれが『本門の戒壇』と『本門の本尊』と『本門の題目』でいいじゃないか。」

「確かにそれで合ってると思うんですね。でも『本門の戒壇』のどのへんが『戒』つまり戒律になっているのかとか、『本門の本尊』のどういうところが『定』つまり教えの中心なのか、そして『本門の題目』のどういうところが『修行の実際の経典、智慧なのかってことを、会員は誰も考えようとしていないし、それを考えないでただ題目の功徳ばかりを主張するのは仏教と呼ばれないんじゃないかのかなってことです。」

「そんなことはない。ちゃんと題目をあげて祈ればそれが末法の修行なんだ。」

「それはそれでもよいと思うんですね。だけど御本尊の前で端座して題目を唱えることの、どの部分が『戒』で、どれが『定』で、どれが『慧』なのか、教団として統一されたものがないとすれば、それは仏教の一宗派としてどういう団体なのか不明瞭ということになりませんか?」

「お前の言うことはわからん!」

「なるほど。確かにこれについては個人で考えるべき問題なのかもしれませんが、明確な何かを創価学会本部がちゃんと三大秘法の説明で果たし得ているかということに私はどうしても疑問符がついてしまうということなんです。」





池田会長「10億円を出せ」 発言。

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いつもみなさん、ありがとうございます。




さて今回は昭和48年10月14日に、池田大作氏(当時会長)が大石寺法主である細井日達氏に対して「10億円を出しなさい」という趣旨の発言があったと言われます。これについていろいろ検証してみたいと思います。



これは正本堂から出てきた日達氏に対して東側の広場で公衆の面前で「約束の10億円をはやく出せ」と大きな声で言ったと言われています。
そしてこの後すぐ雪山坊の2階の会議室での連絡会議に池田会長は出席しています。



猊下 『だいたい会長さんは十月に公衆の面前で私を罵倒したでしょう。あなたはそばにいたからしっているでしょう。私はがまんした。あなたは会長さんの弟子だから、私がやられるのを見て気持ちがよかったかもしれないが、いきなり十億といわれた。』」
(昭和49年5月10日、北条報告書)




「昭和49年頃(注:48年の誤り)、御開扉の終わった後で、池田前会長と福島源次郎氏(当時副会長)が、猊下がお通りになった時、『今頃来やがった』とまず福島が言い、池田前会長は『○○億円だせ』と怒鳴ったという事件があった。猊下の気性から思えば、その時はずいぶんと押えられたと思うが、その後、内事部へ来られて、『ああいう体質では、もう学会とは一緒にやっていけない。たとえ小さくなっても日蓮正宗の信仰を守っていきたい』と悲痛な表情で仰せられたのである。」
(小川只道『暁鐘』第20号)




「昭和48年10月14日、正本堂建立一年後、正本堂東側広場で、池田先生は日達上人を怒鳴りつけられました。
『これだけご奉公したんです。御褒美を下さい!私が欲しいのは猊下の慈悲です。猊下はすぐお忘れになってしまう。学会を奴隷にしないで下さい。このままいったら宗門はめちゃくちゃです。』
私はその場におりませんでしたので正確な内容ではありません。また、活字になるとそのすごみはなくなります。
これを裏付けるものとして、同じ日に総本山雪山坊二階会議室にて御宗門と学会との連絡会議が行われた、その記録がありますので掲載させていただきます。
富士宮市長との戦いだ。よっぽど連係をとらないとやられる。ヒゲ(市長・社会党)は、前の山川なんかよりずっと政治家だよ、あれは。私自体は、湊川の決心です。』
『学園(創価女子学園)の寄付については、猊下に、正々堂々とお願いします。交野(かたの京都府交野市、創価女子学園のあるところ)の寺院へ(猊下が)見にいって、寄宿舎がないことにはしかたがない。二億円を寄附しましょうと、猊下が言われたんです。』
『それを正本堂の基金を使ってとはなんですか。(表彰状を)たたき返すか!といってもいたんです。』
『これだけ宗門のために尽くしているのが…(先生ご自身のことをいわれたと思います)
一人の人間が大事です。』
『宗門は、こ息なゴマカシをやめて、宗教人らしくふるまったらどうですか。』
『僧侶も千人以上になった。寺院も増えた。財政も増えた。学会は総力をあげたんですよ。宗門のために……。』
『本山から、大学へ10億円、寄附して下さい。いいですか!これだけやって、正本堂を建立して、感謝状一枚で、ごまかして。内容を吟味すべきです。学会人は純真だから、とんでもない。こんなものいるか、とつき返そうかと思った。』
『ほんとだったら(猊下の方から)こうこうこういうふうにさせてもらいます、というのが礼儀です。あまりにも、世間を知らなすぎます。うけてもらえますか!』
『生命をかけている人間に冷たすぎます。後世の為に危険です。今のやり方は、信者がかわいそうです。』
『坊主に対する教育は頼みますよ。教育がよくない。本山のことを総監さんが知らないことはよくない。十年前の宗門とは違うんだ。全部、総監さんが知らなくてはいけない。』
『帝国ホテルなどに招待はいらない。五百万円と七百万円をもらった方がよい。』
富士宮市への寄附は、七億円です。頼みますよ。学林は、本山で建てるように。』
『大聖人様は、ムシロ三枚でも、立派なご真筆をくださっているじゃないですか。こっちは、毎日、袋だたきだ!』
猊下(日達上人)に偉い偉いといってるばかりが外護ではない。猊下を守り、猊下に言える人が、いちばんの外護なのです」
『偉大な外護がいて、なんでもいってくれる人がいた方がいいんだ』
『衣のかさをかぶって信徒にいばるのは許されない』
これが機縁となって、例の早瀬総監と北条理事長との間で、本山から学会へ13億円の寄附、学林は本山で建てる、などの取り決めとなったものです。」
原島嵩『池田先生への手紙』)



「一、創価学会の多年に亙る広布創業の労に対し、宗門は満腔からの誠意を表し一金壱拾億円を贈る。
二、正本堂基金370,600,000円(現残高)については昭和49年4月以降、創価学会において自由に使用して頂きたい。
三、富士宮市の市民センター建設に対する寄付要望については、大石寺として七億円を考える。本件については創価学会と緊密に連携を保ちつつ対処する。
四、富士学林の建設は大石寺で行う。
以上。
昭和48年10月17日
日蓮正宗総監  早瀬日慈
創価学会副会長  北条浩」
(昭和48年10月17日、早瀬日慈氏と北条浩氏との間に交わされた覚書全文)



上記の「覚書」の通りにされたと仮定すると、大石寺から創価学会におよそ13億円程度のお金が流れたということになります。
原島氏の著作から考えるに、池田会長は大石寺創価学会に対する姿勢を正し、批判するためにそのような厳しい発言をしたというのはまだ理解できますが、そのための方法論が「10億円を払いなさい」というのは私は論理としてあまりよくわかりません。
例えば大学に寄付が必要だというなら、その旨を創価大学の関係者や創価学会員に周知して財務を募ればよいのであって、それを大石寺宗門からこちらに払えというのは、筋として少し違うのではないかという印象を受けます。


みなさんはどうお感じになるでしょうか。



教団を肯定するなら本尊は何でもありか。






いつもみなさん、ありがとうございます。



さて今回は「創価学会員さんの個人によって御本尊の定義はバラバラ」ということを考えてみたいと思います。


個人で何を考えようが別に思想上の自由なんですが、本尊という根本の問題でも個々の創価学会員に聞くと実は答えが一貫していません。




例えば



「形としての御本尊が大事なのではない! 大切なのはお題目を唱えることであって、真剣に唱題する時に信心の血脈が流れ通う。」



とか言う人がいるかと思うと、



「御本尊は重要であって、現代にあっては創価学会の授与する日寛上人の御本尊にお題目を唱えることで功徳を積むことができる。」



とか、



「御本尊は私たちの胸中の肉団にあるのです。我が身即御本尊と思って題目を唱えることが大切。」




とか、



「君は文証とか言うけど、大切なことは現証だ。現実に功徳が出る御本尊であれば、それは偉大な御本尊なのだ。」



とか、



本当にバラバラなんです(笑)。
要するに本尊という宗教の根幹の問題でさえも、個々の見解で別に構わないって感じなんですね。重要なのは創価学会では「創価学会を肯定するなら何でもいい」っていう風潮を感じることです。



それって何でもいいんですか?(笑)




要するに「創価学会」と「池田先生」を評価してくれるなら、教義なんて別になんでもいいってことなんですかね?(笑)




この辺についてはまだ大石寺の方が欺瞞だらけとはいえ一貫性はあるかと思うんですよね(笑)。何はともあれ彼らにとって「弘安2年戒壇本尊」が絶対であり、そこに繋がらなければ功徳はないという立場ですから(大石寺の教義に私は全く共感していませんが、教義の一貫性という意味では理解できます・笑)。



まあ大石寺も歴史的にその時その時で都合のよい教義を採用してきた史実があるので似たり寄ったりかとは思うんですが、こと創価学会については教義の整合性についてはあまり考えない体質になっています。
「そんな文証とか理証とかは別に何でもいいから、御本尊にお題目を唱えてみようよ。まずは功徳を受けてみたら君もきっとわかると思うよ」なんて、そんな言い方をするんですね。どっかのネットワークビジネスみたいですけど。




現在の名誉会長の病状。






いつもありがとうございます。


最近急速にアクセスカウント数が増えつつあります。一日あたり数千にも及ぶアクセスがあり、本当に驚いています。みていただき、本当に感謝しています。


さて池田名誉会長は現在、全く人前に姿を現さない(というより現れてはいるけど聖教新聞等で報道されない)のが常態になっています。
お身体が悪いとか、認知症だとか、ネット上では勝手な推論が飛び交っているところなのですが、いろいろと本部職員や一般会員からの目撃情報を得るうちにだんだん推察ができてきました。


個人の保護のため、情報源は特定できないのですが、少なくとも2015年〜2017年の池田名誉会長に関する証言を総合すると、以下のような感じになります。




1、車の中から手を振った際に、手の動きと引きつった表情、とりわけ口元がいびつで不自然だったとのこと(その方たちの証言によれば、窓を開けてかなりゆっくり車が走ったので確認できた)。


2、視線は確かにかつての生気に満ちた感じではないが、焦点はきちんとあっていて、意識は比較的ハッキリしている。


3、言語が不明瞭。これは複数の証言でも一致している。呂律が回ってないので近くにいてもハッキリと聞き取ることは難しい。ある方の証言では「ありがとう」と言われていたそうだが、これは口の形から判別できたとのこと。


4、人に会おうとする意志、言葉をかけようとする意志がある。言語不明瞭でありながらも会員に話しかけようとしていることが見て取れる。


5、池田名誉会長は認知症ではなく「脳梗塞」あるいは「脳梗塞の後遺症」とする意見で何人かの見解が一致した。視線や焦点は比較的明確でハッキリとしているため認知症とは考えにくいとのこと。


6、病状が報道されないのは池田名誉会長の意志ではなく周囲の意志のよう。名誉会長自身はむしろ人に会おうとしたり、話そうとする意識が感じられる。また本部職員も報道しないことで名誉会長を守ろうとする意識が感じられる。


7、そのような状態でありながら、池田氏は人前に出ようとしていて、それを周囲がなんとかできるだけフォローしている。



と、そんな感じになるでしょうか。
どうも現在は一時期よりも名誉会長の病状も回復し、意識も判断力も比較的ハッキリしているようです。
上記の証言から総合して、私は現状の創価学会本部、また公明党の方針に対して、池田名誉会長は事実上の容認をしていると考えるのが自然であると判断しています。



思想的陶冶のできないアンチブログ。






いつもみなさん、ありがとうございます。

さて今日のテーマは「アンチ創価」系のブログについて、思うことを書きたいと思います。



創価学会に恨み節ばかりで、相手を口汚く罵って呪うだけのブログは論外ですけど(笑)、最近は「アンチ創価」系でも、内容的によく検証された、素晴らしいブログが増えています。勉強させていただき、本当に感謝しています。ありがとうございます。



さてアンチ創価系でも意外にいるのですが(私は文献も読み漁りますが、ネットもかなり見る方だと思います・笑)、他のブログを一方的に批判しながら、自分で自前の思想を作ることがなかなかできない人たちが見られます。



つまり思想的な訓練をしたこともなく、教学の検討も自前でできない人たちが感覚的に現状の信濃町を批判しているのです。


まあ、何を言うのも自由なんですが、他者の批判だけでその内実たる思想がなければすぐにネタは尽きてしまうと私は思うんですね。


「底の浅い思想は消え去る」


もしも底の浅い批判であれば、いずれ書くことがなくなり、他のブログを批判するだけという「他者への寄りかかり」に過ぎなくなります。そして更新が途絶えがちになっていずれ消えていくことは明らかです。事実、そんなブログなんて山ほどあるじゃないですか。このブログをご覧の方なら既に見て知っているかと思いますね。



私の願いは以前ブログで書いたように、自力で文献をきちんと読んで自分の頭で教義を考える人が一人でも多く出てくることです。


「このブログの願い」


別に私のように考える必要なんてありません。私の考えが違うならきちんと文献的に検証をされた上で批判されたらよいのだと思います。私も今の自分の見解に固執する気はありません。



以前、ブログ「仏教と批判的合理主義」管理者のLibraさんとメールで対談もしましたが、Libraさんから学んだ最も大きな点は「批判的合理主義」ということです。彼は自身の見解に別に固執してはいませんし、より検討をしてより普遍性の高い議論へと進んだり、場合によっては自身の見解を更新することも辞さないはずです。



自分の固執している「法我見」「人我見」を乗り越えること、自身の思想的な基盤を見直すこと、場合によっては自己否定も辞さないこと、それらが大切なことなのですが、こと創価学会という特異な宗教団体の一員だった方は、そういった思想的陶冶に耐えられない人が多く散見されるような気がします。