気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

ブログの紹介を。

最終更新:2017年11月23日


当ブログにお越しいただき、ありがとうございます。また毎回読みにきてくださる方も多く、本当に感謝しています。

当方、元バリバリの活動家だった非活の一創価学会員が、創価学会の現在や教義の問題等を勝手に気楽に語る、非常に趣味的なブログであります(笑)。
なお、このページは随時編集、リンクを追加していきます。


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◯自己紹介、自身の立場の表明として

「自身の過去の告白と総括」
「現在、創価学会の活動に疑問を抱いている方へ」
「私のブログへの批判に対して」
◯教義の問題について

日蓮本仏説は後世の創作に過ぎない」
日蓮本仏論について」
釈尊を本仏とする文証」
日蓮本仏説の萌芽」
「弘安2年の戒壇本尊は日蓮の造立ではない」
「御座替本尊は戒壇本尊の書写ではない」
「興門流の各文書に見る戒壇本尊への疑義」
「『三師御伝土代』と戒壇本尊との矛盾」
「六壺の日興本尊も贋作か」
「『余は二十七年なり』って」
「一生成仏について」
「他宗批判と諸教包摂ということ」
「無作三身のこと」
戒壇本尊と『御本尊七箇相承』との相違」
「『御本尊七箇相承』から考える」
「阿部日開氏の『二千二百二十余年』」
「万年救護本尊について」
『百六箇抄』の問題点①経巻相承
『百六箇抄』の問題点②男尊女卑思想
『百六箇抄』の問題点③史実との不整合
「諸天の勧請」
「日道『三師御伝土代』を読む」
「日興『三時弘経次第』を読む」
「転輪聖王のこと」
「二処三会は存在しない」
「真蹟遺文に『血脈』の語はない」
「『しうし』か『したし』か」
http://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2017/01/07/001135
「宿命は日蓮の思想ではない」



創価学会内の問題について

「池田青年の入信の事実」
「池田名誉会長のピアノ」
「正木さんの師弟観」
創価学会内部の教義的な分裂について」
「仏法は師弟なのか」
「歴史的役割の終わり」
戸田城聖という人」
「広宣部と言論企画部」
「『実名告発・創価学会』を読む」
「元本部職員3名の精神性」
「元職員三人の今後の資金繰り」
「原田会長、財務と青年の育成について」
「財務の問題と昭和52年の問題」
「『人間革命』という用語」
「ここが変だよ。創価学会の選挙」
創価学会の選挙戦①公示前」
創価学会の選挙戦②KとFとZ」
「『アンチ創価学会』のこと」
「昭和54年の辞任問題」
「宗創問題について①平成2年7月〜12月」
「宗創問題について②平成2年7月以前のこと」
「宗創問題について③平成2年〜平成3年」
「『南元センター』について」

◯史実の検討について。

富木常忍と文書の管理体制」
日蓮の出自は『旃陀羅』か」
「『是生房』か『是性房』か『是聖房』か」
「大乗非仏説と大乗仏教運動について」
「諸々の事象は過ぎ去る」
最澄空海の関係について」
「五時八教について」
「法華三部の発想」



長井秀和さんとの対話シリーズ

「その1」
「その2」



◯ブログ「仏教と批判的合理主義」Libraさんとのメールによる対話シリーズ。

Libraさんとの対話
Libraさんとの対話その2
Libraさんとの対話その3
Libraさんとの対話その4
Libraさんとの対話その5

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信の強調。




いつもみなさん、ありがとうございます。


さて釈迦の教えとは本来宗教とか信仰とかでさえなかったと私は考えています。



実はスッタニパータには「信」とか「信仰」という文字は全然出てこないんです。
むしろ信じることを強調するのは、釈迦の教えというより、後世のヒンドウー等の影響が強いのだと思います。


「神への絶対の信」を強調するのは紀元前5世紀〜紀元前2世紀頃までに編纂された『バガヴァッド・ギーター』の影響であり、ここで用いられる「バクティ」の概念の流行によるものです。
西北インドに現れた思想運動バクティの流行によって、次第に仏教徒の「信」の概念も「絶対的な神仏や法への信」とすり替えられていきます。
釈迦の説いた教えは、本来実践行であり、修行するものであったはずなのですが、それがいつのまにか、修行そのものが「信」というものに解釈されるようになります。


法華経は「信」を強調する経典です。さらに鳩摩羅什の訳がその「信」を強めていき、日蓮の題目はますます「信」を強めていることになります。


日蓮法華経受容には絶対の法への強烈な信を感じます。それは敬意に値するものなのかもしれませんが、何かを絶対視して偉大な神仏や法の実在を強調することは、釈迦の本来の教えとしての実践行からはかけ離れてしまい、むしろそれはヒンドウー的なバクティの信の変容した姿としか私には感じられません。



人を仏としたり、法を絶対視するような姿勢は本来の釈迦の教えには存在しません。
池田大作を絶対視したり、大石寺の教えを絶対視したり、日蓮を仏として絶対視したり、法主を絶対視したりする態度は、私は本来の仏教ではないと思います。



信仰に毒された人は、自分の信じる法を物差しにして、他者を善悪に立て分ける病気にかかります(かつての私もそうでした)。
私がやろうとしているのは、日蓮の題目を止観の修行の場として捉え直すということです。その意味で私は大乗仏教の徒である自覚はありますが、すでに信仰というものは卒業したようなものなのです。











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日興から日代への相承。

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いつもみなさん、ありがとうございます。


ところで日興の新六の弟子の筆頭に重須養運坊日代という人がいます。
日代は日興より重須管長の継承があったのですが、このことを示す証拠が西山本門寺の本尊に遺されています。


具体的には「康王2年6月8日」とされる本尊の中に「日興上人、伝燈日代」と書かれています(画像参照)。


また大石寺17世日精は『家中見聞中』において、日目書写本尊の中に「日興上人、伝燈日代」(永徳3年10月)、「日興上人、遺弟日代」(貞治4年7月)と書かれてあったことを記録で残しています(富士宗学要集5-204ページ)。


ということは、歴史的に日興からの相承は複数存在し、大石寺は日目に譲られ、重須北山は日代に譲られたと考えるのが自然でしょう。大石寺が主張する唯授一人の相承などというものは、基本的に後世の創作であるかと私は思います。




参考文献:
柳沢宏道『石山本尊の研究』はちす文庫、増補版、2013年。



『七箇相承』の「書くべし」




いつもみなさん、ありがとうございます。


さて『御本尊七箇相承』には「日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何、師の曰く深秘なり代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(富士宗学要集1-32)と書かれています。



ところで不思議なことなのですが、大石寺系の本尊に「日蓮在御判」の文字はあっても「嫡嫡代々」と書かれた御本尊を見たことがありません。


『御本尊七箇相承』には明確に「書くべし」と書いてあるのに、大石寺の御本尊にはそう書かれていません。しかも根本の戒壇本尊でさえ『七箇相承』の「書くべし」とした指示と違います。



「又本尊書写の事予が顕はし奉るが如くなるべし、若し日蓮御判と書かずんば天神地神もよも用ひ給はざらん、上行無辺行と持国と浄行・安立行と毘沙門との間には・若悩乱者頭破七分・有供養者福過十号と之を書く可し」
(同32ページ)


「仏滅度後と書く可しと云ふ事如何、師の曰はく仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内未曾有の大曼荼羅なりと遊ばさるる儘書写し奉るこそ御本尊書写にてはあらめ、之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり」
(同32ページ)


日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何、師の曰く深秘なり代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」
(同32ページ)




日目の書写本尊では、正中3年書写本尊(小泉久遠寺蔵)も元弘3年10月13日書写本尊(柳目妙教寺蔵)の両者とも「日蓮御判」が書かれていません。両者ともに「日蓮聖人」と書かれています。

大石寺戒壇本尊には「若悩乱者頭破七分」「有供養者福過十号」の文字が書かれていません。

大石寺戒壇本尊には「仏滅度後二千二百三十余年」とは書かれていません。戒壇本尊では「仏滅後二千二百二十余年之間」と書かれています。



『御本尊七箇相承』において「書くべし」とされているのに、そう書かれていないんですね。
『七箇相承』には「之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり」とまで書かれているのにも関わらずです。



こういうところからも、大石寺の教義というもののいい加減さがなんとなくわかる気もします。



参考文献:
柳沢宏道『石山本尊の研究』はちす文庫、増補版、2013年。


海外SGI組織の混乱と内紛。




いつもありがとうございます。


さて創価学会内部からさまざまな情報のリークを頂き、本当に感謝しています。
なかなか全ての情報を詳細にお伝えできないもどかしさもあるのですが、可能な範囲でお伝えします。


まず「創価学会会憲」にも記載のある「SGI規約」なるものは、きちんと存在しています。ところが、このSGI規約は非公開であり、規約にアクセスできるのは、ごく一部の幹部に限定されています。複数のルートを通じて私も現在、規約の入手を考えていますし、その時はきちんと公開したいとも思っています。


どうも規約の文言によりますと、「教師」「準教師」の資格を喪失すると、職員として失職することになるようです。つまりこれは一方的に信濃町の判断で職員を解雇できることを意味しています。



またSGIの各国組織はかなり動揺していまして、だんだん当事国の理事長や幹部では統制が難しくなってきていることがわかります。このことはどうも来日の際に信濃町執行部に意見する人が増えてきていることからも推測できます。


ヨーロッパの、とある「A国」では御本尊下付が停止されるほどの内紛が起こっており、危機的な状況になっています。数年前に起こった別のヨーロッパの某国のSGI組織の崩壊に似たものさえ感じさせます。


またヨーロッパの別の「B国」では首都の「グループ」組織が、そのまま丸ごと組織内組織を結成し、分派独立。全国幹部までも一時的にそちらの派閥に所属する事態に至りました。現在、この国は執行部からの派遣があり、表面上は沈静化していますが、いつ火を噴くとも限らない火種を組織内に抱え込んだままです。


またフランス語圏のとある「C国」等では、ある日本グループと接点のある現地会員が、公明党の政策上の矛盾や執行部幹部の不正を告発することまで行っています。


また別のヨーロッパの「D国」は大石寺組織が支援に入り、遠藤文書や会憲の翻訳版まで出回る始末です。


また大石寺組織が「今ならヨーロッパSGI組織を取り込める」と判断し、創価学会組織の切り崩しにかなり活動しています。そのため外国語ができる要員の確保が急務で、信濃町SGI組織の人材の懐柔にまで金が動いているようです。












空海こそ「民衆仏法」



いつも皆さん、ありがとうございます。


さて私は日蓮が民衆と交流した形跡が遺文中に見られず、日蓮がなんら民衆救済に貢献した史実も存在しないことから、日蓮は民衆仏教ではないと考えています。


日蓮は民衆仏法ではない。」

日蓮は民衆仏法ではない。その2」


ところで、創価学会の方の多くが日蓮を民衆仏法であると考えていまして、その根拠を「一切衆生の成仏を明らかにした」とか「一切衆生の成仏と救済の意志を持っていた」とすることが多いです。


ところで、私の素直な疑問なのですが、そもそも仏教の派祖で「一切衆生の救済」を願わない人物など存在するのでしょうか。
もしも「一切衆生の救済」や「民衆の救済・成仏」を「民衆仏法」の根拠とするなら、それはむしろ空海こそ「民衆仏法」と言えるのではないかと考えています。


「即身成仏」という語を作り出したのは空海であり、一切衆生に仏性が存在し、即身成仏の理論を展開したのは空海の『即身成仏義』が最初です。
また天長5年(828年)に、空海綜芸種智院と呼ばれる学校を建設しました。当時の教育機関は貴族や郡司等の役人の子弟にしか教育の機会を与えていませんでしたが、空海綜芸種智院は日本で初めて一般民衆、広く庶民に対して門戸を開いた画期的な学校でした。



その意味で考えれば、日蓮を「一切衆生の成仏を願った」からこそ「民衆仏法」と定義するなら、その先駆としてむしろ弘法大師空海こそ真の「民衆仏法」であると私は思います。


日蓮は智顗より湛然に近い。




いつも皆さん、ありがとうございます。



さて私はそもそも一念三千説は即身成仏の種子でも何でもないと考えています。
日蓮がやったことは天台智顗ではなく、妙楽湛然の一念三千説の利用です。それは見直されるべきかと。



「一念三千は即身成仏の種子ではない」



以前、Libraさん他の方とも話していて話題になったことですが、そもそも天台智顗の一念三千と、妙楽湛然の一念三千って考え方が違う気がするんですね。そして日蓮の一念三千はどちらかというと湛然に近い(止観輔行伝弘決などですね)。むしろ智顗の止観の方が龍樹の本来の思想に近いでしょう。


そもそも天台智顗には「一念」「三千」の用例はあっても「一念三千」の用例は存在しません。
「一念三千」という語を用いて、それが智顗の極説であるとしたのは、実は妙楽湛然なのであって、日蓮の一念三千説は湛然の影響下にあるんですね。私はもう一度智顗から見直すべきかと思います。


つまり湛然は智顗の一念三千説を教義として固定化する意味合いが強いんですね。もちろん湛然により、智顗の一念三千説が天台宗の教義として確定した、その功績があることは事実でしょう。しかし『摩訶止観』を読む限り、智顗が教義として一念三千説を固定化して考えていたとは言い難い。その意味で智顗の思想は、むしろ龍樹の空観に近いのだと思います。