気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

大乗仏教経典は歴史的人物としての釈迦の教えを記したものではない。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて私は法華経等の漢訳大乗経典群が、そもそも歴史的事実として釈迦が説いた直説ではなく、少なくとも釈迦の死後数百年後に成立したものなのだと言うことを繰り返し、このブログで述べています。
 
 
「第一結集について」
 
「カルト的倒錯の克服」
 
「釈迦の最後の教えは自ら求めていくもの」
 
最大の問題は、インド大乗仏教はそもそも歴史的事実として釈迦の説いたものではないにもかかわらず、それら経典群が中国語に漢訳された際、中国はそれらを釈迦の直説と捉えてしまったことなのかと思います。それらの多くは宗教的使命感によって肯定されたことで、全てに作為的な悪意があったとは言えませんが、少なくとも釈迦の教えでない、後世の創作物を釈迦の直説であると結果的に誤解させることになってしまったのです。
 
 
これらの問題に関して、仏教史研究者である船山徹氏(京都大学教授)は著作で次のように述べています。
 
「中国で仏教経典といえば、普通は漢訳された経典のことである。経典すなわちスートラは「如是我聞(このように私は聞いた)」という有名な決まり文句から始まる。ところでインド仏教の場合、スートラの場合には、釈尊の直後から連綿と伝えられた内容を保持する阿含経典(アーガマ)と大乗経典の二つがあった。大乗は紀元一世紀あるいは直前頃に成立したと推定され、その正確な成立年代はともかく、大乗が釈尊より数世紀後に生じたことはまちがいない。そしてその大乗も『法華経』『般若経』『維摩経』など数多のスートラを産出したのだった。したがって歴史的事実という観点から言えば、インド大乗仏教のスートラは歴史的人物としての釈迦牟尼の教えを記したものではないのだが、そうした大乗経典をも含む諸経典群が中国に伝来し、漢訳されると、中国人はインドの経典をすべて一様に「金口(黄金に輝く釈尊の口)より発せられた教え」として受容した。そして当然の帰結として、漢訳された経典をすべて真性の仏説とみなした。
(中略)一方で、訳出より数は少ないが、中国の仏教徒の中には自らの手で経典を作成した人もいた。そして自らの作成した経典を、あたかも釈尊が直々に説いた内容に何ら手を加えることなく訳出したかのように装って世に登場させ、普及させた。このように中国で偽作した経典を「偽経」と言う。」
船山徹『仏典はどう漢訳されたのか スートラが経典になるとき』121〜122ページ、岩波書店、2013年)

ここで上に述べられているようにそもそもインド大乗経典群自体が釈迦の死後に成立したもので、本来釈迦が説いたものではなかったのですが、それが中国に伝えられた時点で全てが釈迦の「金口」、真説として捉えられてしまいました。そしてそれらを教義として補完するために中国で偽経が作成されたのです。上記の引用ではインド大乗仏教のスートラは歴史的人物としての釈迦牟尼の教えを記したものではないとまで述べられています。
当然ながら、日本の比叡山に伝わっていた漢訳経典は全て中国を経由して釈迦の直説として信じられていました。だからこそ日蓮も誤解してしまい、それらを歴史学的に検証する術を持たず、信じることしかできなかったのです。日蓮の五時八教判は智顗の説を踏襲したものですが、そもそもそれらは前提として誤っており、現代においては歴史的事実から否定されるべきものなのです。