気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

法華経自体に示唆される法華経創作説。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
さて今回は大乗非仏説ということと、大乗経典創作者ということを考えてみたいと思います。
 
多くの方が既にご存知のことですが、推測するに大乗仏教は多くの経典を創作し、それを修行する集団として維持発展されてきたものと考えられます。以下のブログ記事で以前に中村元氏の見解を紹介しましたが、中村元氏は「大乗経典は、それ以前に民衆の間で愛好されていた仏教説話に準拠し、あるいは仏伝から取材し、戯曲的構想をとりながら、その奥に深い哲学的意義を寓せしめ、しかも一般民衆の好みに合うように作製された宗教的文芸作品である」と述べています。
 
大乗仏教運動と教化の特徴」
 
そして明治期に日本に入ってきた西洋仏教研究によって「大乗非仏説」、そして大乗経典群の後世による創作説は疑う者もほぼない常識的な見解として確立しています。
「大乗非仏説」は大乗経典が釈迦の直説ではなく、後代の創作であることを意味するのですが、では誰が大乗経典を創作したのかという問いは言わば放置され、あまり語られないで来ました。それには作者問題に関わる研究の状況も整わなかったこともあり、また釈迦の本意を開いたのが大乗経典であるとしたい大乗経典宗派側の護教的な思惑も恐らくあって、触れられずに来ていたというのが正直なところなのではないでしょうか。
 
ところで日本における仏教研究の学界で、最初に大乗経典の作者について言及したものとして、静谷正雄氏の研究が嚆矢とされるようです。
静谷氏は法華経の法師品、法師功徳品で経典を受持、読誦、解説する人を「法師」(dharma-bhāņaka)と呼んでいることから、法華経の創作者を「法師」であったのでないかと推察しています。
ここでの「法師」とはサンスクリット原典で「ダルマ=バーナカ」(dharma-bhāņaka)すなわち「教えを説く者」と訳されます。そして法華経法師品では「教えを説く者」(法師)の役割が高く評価され、釈迦の使者として持ち上げられるようになるのです。
 
加えて『法華経』法師品では「この教説は全ての世の中に受け入れられず、また全ての世の中から信じられていない」ということが描かれています(『法華経』(中)153ページ、岩本裕訳、岩波文庫)。

鳩摩羅什漢訳でなかなか原典のニュアンスが伝わりにくいので、サンスクリット原典の訳を挙げましたが、これによるなら当時の『法華経』を生み出した教団ないし宗派が弱小であり、様々な批判に晒されていた事実を示していることになります。
この「法師」の位置付け、説明から、大南龍昇氏は「経典製作に関わる者として、法師が最も近くに位置する存在」だった可能性を指摘しています。
 
さらに『法華経』勧持品では、初期の法華経教団が「教団が経典を創作したとして批判される」ことが述べられているのです。
具体的に示してみましょう(『妙法蓮華経並開結』創価学会版、419ページ)。

 
法華経を修行する者たちが未来において「自らこの経典を創作して、世間の人を誑惑する」として、他宗派から批判されることが勧持品では既に想定されており、そのことが書かれているのです。
つまり法華経の当時の信奉者たちは、彼らから見て「増上慢」の人たちが「大乗非仏説」を述べて初期法華経教団を批判してくることを既に想定しており、そのことがむしろ法華経の正しさの証明なのだとしているのです。
 
法華経の「法師」「教えを説く者」が大乗経典の創作者であるかどうか、その決定的な証拠は経典には存在しないかと思います。しかし『法華経』法師品、勧持品の記述から見れば、既に初期法華経教団は他宗派から「大乗非仏説」の批判を受けていたこと、また「経典の創作をした」と批判されていたことが推察できるということです。
 
参考文献
大南龍昇「大乗経典のゴーストライター」『印度学仏教学研究』第39巻2号所収、日本印度学仏教学会、1991年