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「「二十余年」と「三十余年」」
「『三師御伝土代』と戒壇本尊との矛盾」
「興門流の各文書に見る戒壇本尊への疑義」
「阿部日開氏の「二千二百二十余年」」
ちなみに大石寺開山の日興の書写本尊は全て「二千二百三十(丗)余年」で書かれています。日興書写本尊には「二千二百二十余年」と書かれたものは存在しません。
これは戒壇本尊に書かれた「二千二百二十余年」と矛盾します。戒壇本尊では明確に「二千二百二十余年」と書かれているのです。以下は柳澤宏道『石山本尊の研究』(はちす文庫、平成9年)収録の戒壇本尊の座配図です。
ところで、大石寺教学を決定づけたと言われる、26世堅樹院日寛も、なぜか明確に「二千二百三十余年」説を採っているのです。以下の画像は日寛の『妙法曼荼羅供養抄談義』(『富士宗学要集』10-75ページ)ですが、ここでも明確に「弘安二年より三十余年なり、御本尊を遊ばすに付て佐渡已後の義あり」と明確に述べています。
日寛が言うように「御本尊書写には佐渡以降の特別な義」があるとするなら、弘安2年造立説の戒壇本尊は「二千二百三十余年」と書かれなければならない筈です。事実、日興書写本尊に「二十余年」と書かれたものは一体も存在しないのです。