気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

「一切は現証に如かず」と書かれた『教行証御書』は偽書である。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて今回は「三証」ということについて、考えてみます。
「三証」とは創価学会日蓮正宗系教義の説明するところによるなら「文証」「理証」「現証」のことになります。
創価学会の公式サイトによるなら、文証は経文の上で裏付けを持っているか、理証はその教義や主張が道理に叶っているか、そして現証はその宗教を実践した結果が、生命や生活、社会でどのように現れたかという形で説明されています。そして創価学会公式サイトでは「この三証のどれか一つが欠けても正しい宗教とは言えません」とされています。
 
 
では日蓮正宗の方ではどうなのでしょう。
日蓮正宗では公式サイトにそのように教義を明確に説いたところがなく、各末寺や地方の法華講、また僧侶が大石寺の「三証」を各々で説明する傾向がネットでは見られます。
その中で若干気になったのは、『教行証御書』の「一切は現証には如かず」(創価学会旧版御書全集1279ページ)という文を持ってきて、「文証がなくてもよい。最後は現証でわかるのだ」という持論を展開される方が一部信徒さんの中にいると言うことです。これが大石寺側の公式見解なのかどうかということはここでは措いておきますが、そのような現証優先・文証不要主義を主張する信徒さんが一部存在すると言うことです。
 
ところが、少し考えればこの主張がおかしなことがわかります。そもそも『教行証御書』は日蓮の真蹟不存で、時代古写本も不存、鎌倉時代に存在した形跡が見られない、後世の偽書の疑いの強い遺文なのです。
 
「金剛宝器戒と『教行証御書』について。」
 
上のブログ記事でも紹介しましたが、そもそも『教行証御書』は真蹟不存、録外初出で、その存在が室町時代以降にならないと確認できない文献です。
しかも弘安元年説とされる同遺文中で、なぜか日蓮北条時宗を「法光寺殿」と呼ぶ部分が出てきます(同1281ページ)。
「法光寺殿」は北条時宗の死後の呼び名です。そもそも北条時宗が出家したのは弘安7年のことで、弘安5年没の日蓮北条時宗を「法光寺殿」と呼称することは不可能です。まだ出家していない時の執権を死後の法名で弘安元年に書くなどあり得ません。
したがって『教行証御書』は後世に創作された偽書であり、日蓮正宗系の一部信徒が言う「一切は現証には如かず」(同1279ページ)を持ってきて、文証がないことを自己正当化しようとしたところで、そんなことは日蓮が主張したことと異なるのです。事実「一切は現証には如かず」などという類文は日蓮の他の真蹟遺文には全く見られない表現です。
事実『撰時抄』には「文証現証ある法華経の即身成仏」(同268ページ)とありまして、明確に文証として経典からの根拠を示さなければ、その宗教の普遍妥当性は主張できないと言うのが日蓮の思想でした。むろん日蓮の知識は当時の鎌倉時代比叡山教学に歪曲されたものでしかなく、単なる智顗・湛然由来の教説を根本にした不十分なものであったことは指摘されても仕方がないことでしょう。