気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

萬福寺の伝承。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて東京都大田区の馬込に、曹洞宗の寺院で萬福寺という寺があることをみなさんはご存知でしょうか。
この萬福寺の伝承を少し書いてみたいと思います。
 
弘安5年(1282年)9月18日の夜のことです。病のため身延を出て常陸国に湯治に向かう日蓮は、大田区の池上宗仲邸(現在の池上本門寺)に行くことになるのですが、馬込のあたりで日蓮は病身と疲れのため、動けなくなってしまいます。
馬込にはこの時、阿弥陀堂が存在していました。日蓮の一行は阿弥陀堂に一夜の宿を求め、寺の住持もこれを受け入れたのだそうです。
池上邸は馬込の阿弥陀堂からは近い距離にありましたが、病身の日蓮には夜道は危険であり、寺の者たちも日蓮を介抱し、宿を提供して休ませたと言います。
翌朝、日蓮はこのことに感謝をし、身につけていた鬼子母神像を侍者に持たせ、阿弥陀堂に寄進したと言われています。
 
後日、萬福寺側に「馬込村へは我が宗旨は広めず」との日蓮の言葉が伝えられます。そしてその通り、戦前まで馬込には日蓮宗の寺院は一つもなかったのだそうです。また池上にも曹洞宗の寺院は1ヶ寺もなかったといいます。
また池上本門寺萬福寺との間には良好な関係が築かれ、本門寺建て替えの際には萬福寺から竹萱が贈られたのだそうです。池上本門寺の奥殿にはなんと萬福寺席が常置されていたと言います。
 
これらの伝承は、萬福寺に寺伝として伝えられています。公式ホームページにも掲載されています。
 

 
私は日蓮萬福寺に関するこれらの伝承をかつて知りませんでした。大石寺系や興門流の文書を見てもこれらの伝承は記録されていないからです。したがって私の中では伝承の域を超えず、事実かどうか確かなことはわかりません。ただその後の萬福寺池上本門寺との良好な関係を見れば、両寺を結びつける遠因があったと考えるのが自然でしょう。日蓮系は「念仏無間地獄」「禅天魔」とまでした宗派です。それなりの理由がなければ両寺が友好な関係を築くことがあるとは思えません。
 
 
この萬福寺の伝承を事実と仮定するなら、以下のことがわかります。
 
 
1、日蓮阿弥陀堂に宿泊し、そのことに感謝し、「馬込村へは我が宗旨は広めず」とまで伝えていた。
 
2、日蓮は晩年、鬼子母神の像を持っており、それを萬福寺に寄進した。
 
 
もしこれらの伝承が事実だとするなら、現在の日蓮正宗系の教義から考えると日蓮のした行為自体が「謗法」になってしまうのではないでしょうか。
思うに、日蓮の思想には他宗派を否定しつつも、他宗派を自分の中に包摂するアンビバレントな部分が存在しており、創価大石寺系教団は彼ら自身の原理主義的な態度故にそのような日蓮像を受容できなくなっているのかもしれませんね。
 
 
「他宗批判と諸教包摂ということ」
 
真言を包摂する日蓮
 
「日天・月天のこと」
 
「金烏と玉兎」