毎回多くの方に閲覧いただき、ありがとうございます。さて今日の投稿は「日蓮の他宗批判と諸教の包摂性について」です。
文永11年11月20日の『曾谷入道殿御書』の時期から日蓮は真言への批判から明確な台密批判を行うようになります。ここで日蓮は慈覚大師円仁への批判を強め、大日経等の真言を比叡山に持ち込んだことにより、比叡山に悪義が生まれたとしています(注:実際は円仁らによる天台教学への密教の導入は正しく最澄の意志であったわけで、最澄は密教を導入し、総合仏教の道場・戒壇として比叡山を構想していました。ですからここの日蓮の批判は的を逸していると言えます)。
つまりこの時期の日蓮の思想において一切の既成宗派は批判の対象になったということを意味します。
曼荼羅を顕すようになるのがちょうど文永後期の頃です。日蓮はこの時期に密教を参考にしつつも、文字によって諸教、諸仏、諸神を法華経の題目の下に包摂させていく、日蓮独特の法華経の世界観を表現していくことになります。
「而るに法然の選択に依つて則ち教主を忘れて西土の仏駄を貴び付属を抛つて東方の如来を閣き唯四巻三部の経典を専にして空しく一代五時の妙典を抛つ是を以て弥陀の堂に非ざれば皆供仏の志を止め念仏の者に非ざれば早く施僧の懐いを忘る、故に仏閣零落して瓦松の煙老い僧房荒廃して庭草の露深し」
「念仏」ではなく「法華経の唱題」、そして「西方の極楽浄土」は「娑婆世界則浄土」であり、「阿弥陀仏教主」ではなく「釈迦仏教主」とするのは、批判をしつつも相当程度に念仏を意識した批判と教理の確立だったと考えられます。
ここから推測できるように、日蓮の思想形成には「批判しつつその宗派から摂取する」という傾向が見て取れるんですね。法華経の題目を唱えるという修行法は日蓮以前からすでに存在していましたが、それを修行の中心として確立し、ただ題目の一言に功徳が包摂されるという考えは口弥念仏の換言ともとれ、また『守護国家論』では浄土の意義を娑婆世界に見出しています。
つまり法華経の名の下にあらゆる宗派を批判しつつ、あらゆる宗派を包摂していく、そういう意志があるように感じられます。
最初に書いた台密批判に戻りますが、『守護国家論』(正元元年)の時期の日蓮は明確に法華真言未分の立場でした。それが最初の真言批判に入るのが文永6年の『法門申さるべき様の事』です。台密批判に入るのは文永11年の『曾谷入道殿御書』以降になります。
そして後年、日蓮は真言を批判する時期、文永後期から「曼荼羅」を顕すようになります。曼荼羅そのものが真言由来の語であり、しかも曼荼羅中には不動と愛染が梵字で勧請されています。曼荼羅の中には大日が勧請されて書かれているものも実存しますし(文永9年・平賀本土寺蔵曼荼羅)、『報恩抄』では大日如来は多宝の「郎従」とされています(御書全集310ページ)。そもそも「即身成仏」という概念は空海の造語であり、空海の『即身成仏義』によって表された概念です。
ただ諸教の包摂の方法が日蓮の場合、かなり特異です。批判しつつもその方法を摂取し、曼荼羅のもとにすべて生かしきっていく。つまりそれこそが「妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり」(『日女御前御返事』)ということの意味なのかもしれませんね。
創価学会員や日蓮正宗の方は、日蓮の教えが純粋な法華経の純粋な唯一の法だと信じる方が多いようですが、自分たちの信じるものの中にも他宗の影響下にあるものが多く包摂されているということをきちんと知るべきであると私は思います。