いつもみなさん、ありがとうございます。
「儒教における孝養」
「『貞観政要』のこと」
まず関連する日蓮の発言を見てみたいと思います。
まず『報恩抄』(真蹟断簡は池上他に現存、身延曽存)です。ここでは「又賢人の習い三度国をいさむるに用いずば山林にまじわれと・いうことは定まる例なり」(創価学会旧版御書全集323ページ)とあります。
次に『下山御消息』(真蹟は京都本圀寺他各所に散在)です。ここでは「国恩を報ぜんがために三度までは諫暁すべし用いずば山林に身を隠さんとおもひしなり、又上古の本文にも三度のいさめ用いずば去れといふ本文にまかせて且く山中に罷り入りぬ」(同358ページ)とあります。
また『聖愚問答抄』(真蹟不存)には「主君を三度・諌むるに用ゐずば山林に交れとこそ教へたれ」(同493ページ)と、夏の桀王の故事を出してやはり同趣旨の内容が述べられています。
つまり日蓮は孔子の『礼記』を学び、その儒教的発想から『立正安国論』を「勘文」として幕府に提出、国家諫暁を行い、その諌めが三度にわたっても用いられない時は「山林にこもって去る」という儒教の行動原理に従ったことになります。事実、法華経の安楽行品では仏教者は国王や大臣等の為政者に交わることが禁じられています。国家君主と政治的に関係を持つことは本来法華経や仏教の発想とは異なるのであり、仏教の考えではないのです。