気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

「在在諸仏土・常与師倶生」とは。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて今回は「在在諸仏土・常与師倶生」という法華経の文についてです。
この文は創価学会で特に好まれる文章でして、戸田城聖氏が指導で使っていたことが有名です。つまり生まれ変わっても師匠と共にまた生まれてくるのだという意味で使われるんですね。活動家の池田大作氏を尊ぶ気持ちが強い人たちはとりわけ「久遠の師」とか「師弟不二の絆」などと言い、その際の依文としてこの文を用いることが多いです。
 
 
さてこの「在在諸仏土・常与師倶生」はどこに出てくる文なのでしょうか。
これは法華経化城喩品第7に出てくる文章です。

 
この化城喩品にはどういうストーリーが書かれているのでしょうか。
ここでは無限の過去に滅度した「大通智勝仏」のことが説かれます。大通智勝仏は最高の悟りを得ますが、彼はもともと国王の王子で既に16人の子どもがいました。子どもたちは父が悟りを開いたのを知り、贅沢な暮らしを捨てて父である大通智勝仏のところに行って修行します。また大通智勝仏の父である転輪聖王も、多くの家来を引き連れ、孫の王子たちと一緒に大通智勝仏を供養して讃嘆するのです。
そうして讃嘆し終わった16人の王子は、重ねて「真理の教えである法輪をお説きください」と懇願し、仏が偈で答えることになります。
 
この時の16人の王子とは誰か、全て書き出してみましょう。
 
東方:阿閦仏、須弥頂仏
南方:師子音仏、師子相仏、虚空住仏、常滅仏
西方:帝相仏、梵相仏、阿弥陀仏、度一切世間苦悩仏
西北:多摩羅跋栴檀香神通仏、須弥相仏
北方:雲自在仏、雲自在王仏
東北:壊一切世間怖畏仏
娑婆世界:釈迦仏

と、こうなっています。
つまり「在在諸仏土・常与師倶生」とは、この16人の王子の教えを聞いたものたちが、16人の仏に供養して、またその仏に巡り会えることを示しているのです。16人の中には阿弥陀仏の名前も見えます。
娑婆世界の仏とは釈迦仏です。つまり「在在諸仏土・常与師倶生」は16人の王子、そして釈迦仏に再び巡り会えることを示唆しているだけで、別に「師匠とともに再び戦う」みたいなことは説かれていないのです。当然ながらこれを「末法の本仏=日蓮」なのだとするトンデモ教学はさらにナンセンスなことになります。
 
さて、そういうことを書くと、だいたい原理主義的な創価学会日蓮正宗信徒は反論してきます。「法華経には文上と文底がある」とか「これは末法の本仏と生まれ変わる意味と拝するのが正しい」とかいう、意味のわからない教学であります。
そもそも「文の底」と日蓮が述べたのは法華経如来寿量品のことであって、化城喩品ではありません。だいたい「文の底」という用例は『開目抄』の1箇所しか存在しません。
もし釈迦仏を教化したのが末法の本仏である日蓮なのだという大石寺教学を受容するなら、釈迦の父であった筈の大通智勝仏はそもそもどういう位置付けになるのか、意味不明になります。
大通智勝仏=日蓮末法の本仏なのでしょうか。
それとも大通智勝仏を教化したのが日蓮末法の本仏なのでしょうか。それなら教義の再構成が必要になるでしょう。そもそも日蓮本仏説を考えるなら、大通智勝仏はどういう位置付けになるのか、全く訳がわからなくなってしまうのです。
当然のことですが、これを牧口常三郎戸田城聖池田大作との師弟不二の根拠とするなら、ますます訳がわからない教義になります。
 
法華経に書いてあることをきちんと読むこと、書いてあることと矛盾しているのなら、きちんとその矛盾を認めること、そういう真摯な姿勢が信仰者には必要ですが、大石寺系教団の信者さんの耳には入らないことが多々あるようです。