気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

祈雨の三具足。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、最近はほとんど私は知らないのですが、かつて大石寺の虫払い法要の際に披露される宝物の一つに「祈雨の三具足」というものがありました。今ではほとんど忘れ去られていまして、このことを覚えている創価学会員はあまりおられないのではないでしょうか。




この「祈雨の三具足」というのは、大石寺が言うところを書くと、燭台と花立と香炉の三つ一組の仏具だそうです。これをかつて日蓮は所持していて、極楽寺良観(忍性)との祈雨に対して法華経を用いて祈願を行った道具なのだそうです。
これについて書かれた文献は、大石寺48世日量の『富士大石寺明細誌』です。



「一、唐銅三つ具足    一対
蓮祖常々仏前に居え置き香華燈明を捧げ給ふなり、伝に云ハく唐の作日本只二対の道具なり、三各竜を鋳透せり此竜の口に水を澍ぎ雨を降すなり、依ッて祈雨の三具足と云ふ云云」
(日量『富士大石寺明細誌』富士宗学要集5-339ページ)

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日蓮が持っていたとされる祈雨の仏具が大石寺に宝物として伝わっているそうなのですが、不思議なことに、この『大石寺明細誌』以外に、また上古の文献にこの「祈雨の三具足」のことを書いた記述を私は見たことがありません。
日興『御遺物配分事』には、この「祈雨の三具足」のことが全く書かれていません。また先日の記事で紹介した大石寺14世日主の『霊宝虫払日記』にも「祈雨の三具足」の記述は存在しません。
『御遺物配分事』の後半は、日興の著作として偽作の可能性が高いものですが、それでも日蓮由来のものが存在するというのなら、他山の文献にそのことが出てきてもよさそうです。ところが全く出てきません。



最初に引用した『富士大石寺明細誌』ですが、これは日量の真筆が残されていません。堀日亨氏が参考にしたのは仙台仏眼寺の住寿院日倚の文政7年(1824年)の写本です。日量の原文の末尾には文政6年(1823年)とありますが、とすると「祈雨の三具足」については、19世紀に入って突如文献に出てきたという奇妙な事実がわかります。



上古の文献に何の言及もない、存在した形跡も全く見られないものを、突然19世紀近くになって「日蓮由来の道具だ」と言い出し、大石寺の正統性を伝える虫払いで見せ物のように披露されてきたとするなら、大石寺は本当に史料を正確に伝えようとする気があるのか、疑われても仕方がないと思います。



追記
かつて宗創和号時代にこれら「祈雨の三具足」が創価学会によってまことしやかに宣伝されてきたこともあったようです。私は寡聞にして知りません。この「祈雨の三具足」は今でも虫払い法要で公開されているものなのでしょうか。
詳しいことをご存知の方はぜひ教えていただきたいと思います。