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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

紫宸殿本尊とは。

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いつもみなさん、ありがとうございます。



さて大石寺末寺の信行寺には「紫宸殿本尊」と称される板曼荼羅が存在しています。これは日蓮が弘安3年に書写したもので、大石寺の教義では天皇日蓮の教えに帰依した時、紫宸殿(天皇の住居)に奉掲する特別な本尊であるとされています。


ところで、この大石寺の紫宸殿本尊なのですが、曼荼羅のどこにも「紫宸殿に置く」とか「天皇のため」のような一文は書かれていません。またこの本尊を天皇のための「紫宸殿本尊」とする根拠を史料中に見出すことができません。


加えて、日蓮真蹟曼荼羅の全123体中、第82番の曼荼羅と相貌が酷似しています。冒頭に両画像を載せましたので、見比べてみてください。紙幅から板への模刻ですから、レイアウトの変更はあるかと思いますが、首題や花押に関して両者はよく似ていると思います。


ここからはやや邪推になりますが、恐らくは大石寺の歴史の中で、第82番・弘安3年曼荼羅を板に模刻し、それが「紫宸殿本尊」として言い伝えられるようになったのではないかと思います。そうでないともし言うのならば、この信行寺所蔵の板曼荼羅が「紫宸殿本尊」と称される根拠を文献中から大石寺側が提示すれば済むだけの話なのかと私などは思います。



追記:
まあ、そんな訳で、この本尊を「紫宸殿本尊」と称してきた根拠が薄弱ということが明白であるからなのかはわかりませんが、大石寺67世阿部日顕氏は2002年の御虫払い法要で「その名称も見直しが行われるべきであり師資相承之御本尊または師資伝授之御本尊と呼ぶのが正しい」と発言しています。阿部日顕氏の説明によれば「師子伝」が後世に変化して「紫宸殿」と伝えられたということですが、ではそれまで信じられてきた大石寺の紫宸殿本尊に関する教義の説明としては薄弱であろうかと思います。