いつもみなさん、ありがとうございます。
昭和40年(1965年)10月に創価学会本部は政治資金300万円を拠出し、財団法人「公明協会」を設立しています(設立認可は昭和41年2月)。今回はこの「公明協会」のことを簡単に書きたいと思います。
公明協会が解散するのは昭和48年(1973年)のことですが、この間「公明協会」が実在していたことは間違いなく、山崎正友氏の著作中の外郭団体一覧にもきちんと出てきます。
昭和41年(1971年)7月、公明協会は男子部のための機関誌『青年ジャーナル』、女子部のために『華陽ジャーナル』を刊行しています。
公明協会は昭和43年(1968年)中に車両運搬費として9800万円を支出しましたが、そのうち8600万円を、阿部商会一社に集中して支出したと言われています。
阿部商会は、外車輸入販売等の会社として1948年に設立されます。当時の代表取締役社長は阿部文治氏です。現在は資本金4734万円で、現在の社長は阿部文保氏になります。阿部商会は現在も車用品、部品販売事業も含めて存続しています。
ところで、なぜ公明協会は昭和43年当時、車両運搬費9800万円のうち9割近い8600万円を、全て阿部商会一社に集中して支出したのでしょう。
理由は不明ですが、気になる点が一つあります。実は阿部文治社長の頃、阿部商会の取締役の一人に小宮開造氏が入っていたことです。
小宮開造は、池田大作の実兄にあたります。
「池田名誉会長の兄弟」
公明協会はその後も財政規模を拡大させ、昭和45年(1970年)の収入は3億2897万円、支出は2億365万円に上りました。
しかし昭和47年(1972年)1月に品川区上大崎に事務所を移転した後、昭和48年(1973年)に解散します。溝口敦氏は、解散の理由を「千里ニュータウンでの土地問題の証拠隠滅のため」と述べています。
外郭団体を作るのは構わないのかもしれませんが、過去にあったことをあたかも最初からなかったことのように隠蔽し、会員に知らせない教団の本質は、他の日蓮正宗等の大石寺系教団同様、信徒の目をくらますものであると個人的に思います。
参考文献