気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

週間リズムとかつての活動。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、私は主として青年部時代、男子部の40歳前後までバリバリの創価学会の活動家でした。
40歳前後で男子部は多くが「壮年部」に移行しますが、私はこの頃に母を亡くしたことも契機となり、一切の活動から離れて、いわゆる「非活」の身となります。



この頃、男子部活動家の時の忙しさがいかに多忙なものか、当時の創価学会の活動の「週間リズム」を記憶している限りで書いてみたいと思います。



月曜日 地区協議会、部長会、本部長会
火曜日
水曜日
木曜日 部活動者会(部活)
金曜日 圏活動者会
土曜日 県活動者会、自由唱題会
日曜日 朝唱題会、県報告



だいたいこんな感じだったかと思います。
活動家になると、ほぼ毎日会合が入ります。



月曜日の「地区協議会」というのは、四者(壮年部、婦人部、男子部、女子部の四者合同のこと、最近は女子部激減により女子部と婦人部が統合されて「女性部」ができました)の地区の協議会です。ここでは地区での四者のそれぞれの状況、現在の活動と各部の近況、座談会週間から座談会予定日の決定、書籍の販売、選挙情勢の報告等が話し合われます。
本来「地区」の会合ですから、男子部は「地区リーダー」か「副地区リーダー」等が参加すべきなのですが、青年部は慢性的に人が足りないので当時部長や本部長がいろんな地区を掛け持ったりしていました。現在の青年部はさらに統監が激減していますので、地区協議会に青年部がいないことが日常茶飯事と化しています。



月曜日の夜は、地区協議会の後、本部の部長会があったものです。各部の部長が本部長の自宅等に集まり、各地区の状況を本部長に伝えます。本部長会はその後、夜遅くあったものですから、男子部でも上に上がれば上がるほど、会合が増えて寝る時間が少なくなっていくものです。当時、活動報告で「私はここ1週間、平均睡眠時間が2時間ほどしか寝ていません!」などと寝ていないことを美徳のように語る活動家がかつてはいたものです。現在の男子部は部長会を定期的に行うことなどほぼ不可能になっています。



木曜日の夜に、各部の部長(支部の男子部の責任者のことを「部長」と呼びます。ちなみに壮年部の責任者が「支部長」です)の自宅等で「部活」を行います。「部活」とは部の活動者会のことで、主に地区リーダーやニューリーダー等が集まります。
男子部は働いている人がいますから、大抵男子部の会合は夜です。私が部長時代も夜21時から行われていました。



金曜日や土曜日、週末の夜は大抵、圏(ゾーン)や分県単位での唱題会が行われていました。皆で唱題・勤行の後、活動報告(いちおう希望制)、最後に幹部指導といった感じです。
夜の20時くらいから唱題が始まり、21時前後に勤行、全部が終わると夜の22時になっているなど普通でした。



日曜日は朝の出発も兼ねて、午前中に唱題会を行っていました。当然活動家ほどみんな寝ていませんから、寝坊する人も続出したものです。
定例報告というのが必ずあって、日曜日に決まって報告しないといけません。これもかなり面倒くさいので、前日の夜にまとめておいて日曜日の午前中にさっと本部に送るようにしていました。



「定例報告」



上記の会合がいわゆる「週間リズム」となりまして、これ以外にも会合はたくさんあります。
例えば創価班(会館警備、駐車場誘導等)になれば、月に一度程度「着任」がありまして、創価班「班長」に報告をして「着任」しなければなりません。遅刻や無断欠席は許されません。そんなことをしようものなら、創価班の委員長やら事務局長に大変な叱責を受けることは間違いありません。今はどうか知りませんが、当時の創価班の指導にはパワハラ的なものがたくさんありました。



また牙城会(会館警備、館内巡回、セコム管理)になれば、月に2回程度「着任」が入ります。総括や主任になれば、会館には平日でも17:30には1秒たりとも遅れずに着任しなければならず、これが遅れると「事故扱い」となり、指導の対象となります。
昔の牙城会は「宿直」がありましたが、現在はセコムのセットで22:30程度に退館するシステムになっています。ただ信濃町創価学会本部担当の牙城会になりますと、きちんと「宿直」があって朝まで「世界青年会館」で着任することになります。もちろん翌日仕事のメンバーもたくさんいました。皆、仕事で有休をとって任務につくのです。



これ以外にもたくさんあります。土曜日の夜、23時頃から当時は「広宣部」の「勉強会」があったものです。
それが終わると、選挙戦の時期は夜の12時から県男子部長会、午前2時から総県男会等、普通にやっていました。夜中の午前2時過ぎに個人会館といえど、各方面からスーツ姿の男が集まるなど、近隣住民からしたら一種異様な光景に見えたことでしょう。


もちろん座談会週間になれば、各地区の座談会が行われます。週末なら昼開催、平日なら夜開催です。それ以外に会館での本部幹部会・同時中継(通常CS)があります。
創価班や牙城会の指導会もありますし、緊急の県男子部長会が入ったりもします。新任の人事が決まれば出発式もやります。未来部の会合があれば出なければなりません。



これらをやりながら、家庭訪問、人材育成、布教活動、聖教新聞の営業……全てをこなさなければいけません。これは活動家になればなるほどのしかかってくるものです。
婦人部などもっと大変で、地区婦人部長や支部婦人部長になろうものなら、本当に一日中、目の回るような忙しさになると思います。新聞配達まで兼任してやっていた地区婦人部長もいましたが、想像を越えた激務です。




そんなわけで、多くの幹部が燃え尽きてしまっては非活になるパターンが続出しました。
地区の要とも言うべき「地区婦人部長」が活動に出なくなるというのは、組織としては致命的になりかねない、それくらいの激務だということですが、意外に普通に起こっていました。



大石寺日蓮正宗の信徒という人たちは、こういう人たちを虎視眈々と見つめて、組織の切り崩し工作を行なって退会者を作ります。ですから日蓮正宗の布教活動そのものが単なる創価学会の切り崩しという、ハイエナのようなことをすることが多いのです。
というのは彼らにも事情があって、いちおう駅前でビラを配ったりして一般の方にも「布教」活動をしている筈なのですが、実情はほとんど誰も日蓮正宗に振り向きもしません。まして入信するわけがありません。そんなわけで現実的には非活の創価学会メンバーを言いくるめて、日蓮正宗側に付けてしまう方が布教も人材育成もいっぺんにできてしまうので、話が早いんですね。そんなわけで、彼らはハイエナのように創価学会非活メンバーの匂いを嗅ぎつけて寄って来るのです。



現在の創価学会は、活動家も激減し、青年部も地方ではほとんど壊滅状態ですから、もはやここまで活動できません。またかつての創価班指導会のような上から目線での強烈な指導に愛想をつかし、活動から離れるメンバーも後を断ちません。現在の壮年部のメンバーにもかつての創価班、牙城会幹部がいまして、平気で青年層に強い指導をふっかけてくる人もいまして、ますます活動家が減るということも一部組織では起こっているようです。