いつもみなさん、ありがとうございます。
さてブログ管理人の私は元創価学会の活動家で、広宣部で活動をしていました。
広宣部というものができて全国的に活動したのは、恐らく90年代後半から2000年代にかけてのことかと思います。
広宣部が当初できた目的は、当時活動を活発化させていた「顕正会」への対策でした。
90年代後半から、創価学会信徒の自宅に顕正会員が入り込み、顕正会への入会を迫ったり、会員宅の本尊を持ち去ったりする事案が急増します。まあ、それだけ創価学会の信者も教義的に不安定で揺れてしまう人が多かった証左とも言えるのかもしれません。
その対策として、男子部の創価班内で教学的に訓練をした「広宣部」が組織されます。「法論」や「対論」と称して顕正会を追い払うことが当初の彼らの目的でした。やがてその功績からか、この「広宣部」は全国的に整備されることになります。広宣部の対論資料を作成した中心者は当時、波田地克利氏だったと言われています。彼は元創価新報の編集者で、他宗派対策の急先鋒として知られていました。
当時、現役のメンバーとして顕正会との対論を経験しましたが、後の妙観講対策に比べれば顕正会対策ははるかにやりやすかったです。というのも顕正会の論点は「国立戒壇」という観点から創価学会を非難するもので、だいたいが限定された論点でしかないからです。
顕正会員が言ってくる論点は概ね3つです。
①『三大秘法抄』の「一同」の解釈
②『三大秘法抄』の「勅宣」「御教書」
③『二箇相承』の「国主」の解釈
ほぼこの3つに尽きます。
ですから、この3つの論点を突き崩されると顕正会信徒さんは大抵しどろもどろになってしまいます。
今回は1点目の「一同」の解釈について紹介してみます。当時は創価班広宣部のやっていることは「四者等、外部に漏らしてはならない」と言われていましたが、創価学会を退会した身の自分としては、そんな義理など教団にはありませんからね。
『三大秘法抄』には次のような一文があります。
「戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり」
(『三大秘法抄』創価学会版御書全集1022ページ)
ここでは戒壇建立の条件として「王臣一同に三秘密の法を持ちて」とあります。
別に何でもいいんですが、顕正会さんを回答不能にするには「一同」の意味が「全員」ではないことを教えれば良いだけです。そもそも古語辞典等でひいてもわかりますが、古語の「一同」は「一斉に」という意味であり「一人も余さず全員」という意味に解釈するのは無理があることです。
「はい。わかりました。ここの『三大秘法抄』における『一同』は『日本国民一人も残さず全員』という意味に解するのが正しいんですね。」と顕正会信徒さんに念を押します。
「日本国に国多く人多しと云へども其の心一同に南無阿弥陀仏と口ずさみとす」
(『秋元御書』同1072ページ)
「日本国皆一同に法然房の弟子と見へけり」
(『撰時抄』同274ページ)
「日本国・三分が一は一同の弥陀念仏者」
(『撰時抄』同284ページ)
ポイントは、遺文を引用する前に「一同は『日本国民全員』という意味なんですよね?」と確認しておくことです。「一同は日本国民全員という意味だ」と相手に言わせてから、上記の遺文を目の前に見せます。
あとは「ところで、当時って日本国民一人も残さず全員が念仏の信者だったんですか?」と聞くだけです。
今もなお、ほとんど変わらない教義で活動している顕正会には呆れ返ります。
今回は顕正会の論点三つのうち、一つ目だけを紹介しました。2点目以降についてはまたいずれ書いていきたいと思います。