気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

顕正会の「勅宣・御教書」の解釈。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて今回は昨日と同様に、顕正会が言ってくる論点を紹介してみます。
前回指摘した、顕正会の論点3点は、以下の通りです。



①三大秘法抄』の「一同」の解釈
②『三大秘法抄』の「勅宣」「御教書」
③『二箇相承』の「国主」の解釈


今回はこの②である、「勅宣・御教書」の件について述べてみたいと思います。


先日の顕正会さんがよく引用する『三大秘法抄』の文を再掲します。


戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり」
(『三大秘法抄』創価学会版御書全集1022ページ)


顕正会は何が言いたいのかというと、昭和47年の正本堂建立について
「あの正本堂建立こそ間違いだったのだ」
「我々が目指す国立戒壇こそが本当の日蓮の御遺誡だ」
と言いたいだけなのです。
だからそれを「はいはい」と認めて頷くと、顕正会活動家さんは喜んで入会を誘ってきます。
追っ払う方法は、その前提を崩すだけでよいのです。


そもそも『三大秘法抄』は真偽未決の遺文ですから、そんなものを真蹟扱いして、こちらに迫って来られても何の説得力もありません。
けれどそのことが彼らはわからないんですよね。まあ、教学力が低下した現在の創価学会法華講信徒さんとはどんぐりの背比べなのですが。


ここで問題になるのは「勅宣」「御教書」という語です。つまり本門戒壇建立の前提として「勅宣」と「御教書」を取らないといけないのだと、こういうことです。
「勅宣」というのは天皇の命令書、「御教書」は鎌倉時代で考えれば幕府の命令書になります。



で、顕正会さんはこの勅宣と御教書を「国会の議決」とか言ったりします。(創価学会も実際似たようなことを言っていた時期もあるんですけどね)
当時の鎌倉時代の文脈を現代に無理やりに当てはめるのは何の意味もないのですが、彼らは聴く耳を持ちません。
とりあえず「勅宣」「御教書」等が扱われる遺文を出してみましょう。


「其の上去る元仁年中に延暦興福の両寺より度度奏聞を経・勅宣・御教書を申し下して、法然の選択の印板を大講堂に取り上げ三世の仏恩を報ぜんが為に之を焼失せしむ」
(『立正安国論』同26ページ)


「答えて云く予が初心の時の存念は伝教・弘法・慈覚・智証等の勅宣を給いて漢人にわたりし事の我不愛身命にあたれるか」
(『撰時抄』同291ページ)


立正安国論』では、延暦寺興福寺が勅宣・御教書を下して法然の『選択集』の印板(印刷用の型板)を焼いていることが述べられています。

顕正会さんは私を破折するために今日は来たんですよね」
「はい。そうですよ」
「勅宣・御教書は持ってきました?」(笑)


という……ギャグみたいな言い返しをしないと、顕正会さんは一般的な常識がわかりません。
さらには2番目の引用は『撰時抄』からですが、修学のために海外に渡航するために勅宣・御教書を取ったことが書かれています。


顕正会さんは海外旅行や留学をする際にやっぱり勅宣・御教書って必要なんですか?」


とまあ……これもまた側から見ればギャグにしか見えない返答をしてあげることになります。大抵、顕正会さんは論点を避けようとしますので(まあ当たり前ですが)、論点を避けないようにと言うと殆ど回答不能に陥ります。


これは創価学会法華講も同じなのですが、教団的な解釈で宗祖の遺文を読むと、だんだん教団の論理しか語れない人間になります。
今の創価学会員さんも妙観講さんもまさにそうでしょう。
自分たちの論理を一度かっこにくくり、自身の思想的前提を更新する意識で、真摯に学ばなければ思索も深まらないと思うのですが、かつての顕正会さんとの広宣部時代の対論の経験はそのことをよく自覚させてくれたものでした。