いつもみなさん、ありがとうございます。
ブログ開設当初は創価学会の非活動メンバーとして、そういった人たちと一緒に糾合できるような何かを模索したこともありました。が、それは路線そのものが間違いだったと気づき、今は個人信仰を深めています。
「広宣部と言論企画部」
「広宣部の思想」
「広宣部の思想」に書きましたが、広宣部の資料の多くは波田地克利氏によって提供されたものと聞いています。最近は法華コモンズに所属し、You Tubeで独自のチャンネルも創設して活動されているようです。変わらずに「八重の相対」という、正木正明氏も共有した池田大作無謬主義の考え方を主張されているようです。今の私にはもう関係ないことですが。
歴史を再構成するにあたって、彼から私が学んだことは「主観を徹底的に排し、史料を冷静に提示すること」です。
私は歴史学の再構成のために資料の冷静な提示が必要であるということを、彼から学んだのです。
とはいえ、そういうことを私もしようとした時期があります。日蓮の思想や親鸞の思想を現代哲学に言い換えたい衝動もありますが、それはそもそも彼らを当時の鎌倉時代の文脈から歴史学的に把握することとは当然のことながら違うことなのです。
この私の方法論は、ブログを読まれている方ならある程度理解して頂けていると考えています。
東洋精光や大蔵商事のことをブログに書きましたが、私は淡々と事実を列記することに主眼を置いて書いているつもりです。
いくつかのブロガーの方で、私の姿勢を好意的に評価してくださる方もいまして、ありがたい限りです。改めて感謝申し上げます。
私はこの日寛由来の「依義判文」こそが、大石寺系教団の最大の誤りであったと考えています。
「義」によって「文」を判断するなら、書かれていない後世の教義をあたかも本来の思想のように「偽装する」ことが可能になります。
私はあくまで書かれてあること、事実であること、資料的に明確であること、残されている確実な文献から真実を描き出す作業を進めていきたいと考えています。
そのような歴史学的な方法論を軽視し、依義判文に固執する人たち、また歴史学的な検証を怠って「御書って難しいから」とお茶を濁す人たち、学ぼうとしない人たち、史実を認めない人たちには、あまりお近づきになりたくないです。
私は真摯に過去を認める人でありたいし、自身が過去に広宣部のような活動をしていた原理主義的な狂信徒であったことも素直に反省したいです。
過去を誤魔化してなかったことにする人たち、教義の矛盾を認めようとしない人たち、自分たちのアドホックな後付け教義に固執して絶対化を図る人たち、そう言った人たちはなぜか今の私には子どものように見えてきてしまいます。