気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

過去を認める姿勢。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて私は既に創価学会から退会し、日蓮正宗という大石寺信仰からも離れて、個人で信仰を深めたいと今は考えている人間です。
ブログ開設当初は創価学会の非活動メンバーとして、そういった人たちと一緒に糾合できるような何かを模索したこともありました。が、それは路線そのものが間違いだったと気づき、今は個人信仰を深めています。



私は創価学会の活動家時代に創価班の「広宣部」という他宗派との対論や諜報活動に携わり、そこで日蓮遺文や大石寺等の富士門流文書を資料として集めて読むようになります。



「広宣部と言論企画部」

「広宣部の思想」




「広宣部の思想」に書きましたが、広宣部の資料の多くは波田地克利氏によって提供されたものと聞いています。最近は法華コモンズに所属し、You Tubeで独自のチャンネルも創設して活動されているようです。変わらずに「八重の相対」という、正木正明氏も共有した池田大作無謬主義の考え方を主張されているようです。今の私にはもう関係ないことですが。



ところで、私は若い頃に創価大学で4年間の多感な時代を過ごしましたが、そこで歴史学を専門にされている方と知り合いました。
歴史を再構成するにあたって、彼から私が学んだことは「主観を徹底的に排し、史料を冷静に提示すること」です。
歴史学というのは、既に存在しない過去を研究対象とするものです。過ぎ去って存在しない歴史を浮かび上がらせるのに、主観や思い込み、先入観、パラダイムというのは実像を知ることを妨げるものです。
私は歴史学の再構成のために資料の冷静な提示が必要であるということを、彼から学んだのです。



例えば波田地克利氏が「八重の相対」と言っても、それは池田大作氏の思想を至上とする人たちに通用する議論かもしれませんけど、それは日蓮系の思想とは何の関係もありません。
池田大作、日寛、日蓮などの時代の違うパーツを都合よく貼り合わせてコラージュにしてみても、それは本来の日蓮の考えを再構成する正しい方法論にはなり得ませんし、説得性も持ち得ないでしょう。
とはいえ、そういうことを私もしようとした時期があります。日蓮の思想や親鸞の思想を現代哲学に言い換えたい衝動もありますが、それはそもそも彼らを当時の鎌倉時代の文脈から歴史学的に把握することとは当然のことながら違うことなのです。



この私の方法論は、ブログを読まれている方ならある程度理解して頂けていると考えています。
東洋精光や大蔵商事のことをブログに書きましたが、私は淡々と事実を列記することに主眼を置いて書いているつもりです。
いくつかのブロガーの方で、私の姿勢を好意的に評価してくださる方もいまして、ありがたい限りです。改めて感謝申し上げます。



大石寺26世堅樹院日寛は「依義判文」という教義を展開しました。書いてある文から意味を読み取るのではなく、大石寺戒壇本尊という「義」を根本にして「書いてある文を判釈していく」という姿勢です。
私はこの日寛由来の「依義判文」こそが、大石寺系教団の最大の誤りであったと考えています。
「義」によって「文」を判断するなら、書かれていない後世の教義をあたかも本来の思想のように「偽装する」ことが可能になります。
私はあくまで書かれてあること、事実であること、資料的に明確であること、残されている確実な文献から真実を描き出す作業を進めていきたいと考えています。



そのような歴史学的な方法論を軽視し、依義判文に固執する人たち、また歴史学的な検証を怠って「御書って難しいから」とお茶を濁す人たち、学ぼうとしない人たち、史実を認めない人たちには、あまりお近づきになりたくないです。
私は真摯に過去を認める人でありたいし、自身が過去に広宣部のような活動をしていた原理主義的な狂信徒であったことも素直に反省したいです。
過去を誤魔化してなかったことにする人たち、教義の矛盾を認めようとしない人たち、自分たちのアドホックな後付け教義に固執して絶対化を図る人たち、そう言った人たちはなぜか今の私には子どものように見えてきてしまいます。