気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

刻んで作られた本尊。

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いつもみなさん、ありがとうございます。
さて1999年に発刊された英訳の創価学会版御書ってのがあります。


これは1999年に発刊されたもので、御書翻訳委員会訳ということになっています。池田大作氏の序文では訳に関してバートン・ワトソン氏の手助けもあったようです。バートン・ワトソン氏は英語版の鳩摩羅什法華経の英語への重訳、それから『御義口伝』の英訳などもしている人物です。


ところで、この巻末にいろいろ付録がついていて語句の説明など興味深いのですが、ちょっと気になったのは日蓮の生涯に関する年表の記述です。


ちょっと気になって弘安2年の戒壇本尊のことを英語で何て書いてあるんだろうと思ってみてみたんですね。そしたらこんな風に書いてありました。

"10/12  Inscribes the object of devotion for all humanity."

簡単に訳しますと、弘安2年(1279年)10月12日に日蓮は「全人類のために信仰の対象を彫って作った」のだそうです。


ところで、動詞の"inscribe"は「銘板や壁などに文字を刻む」という意味ですから、具体的に何か実体のあるものを作ったと言う意味にとることができます。つまりこの記述が正確なら日蓮は具体的に形のあるものを全人類のために作って残したというニュアンスになるはずです。


これって大丈夫ですかね?
というのは、創価学会は弘安2年の大石寺の本尊を受持の対象から外しました。まあ、戒壇本尊など後世の贋作に過ぎませんし、その信憑性の低さが創価学会側、信濃町池田氏もだんだんわかってきてしまったのだと思いますけどね。
日本語ならば「三大秘法の御本尊を現した」とかなんとか言ってうまくごまかすこともできるんでしょうけど、ここでの"inscribe"という動詞はちょっとごまかし切れない気がします。
文字通り意味をとるなら、「弘安2年に日蓮は全人類のために信仰対象を彫刻して作り出した」ということになります。つまり作られた実物が存在しないとおかしなことになりません?


創価学会本部はかつて大石寺の教義に習い、弘安2年戒壇本尊を「一閻浮提総与の大御本尊」とぶち上げ、それを帰命依止の本尊としていました。それを中途半端に否定して「受持の対象としない」なんて言ってしまったからこんなことになるわけなんですけど、じゃあ「全人類のために日蓮によって板に刻まれた信仰対象」はどうするのでしょうか。これもまた教義的に説明をしなければならないことでしょう。


というか説明なんてしなくても「私たちが実は間違っていました。ごめんなさい」って言えばそれで済むことなんですけど、過去の総括も反省もできない体質、つまり「ごめんなさい」を言えない体質が創価学会にも大石寺にもあるから、こんなところでいろいろボロが出てきて、その継ぎ接ぎに地域幹部とかがアドホックな説明をしてお茶を濁しているというのが偽らざる実態なのかなと思います。