いつも皆さん、ありがとうございます。
さて私は
日蓮が民衆と交流した形跡が遺文中に見られず、
日蓮がなんら民衆救済に貢献した史実も存在しないことから、
日蓮は民衆仏教ではないと考えています。
ところで、
創価学会の方の多くが
日蓮を民衆仏法であると考えていまして、その根拠を「一切
衆生の成仏を明らかにした」とか「一切
衆生の成仏と救済の意志を持っていた」とすることが多いです。
ところで、私の素直な疑問なのですが、そもそも仏教の派祖で「一切
衆生の救済」を願わない人物など存在するのでしょうか。
もしも「一切
衆生の救済」や「民衆の救済・成仏」を「民衆仏法」の根拠とするなら、それはむしろ
空海こそ「民衆仏法」と言えるのではないかと考えています。
「即身成仏」という語を日本で最初に紹介・展開した人物は
空海であり、一切
衆生に仏性が存在し、即身成仏の理論を展開したのは、日本では
空海の『即身成仏義』が最初です。
また天長5年(828年)に、
空海は
綜芸種智院と呼ばれる学校を建設しました。当時の
教育機関は貴族や郡司等の役人の子弟にしか教育の機会を与えていませんでしたが、
空海の
綜芸種智院は日本で初めて一般民衆、広く庶民に対して門戸を開いた画期的な学校でした。
その意味で考えれば、
日蓮を「一切
衆生の成仏を願った」からこそ「民衆仏法」と定義するなら、その先駆としてむしろ
弘法大師空海こそ真の「民衆仏法」であると私は思います。