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さて真蹟遺文中から判断される日蓮の思想は、とても民衆仏法とは言えません。
民衆が嘆いているからこそ国にはすべきことがある、という視点は日蓮に存在します(例えば『立正安国論』や『守護国家論』がそうですね)。しかしそれだからといって日蓮の思想を"民衆仏法"とするのは早計でしょう。
遺文からみても日蓮が民衆と交流したという形跡など少しも見出すことはできません。
つまり日蓮の思想は民衆仏法ではないのです。
題目という修行法を作ったことは事実です。しかしそれは易行道の一つとは言い得るかもしれませんが、それが直ちに民衆仏法であるとは言えないでしょう。
『一代五時図』などから明らかなように弟子たちには講義のための図を表し、天台の五時八教説から経典を判釈して教えていました。相手は弟子か武家等であり、文字が読めるものたちです。武家の尼たちには仮名書きで書いています。
『守護国家論』とか内容をちゃんと把握しているのでしょうか。そもそも『立正安国論』は『守護国家論』を要約したものです。そういったこともきちんと知るためにはある程度の学習が必要です。ですから『立正安国論』にせよ『守護国家論』にせよ、鎌倉幕府や武家を相手に書いたものであって民衆を相手になどしていないのです。
創価学会が勝手に言っている「民衆の教学」とか「誰でもわかる仏法」などというものは日蓮の考え方ではありません。日蓮の思想はそもそも民衆に向いていません。日蓮が意識していたのは常に国家であり、武家社会なのです。