気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

反証可能性について。






いつもみなさん、ありがとうございます。



さて今回は以前の記事(2017.8.22)「私のブログへの批判に対して」(http://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2017/08/22/000000)をアップした際に、一読者の方より非常に示唆深いご意見のメールを頂きましたので、ご紹介させて頂きます。





「気楽さん

 

おはようございます。

いつも楽しく拝見させていただいております。

 

今回のメールは自身の思想をまとめたものかと思いながら読みました

ところで、こういう内容のブログを公開するとき、ほぼ

『批判もたくさん来ております』

ということを公表されております。

批判する方には彼らの言い分もあるのかも知れませんが、

私は批判する方々のほうがかえって、ブログを真剣に読んでいるように思います。

その意味ではご苦労な話だなと思います。

 

反証可能性』という概念をご存知でしょうか。

これは20世紀の科学哲学者・ポパーが提唱した概念です。

『検証されようとしている仮説が実験や観察によって反証される可能性があること』

を意味し、

『どのような手段によっても間違っている事を示す方法が無い仮説は科学ではない』

ということです。

 

学会員は自身の教学体系が批判されることについて、アレルギー体質ですが、

実は完璧な理論体系というのはかえって非科学的だとポパーは主張します。

逆に、気楽さんのブログを批判的に考察しているという行為は、かえって、ブログの

科学性を検証し、高めているともいえるのです。

なぜなら、科学的真理とは

『より多くの反証、批判に耐えたものほど信ぴょう性が高い』

となるからです。

 

科学哲学では、反則技として、アドホックな仮説というものがあります。

後付けの理屈、とかご都合主義の理屈のことです。

有名な事例として、『フロギストン仮説』というものがありました。

 

昔、燃焼というものは、物質が分離することだと考えられていました。

なぜなら、見た眼で煙が出ているので、煙には、たとえば、木を燃やすなら、

木の分子が空中に放出されていると考えられていました。

だから、燃焼後は燃焼前より質量が減るものだと科学者は思いこんでいました。

ところが、ラボアジェが厳密な燃焼実験に成功し、質量が増えていることを証明すると、議論が紛糾しました。

彼らは燃焼が酸化による発熱と考えられませんでした。

そこで考え出されたのが

『木にくっついているマイナス質量をもつ物質が空気中に放出されているのだ。

マイナス質量を持つ物質とはフロギストンのことだ』

と主張したのだそうです。

一見すると、なるほど、と思いそうなのですが、反証主義の立場からいえば、

『で、フロギストンは検出可能ですか・』

となります。

当然ですが、マイナス質量をもつ物質など、目に見えるわけがありません。

結局、時の流れと共にフロギストン仮説は支持されなくなった。

 

どうでしょうか。

私はこの話を読んだときに、

『信心して不幸になるのはなぜだ。

願いがかなわないのはなぜだ。』

と批判した時に

『信心が足りない。

福運が足りない。

師弟の祈りと活動がたりない。』

アドホックな仮説を付け加える学会員を思い出しました。

信心は目に見えないし、福運は計測できない。

師弟の祈りは明確な定義がされておらず、活動は何をどの程度やったら願いが叶うと明確に示されていない。

そうした反証は、一般常識の範囲だと思いますが、それすらできずに殻に閉じこもるしかできないのが彼らなのでしょうね。」




非常に示唆深いメールで、納得させられました。ありがとうございます。

「自身の教学体系が批判されることに対するアレルギー体質」というのは創価学会員、大石寺信徒、法華講妙観講顕正会の方々に多くみられる特徴であると思います(私自身もかつてそうでしたし、未だにそういう部分があることを自覚して気をつけるようにしています)。



私自身のブログが「批判・検証」に耐え得るものなのかどうかはわかりませんが、私はただ自分の頭で考えて検証したいだけなんですね。

以前にも書いたように私の願いは一人一人の信仰者が屹立した信仰者となり、自分の頭で考えていけるようになることです。

私は教義を作ろうと考えているのではありません。ただ一人の仏教者の自覚から今まで学んできたこと、やってきたことを総括して検証しているだけなのです。私より説得性が高い論を展開されている方は研究者の中にも、また友人の中にもたくさんいらっしゃいます。私はそこから真摯に学び、研鑽していきたいと考えています。



重ねてお礼申し上げます。お読み頂き、本当にありがとうございます。