「日目上人の辞世に、『代々を経て・思をつむぞ・富士のねの・煙よをよべ・雲の上まで』(『富士宗学要集』)との歌を詠まれています。この意味は、富士大石寺のみに継承される血脈正統の仏法は、代々の御法主上人に受け継がれ、広宣流布への思いは富士よりも高く「雲の上まで」届き、必ず成就するのであるとの、熱烈な願いを表現されたものであります。このことから、古来、宗門では、一閻浮提広宣流布の暁には必ず日目上人が再来され、一宗を統率あそばされると伝えられています。」
(「大白法」平成18年10月1日号)
私は浅学にして、この日目の辞世の句
「代々を経て・思をつむぞ・富士のねの・煙よをよべ・雲の上まで」
が、富士宗学要集のどこにあるのか、わからないでいるのですが、掲載はされているようです。今度探してみます。
ところで、辞世の句ということは亡くなる時に詠んだ歌ということです。
ちょっと待ってくださいね。
宗史に詳しくない方のために少し書きますと、日目という人は天奏を生涯42度、行っていると言われています(実際はそんなに行っていないと私は考えていますが、大石寺ではそう伝えられています)。「天奏」というのは日蓮の国家諫暁のように、京都に行き、天皇に対して法華第一の信仰を訴えるということなんです。
1333年は師の日興が亡くなった年ですが、同時に鎌倉幕府滅亡の年でもあります。
幕府滅後、これを機として日目は弟子の日尊と日郷を連れて京に向かいます。
ということはですよ。
この「辞世の句」が史実として正しいと仮定して先に進みます。
日目が京都に向かう前に「辞世の句」を詠むはずはありません。
恐らく日目が「辞世の句」を詠んだのは美濃の垂井であって、そこでその句を聞いて記憶していたのは日尊か日郷の二人しかあり得ないはずです。
一度、日郷は遺骨を持って富士に帰ってきているようですので、この日郷から、あるいは保田妙本寺から、この「辞世の句」が伝わったと考えるのが自然でしょう。
とすれば、非科学的なことになりますが、教義として考える場合、日目は保田の妙本寺の方に再誕すると考えるのが自然なんじゃないですかね。あるいは京都要法寺の方とか。
もちろん大石寺は日目が天奏に出発する前に日道に血脈相承をしておいたと主張されるのでしょうけれど、実際その遺言を聞いているのは日郷と日尊ですものね。
①本因妙抄
②百六箇抄
・要法寺日辰・妙本寺日我
③産湯相承事
・妙本寺日山
④御本尊七箇相承
・妙本寺日山
⑤本尊三度相伝
・水口日源
⑥寿量品文底大事
・妙本寺日山
⑦上行所伝三大秘法口訣
⑧三時弘教次第
・大石寺(筆者不明)
だって日道は実際、大石寺にお留守番していたわけですから「辞世の句」は聞いているはずがない。伝わったのは日郷からと考えるのが自然なことですよね。
「御肉牙」
もちろん宗教というものの本質は非科学的なものです。日蓮正宗がどんな教義を採用しようが、それは別に構わないことです。
R・オットーによれば宗教の本質はヌミノーゼにあるわけで、神秘的で戦慄を覚えさせ、畏怖の念を与えるような絶対他者、超自然的なものこそが宗教の本質だとは思います。
けれども自山の中で教義を完成できずに、他山の写本やら教義やらをかき集めて一つにしても、どこか説得力には欠けると思うんですが、そう思うのは私だけでしょうか。
やはり過去にやってしまったことはちゃんと全部晒して総括した方がいいと思いますよ。
追記:
聞いた話ですが、顕正会という宗教団体は「浅井先生が日目の再誕」(!)としているという話を聞きました。本当でしょうか? 一部のグループが騒いでいるのかしら。私にはわかりかねますが。