気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

日興の譲座本尊の相貌。

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いつもみなさん、ありがとうございます。



さて以前、法華講の(恐らくは新参講さんで伝統講さんや旧来の信徒さんではないでしょう)Yさんから日興の正応3年10月13日の譲座本尊(いわゆる御座替本尊)が戒壇本尊の写しであると、議論で主張されたことがありました。


「御座替本尊は戒壇本尊の書写ではない」


いちおう上の記事で両者の相貌が全く違うことから写しではないことを主張しておきましたが、件のYさんは本尊の相貌のことは一切議論からはぐらかし、論理をすり替えてまともに答えようとしませんでした。しかもTwitterで一方的に向こうからブロックをかけ、一方的に議論を打ち切ってしまいました。


まあ法華講さん、とりわけ昭和の新参講の方々は元学会員さんが多く、旧来の戸田城聖系の教義で身を固めています。ですから議論も自ずと教団の擁護的な内容しか語れないことが多く、そもそも「戒壇本尊と譲座本尊で相貌は違うことを認めるのか」とか「譲座本尊の相貌が『七箇相承』とも違うことは認めるのか」、その辺について、都合の悪い質問は一切答えない。まあそういう狂信的な態度しか取れないことが法華講さんの信徒の特徴のように感じます。広宣部時代に散々議論をしてきたのでいやというほどわかるんですけどね。


ちなみに大石寺の旧来の檀信徒さん、いわゆる伝統講さんはもっと自由に話す雰囲気があるんですけどね。とりわけ信徒さん、また正信会系の方にはいろいろお世話になったことも多いです。ありがとうございます。


さて本題ですが、冒頭の画像で示したように、すでに大石寺客殿蔵の譲座本尊(御座替本尊)の相貌は興風談所の『日興上人御本尊集』他ですでに広く知られています。


ここからわかることは、戒壇本尊と譲座本尊との相貌のあまりの違いです。つまり日興が譲座本尊を書写した際に戒壇本尊を手本として写したことは推論として考えられないということです。


そもそも戒壇本尊に「提婆達多」が書かれているのに、譲座本尊では書かれていません。

戒壇本尊と譲座本尊とで「天台大師」の書かれる位置が左右反対になっています。しかも譲座本尊では「天台大師」ではなく「天台智者大師」となっています。

さらには戒壇本尊に書かれていない「南無天親菩薩」が譲座本尊には書かれていますし、下部の広目天増長天が譲座本尊では日蓮真蹟本尊の筆法にならって梵名で書かれています。


そういった点から、両者の相貌の違いから考えても、譲座本尊は戒壇本尊をもとに書写したものでも何でもないですし、そもそも譲座本尊が戒壇本尊の存在の証明になり得ないことは火を見るより明らかなことです。