たとえば
「あの人は福運がある」
とか
「福運を積んでいこう」
とか
「愚痴を言うと福運を消すよ」
とか
「あの人は福運のない顔をしている」
等々、
創価学会員の日常会話には普通に「福運」という言葉が使われます。
私も創価の活動家の時代によく使っていました。その意味は幸福のバロメーターみたいなもので、その人の顔や表情に「福運」が滲み出るんだそうです。そして題目や折伏をすると「福運」がついて貯まっていくという感覚です。
ところが、日蓮の御書を開いていくら読んでも「福運」という語は出てきません。
日蓮の真蹟遺文中に「福運」という語は存在しないのです。御書のどこにも書いてありません。そういえば書いてあるのを見たことがないのです。
正直な話、「福運」という言葉が何に由来するものなのか、私もわかりません。果たして本当に仏教由来の言葉なのでしょうか。
少なくとも「福運」の語が日蓮由来の言葉でないことは間違いないでしょう。