気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

異端の排除は本来の釈迦の教えではない。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて創価学会や日蓮正宗というところは、常に正統や異端争いをして分派を繰り返しているところがあります。
 
「創価学会・大石寺系教団の分派の歴史」https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2022/08/14/095135
 
戦後でも、例えば顕正会が創価学会本部に突入して襲撃事件を起こし、大石寺から破門されたり、正信会問題では阿部日顕が正信会僧侶たちを破門したり、平成に入ると今度は創価学会が日蓮正宗宗門を批判して破門されたり……枚挙に暇がないほどです。
 
ところで仏教の歴史を繙くと、釈迦が死んで100年ほど経過した頃、第二結集の後、上座部の伝承によれば「根本分裂」が起こり、離脱した側は「大衆部」と呼ばれるようになったとされます。ところが清水俊史氏の指摘によるなら、これらの史料による伝承は、他宗教に見られるような排除や破門の論理としては描かれていないのだそうです。清水氏によれば仏教の分裂は「サンガの分立」として理解されるべきことなのだそうです。どういうことか、清水氏の著作から見てみたいと思います。少し長くなりますが、引用してみましょう。
 
 
「……注目すべきなのは、初期仏典には、異端を理由として「出家者」を破門する制度が見られないことである。出家修行者が破門、すなわち僧籍を失うのは、四波羅夷(淫事を行う・盗む・殺す・悟ったと嘘をつく)を犯した場合に限られる。本人の意思に反して、それ以外の理由で還俗を強制させられることはない。後代の歴史書には、王権によって問題のある出家者が還俗させられた話も見えるが、その場 場合でさえ、還俗後の地位を用意して本人を納得させる形がとられている(『小王統史』73章14-17偈、78章18-26偈)。
次に、「サンガ」という共同体の水準を見てみよう。初期仏典、特に律蔵が直接に想定している出家共同体は「サンガ」と呼ばれる地域単位の集団である(直径およそ21キロメートルを限界とする共同体と定義される)。ブッダ在世時から、地方ごとにそれぞれのサンガが存在していたと考えられる。そして律蔵を厳密に読む限り、あるサンガが別のサンガを異端として排除する規定は存在しない。
律蔵が重んじるのは、各サンガの内部における和合である。出家者たちがサンガの共同行事にそろって参加し、共同体としてまとまっていることが理想とされ、その和合の破られることが強く戒められる。もっとも、一つのサンガの内部で深刻な対立が起こることはありうる。その場合についても、律蔵の中でブッダは対処法を示している。もし対立が和合を保てないほど深まったなら、サンガを二つに分け、それぞれ別個に運営すればよいというのである(律蔵「大品」、李慈郎[2000])。
ここで重要なのは、各サンガには自治権が認められており、他のサンガの決定に従う義務がないことである(平川彰「著作集]12巻)。よって、意見の違いからサンガが分かれたとしても、それが律蔵の規則に従った合法的な分立である限り、互いを仏教共同体として認めざるを得なかった。少なくとも、相手を異端として仏教の外側に追放する仕組みは、ここには見られない。
ただし、初期仏典においてデーヴァダッタの分派活動がとりわけ重大な悪行とされるのは、それが律蔵の定める正規の手続きを踏んだ対立ではなく、故意にサンガの和合を破壊し、ブッダに取って代わろうした行為として描かれているからである。そして、この場合でさえ、デーヴァダッタは仏教の外に排除された異端者として描かれていない。
最後に「部派」の水準である。初期仏典には、そもそも「部派」の概念自体が現れない。加えて、複数のサンガを統括する上位組織についての規定もない。つまり、現代日本仏教に見られるような、本山と末寺の関係や、複数の共同体を束ねる中央集権的な制度は、少なくとも初期仏典の段階では前提とされていない(森章司[2007])。だからこそ、後代に部派が成立したとしても、ある一つの中心権力が他の集団を異端として排除する構造は生まれなかった。仏教の歴史伝承によれば、根本分裂が起こり、部派が成立するのは、仏滅後100年ないし200年を経てからである。したがって、初期仏典の段階では、ある部派が別の部派を異端として排除するという発想自体が、まだ成り立っていないのである。」
(清水俊史『原始仏教』192〜194ページ、講談社現代新書、2026年)

著者自身が章題として「異端なき多元性」と書いているところですが、本来のブッダの教えで分派は「サンガの分立」であり、互いの相違を認め合うものでした。それは互いを異端として排除することを前提としておらず、意見の相違としての分立なのです。
創価学会や日蓮正宗、顕正会といった大石寺系教団が互いを異端として誹謗中傷したり、破門したりすることは、そもそもの釈迦の教えに背くことになろうかと思います。