気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

創価学会の三宝。

 
 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて以前、このブログでは日蓮正宗の「三宝」(仏法僧)について記事に書き、その歴史的な変遷を取り上げたことがあります。
 
 
要は日蓮正宗自体が創価学会の「三宝」観を批判する割には、彼ら自体の三宝観が一貫していないということです。
 
ところで、創価学会の「三宝」も全く一貫していません。現在の創価学会の公式サイトによるなら、創価学会の「三宝」は仏宝が「日蓮大聖人」、法宝が「南無妙法蓮華経」、僧宝が「創価学会」ということになっています。

 
ところが、かつては創価学会三宝は違いました。三宝のうちの僧宝は「日興上人」と彼らは主張していたのです。それがいつの間にか「日興上人と創価学会」と変わり、やがて日興を除外して「創価学会」のみを「僧宝」とする立場に変わっていくのです。
 
池田大作氏は昭和37年6月9日、豊橋市体育館で行われた中部本部地区部長会で「新池御書講義」を行い、以下のような発言をしています。
 
「今私どもは「三宝を供養し」仏法僧です。現在、私たちの信心のうえからみれば、三宝とは、仏は日蓮大聖人、法は事の一念三千の南無妙法蓮華経、僧は日興上人、これが正しい三宝です。他の教団においては、ぜんぶこの「三宝」を間違えているのです。」
池田大作「新池御書講義」、『会長講演集』第7巻所収、197ページ、創価学会、昭和37年)

 
ここで池田大作氏は明確に「僧は日興上人」と述べ、「これが正しい三宝です。他の教団においては、ぜんぶこの「三宝」を間違えているのです」とまで述べています。
現在の創価学会において、池田大作は「3代会長」であり、「永遠の指導者」ではないのでしょうか。それなら永遠の指導者として池田大作の指導を変わらずに持続すべきなのではないのでしょうか。そもそも仏教宗派における「三宝」とはそんな数年おきにコロコロと容易に変えて良いものなのでしょうか。