気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

「河辺メモ」について。

 
 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて今回は「河辺メモ」と呼ばれる文書について書いてみたいと思います。
これは平成11年(1999年)8月18日付の『創価新報』紙上に掲載された一通のメモのことです。「河辺メモ」と称されたもので、昭和53年(1977年)2月、当時日蓮正宗日正寺の住職であった河辺慈篤氏が、同じく当時大石寺教学部長であった阿部信雄(後の大石寺67世法主阿部日顕)氏との面談の折、阿部氏より聞いた話を筆録したものとされています。以下に画像を挙げ、文章も正確に起こしてみます。

 
「S53.2.7、A面談、帝国H
一、戒壇之御本尊之件
戒壇之御本尊のは偽物である。
種々方法の筆跡鑑定の結果解った。(字画判定)
多分は法道院から奉納した日禅授与の本尊の題目と花押を模写し、その他は時師か有師の頃の筆だ。
日禅授与の本尊に模写の形跡が残っている。
一、Gは話にならない。
人材登用、秩序回復等は全て今後の宗門の事ではGでは不可能だ。
一、Gは学会と手を切っても又二三年したら元に戻るだろうと云う安易な考えを持っている。
※日禅授与の本尊は、初めは北山にあったが北山の誰かが売に出し、それを応師が何処かで発見して購入したもの。(弘安三年の御本尊)」
 
ここでいう「A」は阿部日顕氏を指し、「G」は当時の66世法主細井日達氏を指しているとされます(「猊下」の略のGか)。面談がされた場所ですが、冒頭に「A面談、帝国H」とあるので、帝国ホテルということが推察されます。
 
当時、戒壇本尊の偽作説はそのほとんどが宗外からなされていたものでして、ここで初めて大石寺の中枢から本格的に戒壇本尊批判がなされていたことが発覚することになったということです。大石寺宗門は当初、このメモの内容の火消しに躍起になり、宗務院は平成11年(1999年)7月9日に「通達」を出し、その翌日にも「河辺慈篤氏からのお詫びと証言」という「通達」を出しました。ここで河辺氏は「メモは私の主観」「記録ミス」と述べています。
 
ただ、通達で明らかなようにこのメモを書いたものが河辺慈篤氏であることは確定しています。つまり何らかの意図をもって河辺慈篤氏本人が記録したメモであったことは大石寺は否定していないのです。
 
メモの内容はかなり具体的です。
戒壇本尊について、当時の教学部長であった阿部日顕氏が種々の筆跡鑑定の結果、弘安3年説の日禅授与本尊の題目と花押とを模写して造立された偽物であると書かれています。当時の大石寺の通達はこのメモを「河辺氏の記録ミス」としながら、どこがどう具体的に記録ミスであるのかを全く回答していません。
 
実は阿部日顕氏という人物は立正大学出身で、当時の教学部長という立場から本尊研究を早くからしていたことがよく知られている人物です。そしてこのメモの具体的な記述からも、内容の信憑性がそれなりに高いことがわかります。
 
犀角独歩氏は戒壇本尊と日禅授与本尊との首題の文字とを画像処理の上で対照し、戒壇本尊が日禅授与本尊の模写であることを断定した人物ですが、そもそもこの対照解析をしようとしたきっかけはこの「河辺メモ」であって、彼は「河辺メモ」の内容が「嘘に違いない」と当初から思い、メモの内容を論破するために対照を始めたのです。そのことは犀角独歩氏本人がブログで正直に認めています。
 
 
ところが、豈図らんや、二つの首題が重なってしまい、彼は日禅授与本尊から戒壇本尊が「偽作」されたことを認めざるを得なくなってしまいます。彼の戒壇本尊研究の出発点はまさに「河辺メモ」にあるのです。
 
犀角独歩氏の分析と「河辺メモ」とで、整合するのは、本尊の題目と花押とが対照の結果一致することに併せて、その他のものは「時師か有師の頃の筆」としている点です。
「河辺メモ」で「日禅授与の本尊に模写の形跡が残っている」とするのは、恐らく「籠抜き」をした形跡が存在しているためですが、そもそも大きさが大きさですから、全体を紙に籠抜きすることは困難です。そこで他筆で他の列衆を写したとする判断も概ね「河辺メモ」と犀角独歩氏の見解とが一致するのです。
 
戒壇本尊の偽作者については、いくつか見解が分かれますが、概ね次のようなものがあります。
 
大石寺6世日時偽作説
大石寺8世日影偽作説
大石寺9世日有偽作説
大石寺12世日鎮偽作説
大石寺14世日主偽作説
 
最古の説は大石寺6世日時まで遡ります。「河辺メモ」でも「時師」の筆があった可能性についても言及されていますが、実は大石寺境内の堂宇について、本格的な建立整備がなされたのは日時の時代からなのです。
そして戒壇本尊の腰書にある「現当二世」や「法華講衆」という言葉の初出は日時の書写本尊がその初出です。応永11年6月の日時本尊にはきちんと「法華講衆」「現当二世」と書かれています(『富士宗学要集』8-193ページ)。

すなわち「河辺メモ」からもわかるように、戒壇本尊は、日禅授与本尊、また日時や日有の頃の他筆によってパッチワークのように偽造され、後世に創作されたものだということがわかるかと思います。
 
 
 
参考文献
 
犀角独歩『大石寺漫荼羅本尊の真偽について 所謂「本門戒壇の大御本尊」の図形から見た鑑別』宗教と社会を考える会、2016年
金原明彦『日蓮と本尊伝承』水声社、2007年