気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

結局、冷酷で内弁慶な組織に過ぎなかったという事実。




いつもみなさん、ありがとうございます。





静かな年末年始を過ごしていたところ、街角でたまたま男子部時代の先輩の姿を見かけました。
私がまだ中等部や高等部時代から、未来部担当者として家庭訪問に来てくださり、私が大変にお世話になった先輩でした。彼とは男子部で再会し、活動に励んだメンバーで、区圏幹部から分県幹部にまでなって活躍していた筈です。



彼は私に気づいたのかもしれませんが、一言も私に声をかけませんでした。
彼と離れて随分経つので、もしかしたらその後、私が非活メンバーになったのも知らなかったのかもしれません。しかしながら彼の冷淡な態度を気配で感じ、声をかけるのは私も躊躇われました。



その時に改めて気づいたのですが、男子部で活躍していた、あの時代は幻のような儚いものだったのだということです。
「嵐にあっても動かない、確かな自分を作り上げろ」みたいな指導を御大・池田大作氏から聞いたことがありますが、結局その指導通りにやってきた、なれの果ては、非活メンバーなど歯牙にも掛けない、冷淡で冷酷な内弁慶な組織に過ぎなかったのだということでした。



ブログ記事を書く関係から、さまざまに古い文献や資料を見ることが多い私ですが、若い頃の池田大作氏は昔の写真を見る限り確かに溌剌としてカッコよかったのだろうなぁと思います。若い頃の石田次男氏も龍年光氏も秋谷栄之助氏も渡部一郎氏も、私の目にさえもキラキラ輝いて見えました。
けれど、それらはもはや通り過ぎてしまったのです。地域の相互扶助組織として、またセーフティーネットとして、歴史的な役割を担ってきた創価学会はその役割を静かに終えようとしています。後に遺されたのは、教団の精神的な残滓、改竄された池田大作氏の神話、そして礼拝所として各地に建てられた馬鹿でかい会館くらいです。



いつまでも永遠に続くものと信じて何かにしがみついていたいのは、人間の弱さなのでしょうけど、そのことに気づいて去っていくことが大切だと私は気付きました。それに気づかない人たちが池田大作神話を信じてグループを立ち上げたり、偽善教義だらけの大石寺に行ってみたり、正統派争いを繰り広げて彷徨の人生を歩むことになるのです。