気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

選挙の勝利至上主義の淵源。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて創価学会は2019年に参議院議員選挙を控えていることもあって、政治学習会で『立正安国論』をあげて、公明党支援を推し進める活動をすでにこの時期から展開しています。


そもそも宗教活動の中に政党支援が含まれるのか、外から見れば一種奇異な印象を抱くのですが、その原点はどこにあるのかと言えば、真っ先に私が思いつくのは池田大作氏の『立正安国論講義』の中の次の言葉です。


「真に民衆が幸福生活を営んでいける理想社会を実現するためには、正法を広宣流布する以外にない。しかして正法を広宣流布するには、国家諫暁して謗法を禁じさせねばならない。そのためには、公場において対決し、仏法の正邪を明らかにする必要がある。古来、仏法の流布は常に国主の前における公場対決によって行なわれた。
これは、君主制なるがゆえに、必然的にとられた方法であって、主権在民の現代における公場対決とは、選挙にほかならない。すなわち、いかなる宗教をもった人が民衆を幸福にし、社会を繁栄させる力があるか、いかなる宗教をもった人が名聞名利の徒であり、私利私欲に明け暮れて政治を堕落させ、社会を不幸と混乱におとしいれているかを国民大衆の判定に待つのである。
日蓮大聖人の仏法を受持し、王仏冥合の理念を掲げた、わが同志が勝利を収めることは、民衆がこの仏法の正しさを認めたことの証左にほかならない。王仏冥合達成まで、すなわち、全民衆が偏見を脱して正法の正しさを認めるまで、われわれは選挙を公場対決の場として、勝利につぐ勝利をもって前進していこうではないか。
それによって、正法は宣揚され、かつ、正法賛嘆の功徳が国中に溢れて、民衆の幸福が増進されるのである。ゆえに、われらの戦いは創価学会公明党の利益のためでもなければ日蓮正宗のためでもない。況んや候補者のためでは断じてない。ひとえに、民衆の幸福と理想社会の実現のためであることを、強く訴えるものである。」
池田大作立正安国論講義』1135〜1136ページ、創価学会、昭和41年)


つまり立正安国論における公場対決の現代的な解釈こそがまさに選挙であり、創価学会の教義の正しさを認めさせることこそ、まさに選挙の結果であると考えていたということです。
このトーンが変化するのは昭和45年の言論出版妨害事件の総括の頃です。
昭和45年5月3日、東京・両国の日大講堂で行われた第33回創価学会総会で、池田大作会長(当時)は大要次のように発言しています。


創価学会公明党の支持母体としていく。当然、学会員の政党支持は、従来通り自由であり、学会として、政党支持について会員の自由意思に干渉するものではない。ただし、政治次元のことで学会をカク乱し信仰を濁らせるような動きに対しては、除名などのきびしい措置をとるのもやむをえない。」
朝日新聞、昭和45年5月4日付)


つまり言論出版妨害事件を受けて、創価学会及び池田大作会長は、信徒の政党支持の自由を明確にし、会員の自由意思に干渉するものではないとしました。
しかしながら、現在、創価学会の内部において行われている選挙の姿勢というものは、所詮「創価学会を世間に認めさせるもの」であり、その勝利至上主義の淵源は、池田氏のこの『立正安国論講義』にあると言わざるを得ないと思います。


実際、創価学会組織内部に蔓延する「勝利至上主義」は根深いものがあり、これが完全に払拭されない限り、真に言論出版妨害事件の総括になったとは言い難いでしょう。