いつもみなさん、ありがとうございます。
この入信の経緯なのですが、北条雋八子爵の息女である北条つね子(常在寺信徒、創価学会4代会長・北条浩の叔母にあたる)が、学友でもあった松平信子(秩父宮勢津子妃の実母)に大石寺信仰を勧めて入信します。この縁から勢津子妃、秩父宮雍仁親王らが相次いで入信することになります。
こうした経緯から戦時中、貞明皇后は大石寺62世日恭書写本尊を受持することになりました。なおこの本尊の右上には「皇威宣揚之印」と書かれ、昭和16年8月の日付が書かれています。同本尊は貞明皇后の逝去後、常在寺に返納されています。
なおこの事実を後世にきちんと残すために、昭和28年1月1日の聖教新聞では、北条つね子の文章が写真入りで紹介されています。
以下に全文を紹介してみましょう。
「此の御本尊は昭和十六年八月当宗大本山大石寺六十二世鈴木日恭上人より皇太后陛下へ御感得になりました常住本尊であります折から我国は支那事変につづいて第二次世界対戦の国難の最中でありまして宗祖日蓮大聖人の聖意を信じ奉るあまり常在寺より同信徒松平信子夫人の手を経て御送り申上げましたそれより陛下は日夜御本尊の御前にて厚き御信念を以つて皇国の御安泰を御祈念になつたのであります、昭和廿六年五月十七日陛下崩御に際し当寺へ返納になり永く寺宝として存続いたすものであります
昭和廿六年七月
常在寺信徒 北条ツネ子 謹書 八十一歳」
(聖教新聞、昭和28年1月1日)
なぜなのか理由は判然としませんが、以下のことが考えられるかと思います。
1、なんらかの理由で池田会長以降の創価学会は、皇室の入信の事実を会員に伏せておきたかった。
理由が奈辺にあるのか、私にはわかりかねますが、少なくとも池田会長以降、創価学会はこの皇室の入信の事実をほとんど報道しなくなります。恐らく現在の会員も知る人はほとんどいないと思います。
こういうところからも、史実を重視しない創価学会の本質がよく出ているようにも思えます。