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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

偽作された飛び曼荼羅。

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いつもみなさん、ありがとうございます。


さて先日の記事で、仙台仏眼寺の通称「飛び曼荼羅」と称される本尊が、かつて聖教新聞に画像として掲載されていたことを紹介しました。


「写真に撮影されていた飛び曼荼羅


ところで、この「飛び曼荼羅」とはどういうものなのでしょう。


飛び曼荼羅とは、かつて火災があった際にこの本尊が自ら飛んで延焼を免れたという逸話がある本尊です。
この「飛び曼荼羅」は、日興筆の本尊に日蓮本人が花押を付けたとされています。


個人的な考えですが、私はこの「飛び曼荼羅」について、後世の偽作であると考えています。


理由としてはいろいろあるのですが、基本2点を挙げたいと思います。


まず1点目として、大石寺26世日寛自身がこの「飛び曼荼羅」について疑義を抱いていたということです。
日寛の講義を筆録した覚応坊日相(後の大石寺31世日因)の聞書には以下のように書かれています。


「又仙台仏眼寺の重宝に文永五年十月十三日の御本尊有り、卅余年と云云。別座仰せに云く、仏眼寺の御本尊は不審也云云。」
(日相『観心本尊抄日相聞書』富士宗学要集10-8ページ)


読んでおわかりのように、日寛本人が讃文の年代から考えて飛び曼荼羅の信用性に関して疑義を抱いていたことがわかります。


2点目ですが、冒頭2枚の画像から見比べればわかるように、日興書写本尊のうち宮城上行寺蔵のNo.7本尊(正応5年10月13日、2枚目画像)の首題と「飛び曼荼羅」(冒頭1枚目の画像)の相貌が酷似しており、このNo.7本尊をもとにして「飛び曼荼羅」が創作された可能性が高いと考えられることです。


本尊に勧請された諸尊の位置のずれはありますが、首題と日蓮の字は酷似していると思います。また不動と愛染の位置が左右逆に書かれているのは珍しく、これが両者でともに一致して逆に書かれているのも偽作説を後押しするのに十分な証拠かと思います。