気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

法主も自ら学んだ。








いつもみなさん、ありがとうございます。




さて私はこのブログでいろいろと大石寺の教義の問題について、突っ込んで書いています。
すると大石寺の一部の法華講さんは、やたら感情的に反発してきます。


「君は誰の指南を受けて法華経を読んでいるのか」


とまあ、そんな感じです。
別に誰の指南も受けていませんが、彼らからすると「それ、見たことか。御法主上人の御指南に沿わなければ真に法華経を読むことはできないのだ」と言いたいだけなんです。


そもそも日蓮の遺文とか、経典とかって、権威のある正統の教団とか指導者に教わらないとわからないようなものなんでしょうかね。
彼らの論理は「池田先生についていかないと真実の師弟はわからない」と言い張る創価学会員と何も変わらないと思いますね。そしてそのことに彼らは気づくことさえできていないのですから、噴飯ものです。


例えば大石寺66世の細井日達は「日淳上人追憶談」の中で次のように述べています。


「第二番目の会長戸田城聖氏が私につくづくもらしたことがあります。それは戸田会長が(日淳)上人に『あなたはこのご法門をだれから聞いたか。あなたはよく法門がりっぱでよくおできですが、この血脈抄といって、百六箇抄とか、本因妙抄というのがある。それをよくあなたは知っていらっしゃるが、だれから聞いて教わったのですか』といった。そしたら上人は『いいえ、私は誰からも教わりません。本をもうなんべんもなんべんもくりかえし、くりかえし読んだ。そしてはじめて意がわかりました』と答えられました。(中略)
じつに上人が師匠もなく努力して、研究せられた。そしてじつにあのくらいのご法門家になられた。ほんとうにご自分で研究せられて、その意に達したということを考えることができるのでございます。」
細井日達「日淳上人追憶談」昭和34年12月3日、『日達上人御説法集』所収、鳳書院、1964年)


一読してわかるように大石寺65世の堀米日淳氏自身が師匠もなく、誰からも教わらず、なんべんも読んで学んだことで、血脈抄の意を理解したことが述べられています。


そもそも日蓮自身が経文を自ら学び、経文と天台の教判を根拠として正統性を主張したことは『善無畏三蔵抄』等、諸抄に明らかなことです。



教団のロジックで、自ら学ぶことを放棄し、どこかで思考停止させるような教義はもはや時代錯誤であり、過去の法主の発言とも相違するばかりか、そもそも日蓮の考え方とも相違してしまうと私は思います。