いつもみなさん、ありがとうございます。
さて私はこのブログでいろいろと大石寺の教義の問題について、突っ込んで書いています。
「君は誰の指南を受けて法華経を読んでいるのか」
とまあ、そんな感じです。
そもそも日蓮の遺文とか、経典とかって、権威のある正統の教団とか指導者に教わらないとわからないようなものなんでしょうかね。
彼らの論理は「池田先生についていかないと真実の師弟はわからない」と言い張る創価学会員と何も変わらないと思いますね。そしてそのことに彼らは気づくことさえできていないのですから、噴飯ものです。
「第二番目の会長戸田城聖氏が私につくづくもらしたことがあります。それは戸田会長が(日淳)上人に『あなたはこのご法門をだれから聞いたか。あなたはよく法門がりっぱでよくおできですが、この血脈抄といって、百六箇抄とか、本因妙抄というのがある。それをよくあなたは知っていらっしゃるが、だれから聞いて教わったのですか』といった。そしたら上人は『いいえ、私は誰からも教わりません。本をもうなんべんもなんべんもくりかえし、くりかえし読んだ。そしてはじめて意がわかりました』と答えられました。(中略)
じつに上人が師匠もなく努力して、研究せられた。そしてじつにあのくらいのご法門家になられた。ほんとうにご自分で研究せられて、その意に達したということを考えることができるのでございます。」
一読してわかるように大石寺65世の堀米日淳氏自身が師匠もなく、誰からも教わらず、なんべんも読んで学んだことで、血脈抄の意を理解したことが述べられています。
そもそも日蓮自身が経文を自ら学び、経文と天台の教判を根拠として正統性を主張したことは『善無畏三蔵抄』等、諸抄に明らかなことです。