気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

家庭訪問のこと。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて私が創価学会の活動家だった頃、一番好きな活動は実は"家庭訪問"でした。
くだらない会合があるくらいなら、さっさとすっぽかして家庭訪問をたくさんしていたくらいです。それくらい好きでした。


何が好きだったかというと、いろんな人に会うのが好きでしたし、いろんな人の力になることに妙な使命感を覚えていたのかと思います。今にして見れば単なる偽善で思い上がりに等しいんですけど(笑)、まあたくさんの人と会ってご飯食べに行く約束をしたり、一緒にお酒を飲みに行ったり、遊びに行く約束するのが好きでした。いきなり「会合に行こう」なんて言ったって、そんな非活のメンバーが行くわけないっすよね(笑)。私の家庭訪問の最大の目的は仲良くなって、いろんな人と知り合うことでした。



最近、私のブログを評価して頂く方が増えまして、その中には「気楽非活さんの研究を楽しみにしています」とか面映ゆいことを述べられる方もいます。
褒められたら嬉しいのは人情ですけど、ただ私がこのブログで書いていることは「研究」なんて大それたものでもありません。ただ本を読んでわかったことをわかりやすく書く。そして文献をただ紹介しているだけです。
ですから私自身はとても俗っぽい人間かと思っています。皆で食事に行くのも好きだし、遊びに行くのも好き、本を読むのも好きだけど、みんなでワイワイ騒ぐのも好きでした。
だから私にとっては本を読むことと、人と話すことは同じことでした。いろんな人から学ぶことが好きでしたし、本を読むと自分の経験も広がるように思っていました。


思うに創価学会の活動家さんは(大石寺の信徒さんもそうですが)、非常に狭い世界の中で生きているように思います。かつて私もその世界の住人でしたからよくわかるのですが、非常に偏狭な基準だけを頼りに世界のあらゆる思想を軽視して「この仏法が最高なんです!」って言い張っているだけの子どものような感覚の持ち主が多いと思います。


御書を読むのが私は昔から好きで、若い頃はいろんな素朴な疑問、また理解したことなどを幹部に話したものです。けれど大抵の幹部に限って「いやぁ、僕は御書は苦手でね」とか「君がわかったことは凄い! 今度はそれを折伏の結果として出して師匠にお応えしていこう!」とか、わけのわからない(笑)リターンにあい、当惑することが多かったです。


閑話休題、私は家庭訪問で「他者に会うのが好きだった」のだと思います。いろんな考え方を聞いてみたかったし、友だちになりたかっただけなんですね。
ところが、現実の創価学会の活動家や幹部の方は、違う意見を受け付けない、偏狭な正義感だけしか提示できず、思考が停止している人が多かったですね。



家庭訪問に感じていた私自身の楽しさ、他者から学びたいと思っていたことと、幹部に感じた思想的な閉鎖性との違和感こそ、最初の非活になるきっかけとなった遠因なのかもしれないと思うこともしばしばです。