先日、阿部日顕氏の昭和62年の発言を載せました。
「『信心の血脈』のこと。」
で、ここでの阿部氏の「信心の血脈」観もその後の創価学会に特徴的な考え方になります。
正木さんが入った会合でこんな幹部指導を聴いたことがあります。もちろん宗門問題以降のことです。指導の中で彼は「五重の相対」について言及し、五番目の「種脱相対」の上にもう一つ相対があるということを述べていました。
どういうことかというと「宗門問題で創価学会は宗教改革を果たしたんだ」と。で、「結局正しい教義もまた腐敗し、真実の血脈は創価学会の中にしかない」と。だからこそ「私たちは"宗創相対"あるいは"僧俗相対"とも呼ぶべき新しい発迹顕本を遂げなければならない」と、大要そんなことを述べていました。記憶を頼りに書いているので細部は違うかと思いますが、だいたいそんな感じです。
ですからこの時の正木さんは、昭和62年の阿部日顕さんの考える「信心の血脈」観とほぼ同様の見解に立ち、その在家中心主義ともいうべき血脈観を推し進めていった中心的な人物であったかと私は思っています。
正木さんのような血脈観は、三代会長と会員の間に血脈が流れ通うとする、独自の教義になってきますよね。
そんなものを引っ張ってきて創価学会の正統性を主張しても、他宗から物笑いの種になるだけなんですけどね。