いつもみなさん、ありがとうございます。
最近、読者の方から連絡をいただきますが、「ブログを読んで創価学会の嘘に気付き、退会しました」「ブログを読んで日蓮正宗の欺瞞を改めて実感し、離宗しました」との多くの声を聞きます。改めてありがとうございます。
今回は以前に書いた「題目板碑」の続きになります。
「題目板碑について」
題目板碑について調べてみると、日蓮正宗側の情報によりますと、本源寺、上行寺、妙教寺、妙円寺等の周辺には題目の「板碑」が30基以上存在しているようです(阿部日顕監修『日興上人・日目上人正伝』356ページ、日蓮正宗、昭和57年)。
さて上記引用記事では題目板碑が実質的に「曼荼羅本尊」を石に刻んだ例も多く、その問題点を挙げて紹介した次第です。
ところで、調べていくと、この石に題目を刻む「題目板碑」はなんと大石寺3祖日目の代まで遡ることができます。
上にあげた画像は、宮城県の日蓮正宗寺院・本源寺付近に現存する「題目板碑」です(同355ページ)が、本源寺開基・大石寺3祖の日目本人が石に題目を刻んだ「板碑」が現存していることがわかります。そして大石寺59世堀日亨氏もこれを日目の真蹟と認めています。
ということは、日目の伝統に則るなら、題目を石に刻んで安置することは、日蓮正宗本来の教義ということになるでしょう。
それならなぜ「題目板碑」を現在では教義としてやらないのでしょうか?
大石寺3祖日目もやっていた教義であるなら、なおさらのこと、題目を石に刻んで寺院周辺に安置することは「広宣流布」を推進する上で有効な布教方法だったのではないのでしょうか? なにしろ日興の弟子である日目が「題目板碑」を行っており、その事実を日蓮正宗も公式に認めています。
阿部日顕監修の『日興上人・日目上人正伝』では「題目板碑」を「石で造られた塔婆」としていますが、ではなぜ今では石で作られないのでしょう?
日目の通りに教義を実践するなら、日蓮正宗はやはり石に題目を刻んで寺院周辺に置くことが正しいのではないのでしょうか?