千葉の保田妙本寺には、蓮祖文永11年12月書写のいわゆる"万年救護本尊"が存在します。
これは日蓮直筆の脇書において唯一「大本尊」と記されている本尊になります(画像参照)。
(万年救護本尊の脇書)
富士門流の考え方では、この本尊は日蓮から日興、日興から日目、日目から日郷、そして日郷から保田妙本寺の歴代貫首に伝承されてきたとしています。つまり大石寺においてもこの本尊は日蓮が日興に授与した本尊であるとしているということです。
また大石寺第17世日精の『富士門家中見聞』でも「又弘安二年に三大秘法の口決を記録せり、此年に大漫荼羅を日興に授与し給ふ万年救護の本尊と云は是なり、日興より又日目に付属して今房州に在り」と記録されています。
ということは『日興跡条条事』に書いてある「日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊並御下文日日に之を授与す」とした"大御本尊"とは保田妙本寺にある「万年救護本尊」と考える方が自然なのではありませんか。
創価学会を退会した方の多くがかつて保田妙本寺にいたことも頷けます。それに保田妙本寺は一時期、日蓮正宗に帰一していた時期もありますよね。現在は分離独立し、単一寺院となっています。このことはちゃんと小説『人間革命』にも出てきます。
ただこの本尊を創価学会が信仰の対象として拝むことは難しいでしょうね。考えられる理由は2点あります。
1点目は、脇書において釈迦を「慈父」とし、釈迦を本仏とする立場を堅持しているということです。この点について日蓮本仏説を唱える創価学会としては教義の再考を要求されるでしょう。
2点目は妙本寺に伝わる日郷の文書において、この本尊に対しての戒めがあることです。
「一、日蓮聖人御自筆本尊一舖文永十一年甲戌十二月 日
一、日蓮聖人御所釈等
一、天台六十巻一部
右法蔵に籠め奉る也、師子相承の族等、代代受学の輩、緩怠の義無く守護し申さ令む可し、若しは猛悪の義を存し、若しは兪盗の思いを成す者は、一門の列中に配し、衆中の交わりを留む可きの状件の如し。
文和二年 日郷判」
妙本寺においては文永11年本尊を修行本尊とは考えておらず「法蔵に籠め奉る」と戒めています。これは背く者は「日郷門流に非ず」ということでして、事実妙本寺歴代貫主もこの本尊を書写することはしていません。また妙本寺本堂にも安置されているのは日興書写本尊の板模刻のものです。
けれど、日郷に伝わっている相伝では、この万年救護本尊は修行本尊ではないんですね。要するに日蓮が上行菩薩の再誕であり、日本が本国土であることを顕示した顕発本尊という立場であって修行本尊ではないというのが、恐らくは妙本寺流の日郷以降、あるいは要法寺流の日蓮本宗等の考え方なのでしょう。
私がここで主張しておきたいのは、何も日郷の考え方が正しいとかそういうことなのではなく、正しい唯一の蓮祖の正当な本尊があるという"幻想"はもうやめにした方がいいですよね?ってことです。
唯一、この万年救護本尊は日蓮自身の筆で「大本尊」と書かれたものですけど、それ以上の意味があるものではありません。
日蓮正宗のやってきたことの罪深さは、神話の創作であったということです。
あたかも法主に代々に伝わる相伝があるかのように偽装し、後世の創作の戒壇本尊を真筆と偽り、日目が再誕するという神秘的な教義を作りました。基本の教義は日寛による恵心流の中古天台口伝法門を日蓮と置き換えただけの浅薄なものに過ぎません。
信徒からすれば、確かに完成された教義の方がわかりやすいし、信用しやすい。
私たちは自身で信仰を選び取るべきですし、それこそが真の民衆の仏法の本義であると思います。何も総本山とか宗教団体とかに信仰の担保をしてもらう必要などないのですから。