敬台院と日精のこと。
大石寺は18世日精の代に敬台院の資金援助により、徳川家有縁の寺になりました。その後、敬台院により細草檀林が創設され、その影響で八品正意説の『上行所伝三大秘法口決』、また『御義口伝』(『御義口伝』最古の写本は八品派日経のものです)等々の教義が大石寺に流入することになります。
塚本素山のこと。
「池田大作さんとは、お互いに30歳代そこそこのときに会っているんだ。あれは1963年の東京都知事選挙に、自民党から東龍太郎が再出馬して、創価学会の60万票の行方が鍵を握っていたときだ。自民党としては、なんとかこの学会票60万票がほしいから、大野伴睦が池田大作さんに会おうとしていた。そこで関係者を探すと、財界人で塚本総業の塚本素山が創価学会の実力者で、池田大作さんとしょっちゅう会える立場にあるという。それで彼が池田大作さんを大野伴睦に紹介してくれて、ホテル・ニュージャパンで二者会談が行われたんだ。(中略)
この後、池田大作さんが『創価学会の60万票を自民党に入れる』という一筆を書いてくれる。それを僕がもらいに行き、大野伴睦に届けるなんてことがあったんだ。大野伴睦はそれを見て飛び上がって喜んだよ。(中略)
(渡辺恒雄/伊藤隆・御厨貴・飯尾潤『渡辺恒雄回顧録』279〜280ページ、中央公論新社、2000年)
9世日有から日乗、日底、日鎮への相承。
『創価学会秘史』への宮田幸一氏の所感に対して読者の所感。
「いつも楽しく拝見さえていただいております。
最近、『創価学会秘史』という本について、
http://hw001.spaaqs.ne.jp/
私は牧口研究をしていたこともあって、
高齢であることからボケてしまったのか、
もともと宮田氏は文体にも問題があるように私は感じていました。
その一つが「~だが」というBUT構文が多いという点です。
例えば次の文章です。
「高橋氏は『数字の神秘主義』として『七つの鐘』の理論に言及し、
どうでしょう。
あと挑発的な言動も今回の所感では二か所見受けられています。
『ついでに高橋氏に有益な情報をプレゼントしよう。』
という文章と
『高橋氏が宗教に関心があるなら、
という部分です。
二つ目の文章など、
次に矢島氏について創価学会が批判したのは戸田池田が正統な後継
「また高橋氏は、ある時期に矢島批判を始めた理由を『とうの昔に世を去り学会員のほとんどにとって記憶の埒外にあった
戸田が牧口の、
この点は大いに問題が残る点だと思います。
一つ目に教団の後継者の基準が、
二つ目に発展させた功績があったからを基準とした場合、牧口、
仮にそうだとしたら「師の教えを展開させ弘めた弟子」
この点を全く無視して議論が展開されているように読めます。
(
それとブライアン・ビクトリア氏の指摘への反論も不自然です。
今回の所感の流れを大まかに説明すると、『創価学会秘史』
そして牧口氏が戦争に加担したとする主張の初期のものにブライア
「一読した限りはなるほどと思える」
一読で「え?」と思いました。
その主張は次のようなものでした。
牧口は治安維持法違反で捕まった。
治安維持法はもともと天皇制維持を目的とし反体制派である社会主
それらを解体した後、軍部は戦争政策遂行の障害を除くため、
牧口はそれに引っかかったから「間接的に」
いささか苦しい主張だと思います。
この主張では軍部が牧口を戦争遂行の邪魔だと考えていたとは言え
判断の主体が軍部が邪魔だと思っていたかどうかであるという基準
とりま、このあたりかと思います。
宮田氏の視点を私は受け入れやすい視点観点として採用しています
(組織的な圧力がかかって、いやいや書いているのかな、
確認のために付け加えますが、
ただし、ある学説の批判的考察をするなら、
所感であって論文、
基本的にこの方のご意見に私は同意です。宮田氏には申し訳ないのですが、彼の反論には説得力に乏しい印象をどこか拭えないでいます。つまり教団の擁護という視点で書かれていまして、どこかこの点に関しては客観的な視点を宮田幸一氏が失っているように思えてなりません。