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創価学会の非活メンバーによる語り

日精は大石寺の17世か、18世か。

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いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は大石寺17世とされる日精の相承のことを書いてみたいと思います。


まず冒頭の画像ですが、これは大石寺48世日量著とされる『富士大石寺明細誌』です(富士宗学要集5-343)。
ここからわかるように、日精は「17世」ではなく「18世」であるとされています。


日精が大石寺の「17世」であるとされたのは実は66世細井日達の頃でして、それまでは日精は「18世」であると考えられていました。
ではなぜ「17世」とされたのかというと、恐らくそれは日精の『家中抄』の自身の相承の日付からかと思います。
少し引用してみましょう。『家中抄』の日就伝の項には次のように書かれています。


寛永九年十一月江戸法詔寺に下向し直授相承を以て予に授け同十年癸酉二月廿一日没したまふ行年六十六歳なり。」
(日精『富士門家中見聞』富士宗学要集5-260〜261ページ)


ここで奇妙な史実の不整合が出てきます。
富士年表からも、また冒頭画像の『富士大石寺明細誌』からもわかることですが、先代の16世日就は寛永9年2月21日に亡くなっています。冒頭画像の日付を確認してみてください。
つまり日精は、死人から相承を受けたことになります。


実は史料をよく見ても、この16世日就から日精に相承が伝わっているとする客観的な物証がなんら見当たらないんですね。


そして『富士大石寺明細誌』では、大石寺の17世の法主が日精ではなく日盈(にちえい)であるとされています。


実はこのへんの大石寺の相承については、かなり錯綜していまして、少しずつまた続きを書いていこうと思います。