気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

応援メッセージの紹介。





いつもみなさん、ありがとうございます。
最近、本当に沢山の応援メッセージをメールで頂きます。
本当に感謝しています。



一部をいくつか紹介したいと思います。
 


「気楽さんのブログを今日はじめて拝見しまして、これまで学会に感じていた違和感を、整理して文章にしてもらったように感じとてもスッキリしました。もっと早くこのブログの存在を知りたかったです。今後もブログを拝見させて頂き、応援しています。」


「気楽様のブログで本当に励まされる人は多いと思います。私もその一人だからわかるのです。色々文句を言ってくる様な人も多い様ですが、頑張ってください。何もできないですが、応援しております。」


「今後は自分の心もどう変化していくのかは解りませんが、物事は全て変わっていくもの、正しいことは一つではない、そんな事を気楽非活さんのブログで学ばせて頂いています。ありがとうございます。」


「貴方のブログを読み、ほぼ百パーセント支持・共感します。(中略)現在、御書全編を5回くらい読んでいます。結果、大石寺教学、創価教学ともに妄想教学、あるいは詭弁教学であると私は結論づけています。(中略)貴方の教学力はかなり深いと思っていますので、ご教示いただければ幸いです。」


「参考になりました。私も『どこかに真実がある』『どこかに正統がある』という宗教的なドグマから卒業します。今後も気楽に語ろう☆創価非活ブログ楽しく読ませて頂きます。」


「先日学会を退会いたしました。いろいろ参考にさせていただいています。ありがとうございます。」


「これからは組織信仰ではなく個人信仰の時代だと思います。気楽に創価非活さんのブログはいつも見ています。これからも頑張ってください。」


「学会も法華講も狂ってます。きちんと過去の文献などを調べもせず絶対だ絶対だって。本当に気楽非活さんのブログを見せてやりたくなります。でも話をするだけ無駄でしょう。」


大石寺の言い伝えをそのまま信じている方々が不思議に思います。気楽様のツイートにありましたが、科学鑑定をするべきだと思います。」


「確かにTwitter上のやり取りに関しても、権威付けに御書を切り文をし都合よく引用している方が多い為、辟易させられます。正直に同じ宗派ながら、恥ずかしい人が多いので呆れます。」


「貴殿のブログの内容が信憑性が高いことがわかり、色々考えさせられました。毎日ブログを見るのを楽しみにしています。」






メール、メッセージを頂く方の多くが創価学会員さん、またその非活や退会者さん、大石寺の根檀家さんや法華講さんです。
みなさんのメッセージ一つ一つが私の執筆の力になっています。
本当にみなさん、ありがとうございます。





教義の再生産の否定。





いつもみなさん、ありがとうございます。
さて私は個々人の信仰の自由を尊重したいと思いますが、一部の曖昧な大石寺系教義を容認するような議論については何度となく批判しています。
それはなぜかと言えば、それを認めてしまえば、創価学会のような教団の存在を容認することになろうかと思うからです。


いずれ少子高齢化の波にさらわれて、創価学会にせよ大石寺にせよ衰退していくことは必至です。教団の日本国内における信徒数は減ることはあっても増えることはもうありません。


が、日寛の「依義判文」の思想に無自覚に固執し、自分が「こう確信する」という曖昧な体験から新たな教団や立場が現れるなら、それは所詮、第2・第3の創価学会であり、単なる分派に過ぎないと思うんですね。


その結果、それらは考えない信仰者を無自覚に増産し、教団指導者や教団幹部につくことでしか教えを知ることができない教義を再生産することにしかならないでしょう。


それなら自身の信仰の立場を一度カッコにくくってしまえばよいのかと思います。
つまり自身が正しい信仰をしているという前提を一度外してしまえばよいだけなのかと思いますが、それがなかなか大石寺系教団信徒さんはできないのでしょうね。


もちろん信仰は自由ですが、大石寺系教義を事実上曖昧にして容認するような議論は、単なる議論の混同であり、否定されるべきだと私は考えています。







池田氏とチャウシェスク氏との交友。

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いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は池田大作氏の交友関係の中で、最近はあまり語られることのない、ルーマニアのニコライ・チャウシェスクとの関係について書いてみようかと思います。


まあこの辺はネットでちょっと調べればいくらでも出てくるので、わざわざ私が書くまでもないのですが、忘れている方もおられるようなので。


池田名誉会長は1983年6月4日から9日までルーマニアを訪問。この中で6月8日午前中に池田大作名誉会長は、ニコライ・チャウシェスク大統領を官邸に表敬訪問し、約60分に渡って核廃絶や世界の軍縮、平和について語り合っています。またこの会見の模様は国営ルーマニアのテレビ放送でも報じられたとされています(『第三文明』1983年9月号106〜107ページ)。


このことは聖教新聞でも報道されています。


ルーマニア建国の指導者、世界平和に尽力され、ご努力してくださっているチャウシェスク大統領に心より感謝の意を表します。」
聖教新聞、昭和58年6月9日)


「今後も世界の指導者として、チャウシェスク大統領のご活躍とご健勝を祈ります。」
聖教新聞、昭和58年6月10日)


同年6月11日の聖教新聞にはこのチャウシェスク大統領との会見について社説でも触れられていました。


また昭和50年(1975年)3月25日、聖教新聞社で駐日ルーマニア大使のニコラエ・フィナンツー氏と会談した際、池田氏は次のように発言したとされています。


チャウシェスク大統領は、偉大なる指導者であり、独自の哲学をもち、また魅力をもった方であると認識しています。私は、その大統領に将来見習っていかなくてはならないことも、よく知悉しているつもりです。」


チャウシェスク大統領のような聡明な指導者をもったお国は幸せであると申し上げたい。 」


「私の直観では、今の閣下のあとの代になっても、次の後継者はスムーズにいくように思います。」



周知の通り、ニコライ・チャウシェスク氏は1989年のルーマニア革命によって追放され、妻と共に公開処刑されることとなります。


チャウシェスク氏が果たして本当に独裁的な指導者であったのかということに関して私は再評価の余地もあるとは思います。末期のチャウシェスク政権では高級官僚化した党幹部らの暴走もあり、そのスケープゴートとして処刑された可能性もあるのかとは思うんですね。


ただ一度友誼を結んで「偉大な指導者」と呼んだ間柄の池田氏が、その後、このことに関して全く語らず、チャウシェスク氏との会見の事実そのものがタブー視されている現状は、上述の池田氏本人の発言から考えても信義に欠けるものかと私は思います。








日精は大石寺の17世か、18世か。

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いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は大石寺17世とされる日精の相承のことを書いてみたいと思います。


まず冒頭の画像ですが、これは大石寺48世日量著とされる『富士大石寺明細誌』です(富士宗学要集5-343)。
ここからわかるように、日精は「17世」ではなく「18世」であるとされています。


日精が大石寺の「17世」であるとされたのは実は66世細井日達の頃でして、それまでは日精は「18世」であると考えられていました。
ではなぜ「17世」とされたのかというと、恐らくそれは日精の『家中抄』の自身の相承の日付からかと思います。
少し引用してみましょう。『家中抄』の日就伝の項には次のように書かれています。


寛永九年十一月江戸法詔寺に下向し直授相承を以て予に授け同十年癸酉二月廿一日没したまふ行年六十六歳なり。」
(日精『富士門家中見聞』富士宗学要集5-260〜261ページ)


ここで奇妙な史実の不整合が出てきます。
富士年表からも、また冒頭画像の『富士大石寺明細誌』からもわかることですが、先代の16世日就は寛永9年2月21日に亡くなっています。冒頭画像の日付を確認してみてください。
つまり日精は、死人から相承を受けたことになります。


実は史料をよく見ても、この16世日就から日精に相承が伝わっているとする客観的な物証がなんら見当たらないんですね。


そして『富士大石寺明細誌』では、大石寺の17世の法主が日精ではなく日盈(にちえい)であるとされています。


実はこのへんの大石寺の相承については、かなり錯綜していまして、少しずつまた続きを書いていこうと思います。








大石寺13世・日院のこと。






いつもみなさん、ありがとうございます。
さて大石寺の血脈が7世の日阿と8世日影との間で、一度途切れていることは、このブログでも以前に書きました。


大石寺7世・日阿のこと」


ところで、いろいろ調べていくと、大石寺法主から法主への血脈はいろいろと不思議な形で繋がっているところが散見されます。
典型的な例が上述の日阿ですが、今回は大石寺13世日院について、取り上げてみましょう。


ところで、13世日院の前の法主は12世日鎮という人でして、この日鎮はなんと13歳で法主になっています。
日鎮は亡くなる前年の大永6年(1526年)に『付弟状』を著し、当時9歳の良王(日院の幼名)に大石寺を任せる趣旨の文を書いています。


良王殿の事幼少の御方に御座候、然りと雖も信心御志候て勢仁(成人)致され候はば当時の世間仏法とも御渡し本末の僧俗ども仰ぎ申さるべく候、仍て後日の為め件の如し
大永六年九月五日    日鎮」
(日鎮『付弟状』日蓮正宗歴代法主全書第1巻、443ページ)


ここからもわかるように、日鎮は後継の良王(日院)が「幼少」であることを認めています。確かにその通りで、日院は永正15年(1518年)の生まれですから、大永6年(1526年)に付嘱をされたと考えれば、数え年でわずか9歳の子どもに過ぎません。


そして不思議なのは大石寺17世日精の『家中抄』における日院伝の次の記述です。


「釈の日院(中略)、出家して右京と号す、十三歳にて富士に登り、当家を習学す」
(日精『富士門家中見聞』富士宗学要集5-258ページ)


日院が数え年9歳で法主の相承を受けたわけですが、この記述に従えば日院は13歳の時に初めて富士大石寺にやってきたことになります。
日鎮が亡くなるのが大永7年ですから、少なくとも3年間は大石寺法主の不在期間があったことになります。






教団倫理から個人の信仰へ。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて宗教離れということが日本だけで起こっているのかなぁと思ったら、実はヨーロッパやアメリカでも起こっていて、カトリックプロテスタントの社会に与える影響が弱体化していることがあちこちで指摘されています。



そもそも共同体的な意識を持ったり、相談できる人を得たりするには、現代ならFacebookTwitter等の果たすべき役割が大きいのであって、何も宗教的な指導者に教わらなくてもグーグルで検索すればよいだけですし、自分と趣向が合う人と出会ってSNS上で関係性を築けばよいということになります。
つまり相対的に宗教というものの、社会的価値が弱まっていることがわかるかと思いますね。


周知のことですが、マックス・ヴェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で、営利の追求を敵視するピューリタニズムの経済倫理が資本の蓄積という事態を生み出し、結果的に近代資本主義の誕生に大きく寄与したという歴史の逆説をある意味で論証したと言えるでしょう。
このことは大塚久雄氏もよく指摘されていました。


資本主義の発展はヘーゲル的な神の精神史の最終的な発展であり、人倫の歴史的な最終形態はヘーゲルにあっては近代国家の成立に集約されました。


しかし現代はすでにヨーロッパの秩序が崩壊しつつあり、アメリカでさえトランプ氏の出現により、自国中心主義的な経済倫理を打ち出し始めています。
ハイエクフリードマンにおける新自由主義による国際的な経済倫理の構築は、まさに幻想に過ぎなかったことが徐々に明らかになりつつあるんですね。


とすれば、「近代」というものをもたらした宗教的な教団の倫理そのものももはや否定され、個人の信仰に返っていく時代に入ったのかなぁと私などは思います。






組織の教育力の低下。




いつもみなさん、ありがとうございます。
先日の超高齢化の現実は、反響も大きく、いろんな方が日々実感されている問題かと思います。


さてそのことに関連して、現在の創価学会組織は人材を育成する、その教育力が低下してきています。
つまり新入会者や未来部出身者を糾合できず、その人たちを例えば大学校に集めても継続的な活動家にすることができなくなっているんですね。


これ、実は大石寺法華講さんも同じ問題意識を抱えていることが結構ありまして、実際大石寺信徒が創価学会批判をして退会、勧誡に導くのはその方が新入信者より人材を育てるのが手っ取り早いからなんですね。Twitter等で大石寺日蓮正宗信徒が創価学会の非難ばかりをたくさん書くのはそういうわけです。
ただ最近は駅頭でビラを撒いたりもしていまして、早瀬日如氏の代から徐々に一般の方への入信を勧める運動も出てきています。


閑話休題創価学会はもはや社会としての教育力が維持できないレベルにまで達してしまっており、任用試験のレベルの低下も深刻(だいたいマークシート方式でえらく薄っぺらい内容ですし)。大学校の卒業規定も曖昧。青年部が自前で会合の結集をすることができず、壮年と婦人部が青年部結集に動き回り、青年育成会議とか未来部育成会議とかを支部の壮年婦人部幹部が語り合っている状態です。で、肝心の青年部幹部は地区にも支部にもいないと。
女子部の部長がいない組織など現在は当たり前ですし、本部長さえいない組織も当たり前。男子部でもすでに部長が立てられない組織も多いですね。


つまり支部の責任者が青年層から立てられない現実があり、そんな中で未来部担当者を青年部が担えるはずもないんです。だから結局高齢の方が代わりにやらなくてはならないと。


男女青年部が担っていた役割が全て「元青年部」であった壮年部、婦人部の肩にかかってきています。例えば以下のようなことです。


創価班の着任、会館警備と車両の誘導。
・牙城会着任、館内巡回、警備。
・白蓮による入場券整理、会場内誘導。
・少年少女部の家庭訪問、指導激励。
・少年少女部合唱団の運営。
・中等部、高等部員の指導激励。進学指導。
・キッズフェスタ等、夏の未来部会合運営。
・大学校生の糾合。
・青年部の会合への結集。
・地方議員の遊説隊。


他にもたくさんあるでしょうけど、それらが青年部だけでできなくなっています。そして地域には教育力がなく、大学校生を集めてみても一年足らずで非活になってしまうことが多いです。