気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

教団倫理から個人の信仰へ。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて宗教離れということが日本だけで起こっているのかなぁと思ったら、実はヨーロッパやアメリカでも起こっていて、カトリックプロテスタントの社会に与える影響が弱体化していることがあちこちで指摘されています。



そもそも共同体的な意識を持ったり、相談できる人を得たりするには、現代ならFacebookTwitter等の果たすべき役割が大きいのであって、何も宗教的な指導者に教わらなくてもグーグルで検索すればよいだけですし、自分と趣向が合う人と出会ってSNS上で関係性を築けばよいということになります。
つまり相対的に宗教というものの、社会的価値が弱まっていることがわかるかと思いますね。


周知のことですが、マックス・ヴェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で、営利の追求を敵視するピューリタニズムの経済倫理が資本の蓄積という事態を生み出し、結果的に近代資本主義の誕生に大きく寄与したという歴史の逆説をある意味で論証したと言えるでしょう。
このことは大塚久雄氏もよく指摘されていました。


資本主義の発展はヘーゲル的な神の精神史の最終的な発展であり、人倫の歴史的な最終形態はヘーゲルにあっては近代国家の成立に集約されました。


しかし現代はすでにヨーロッパの秩序が崩壊しつつあり、アメリカでさえトランプ氏の出現により、自国中心主義的な経済倫理を打ち出し始めています。
ハイエクフリードマンにおける新自由主義による国際的な経済倫理の構築は、まさに幻想に過ぎなかったことが徐々に明らかになりつつあるんですね。


とすれば、「近代」というものをもたらした宗教的な教団の倫理そのものももはや否定され、個人の信仰に返っていく時代に入ったのかなぁと私などは思います。