気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

創価学会幹部の本尊理解。





いつもみなさん、ありがとうございます。


さて今回(2018年)の青年教学1級試験の、とある勉強会で、担当講師であった幹部の講義について、活動家さんの一人から情報提供がありました。今回は創価学会幹部の本尊に関する理解がよくわかる発言と考え、紹介してみたいと思います。



発言をしたのは、K副総区長、世田谷区で新聞販売店をされている壮年幹部の方です。


以下、彼の講義における発言の要旨です。
講義は『生死一大事血脈抄』の「然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道法華経と我等衆生との三つまったく差別無しと解りて南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」(創価学会版御書、1337ページ)についてのもので、2018年9月23日、世田谷平和会館での発言です。


「ここの解釈は『日蓮大聖人=曼荼羅本尊=創価学会員』であると拝します。現実社会で広宣流布を進め、お題目をあげている創価学会に血脈が流れているので、宗門が言う、法主が特別であるとか、弘安2年の大本尊が特別であるという考えはおかしいのです。

弘安2年の大御本尊も昔は、広宣流布をしている創価学会員が拝んでいたから本尊として機能していました。現在は僧俗差別をする僧侶が拝んでいるので、機能が停止しているのです。

そのことが分かっていたので、戸田先生は早くから創価学会を別の宗教法人にして手を打っていたのです。

そのため、広宣流布をする創価学会が認定し創価学会員が拝むなら、身延の本尊でも池上の本尊でも功徳があります。現実には創価学会の物でもなく、血脈のない人が拝んでいるので、日蓮大聖人の真筆の本尊でも功徳がないのです。

昔、三大秘法とか言っていましたが、個人の家庭に仏壇を安置して創価学会員が題目をあげる時に三大秘法がそろうのです。」



という講義ですが、以前の創価学会の本尊理解と全く違っており、大石寺法華講さんが聞いたら怒り狂いそうな発言です(笑)。
そもそも不思議なのは、本尊というものが「創価学会員が拝むかどうか」によって功徳が出たり出なかったりすると考えている点です。
これは要するに、自分たちだけに血脈が流れ通うという、戒壇本尊を元にした大石寺の独善性を、単に「創価学会員のみに血脈がある」と言い換えただけのものです。


「本尊教義の矛盾」


まあ、噴飯ものの本尊理解なんですが、とするとなぜ日蓮真蹟曼荼羅ではなく、大石寺法主曼荼羅を根本にしているのかわからないですよね。どんな本尊でも創価学会員が拝むことで功徳が出るというなら、身延山日蓮曼荼羅の複写を配布すればよいのに、なぜわざわざ大石寺の64世水谷日昇の本尊を大誓堂に安置して、各家庭では26世堅樹日寛の本尊を拝んでいるのかよくわかりませんよね。大石寺法主の本尊を拝むなら、その本尊は基本「戒壇本尊の写し」として出しているものですから。


まあ情報提供者の方も言っておられましたが、「幹部がこのような本尊理解ですから、今後本尊の変更も十分にできる環境は整いつつある」ということなのでしょう。
また「生死一大事血脈抄をここまで重要な文証とするなら、創価学会は今後とも日蓮遺文の真贋の問題については触れずに行くのでしょう」とも言われていましたが、この点についてもほぼ同意見です。