読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

広宣部と言論企画部。

f:id:watabeshinjun:20161126020341j:plainf:id:watabeshinjun:20161126020401j:plain



さていよいよ、このことを書くことにしました。創価班の広宣部、そして牙城会の言論企画部です。
私が活動家だった頃の話を書きます。
あまり外部にもらしてはいけないと言われたものですが、もう今となってはそんな義理が創価学会にあるわけでもありません。
まあそんな大した話でもないので、気楽に書いてみようかなと。



私が青年部時代、顕正会創価学会員への退会を迫ったり、法論を迫ったりする事案が急増しました。
彼らは国立戒壇の建立こそが本来の日蓮の教えであると主張し、学会員を勧誘したわけです。
地域によって差はありますが、創価学会員がこれによって退会したり、顕正会員になったりしました。
そこで顕正会対応のために生まれたのが創価班の内部組織、広宣部でした。



創価班というのは、学会の会館警備、駐車場案内などをする人材グループで、青いジャケットを着て会館で誘導灯を持って車を案内している人たちです。
「広宣部」というのはこの創価班の内部グループになります。



彼らの中に「広宣部」がいつできたのか、私は寡聞にして定かでありません。
「広宣部」の勉強会は私の地域では毎週土曜日の遅くに始まりました。深夜12時過ぎてからです。
勉強会の内容は顕正会の主張とその破折方法、対論の実際などです。
部員さんがきちんと顕正会側と創価学会側とに分かれて、"模擬対論"も行いました。きちんと現場に即したことをやらないと、実際に顕正会が学会員宅に来た時に出動できないからです。



私は創価班ではなく牙城会でした。だから当初の私には無縁な組織だと思ってました。

(注:牙城会とは、創価班と違い、会館の館内で警備をする人材グループです。最後まで会館にとどまり、セコムをかけて帰ります。昔は宿直もあったようです。今でも信濃町の本部担当牙城会は宿直をしています。)

御書は好きでよく読んでいました。部員さんからも御書の質問があがったり、私の自宅まで相談に来てくれたメンバーもありました。そういうメンバーと私は御書の話をしたり、日蓮の話をしたりするのが好きだったんですね。
そんな私を見て、創価班だった当時の圏男子部長が声をかけてきました。
「広宣部の会合に参加してみないか」



私はこんな風に男子部が御書を勉強するのを見るのが初めてでしたし、とても良いことだと思えたんですね。
私は先輩から教わるままにいろんな資料を集め、昔の創価学会について顕正会の主張などさまざまなことを吸い取るように学んでいきました。
加えてこの広宣部は創価学会の中では非公認扱いの組織でした。ここで聞いたことを外部で語ることをしないようにと言われていました。そのことが自分を「選ばれた人間」のように錯覚させ、私は奇妙な使命感を抱きながら勉強していたものです。


私は牙城会でありながら、広宣部の重要な人物になりつつありました。圏男子部長も私を決して外すことのできないメンバーであると考えていたようです。すでに圏内、分県内の広宣部メンバーと模擬法論も多く行い、一目置かれるように評価されたこともあって、誇らしげに思って参加していたことも事実です。純粋に私は楽しくてやってたから、どんどん吸収したんでしょうね。



牙城会にも広宣部のような組織が必要ということで、言論企画部が生まれました。内実はこの広宣部の勉強会に牙城会の一部メンバーも合流するというものでした。
牙城会メンバーの中では私が当時は最も頻繁に勉強会に参加していたので、他の牙城会・言論企画部メンバーに私がいろいろアドバイスをするということもありました。



そのうち、顕正会だけではなく、妙観講との対論も学ぶようになりました。
日蓮正宗は信徒の組織でいくつもの「講」を持っていまして、その総称が「法華講」と呼ばれます。「妙観講」は総本山塔中理境坊に所属する講組織でして、阿部日顕氏に近い講組織とされています。

(余談ですが、創価学会ももともとはこの法華講連合会の一員で日蓮正宗講中組織だったわけです。現在の顕正会も本来は「妙心講」という講組織でしたが、大石寺66世細井日達管長により破門され、現在の顕正会となりました)

この妙観講が、宗門問題以降、創価学会員との対論に臨む事案が増え、その勉強会も並行して進められました。
顕正会との対論とは比較にならないほどの資料と学習量でした。参考しなければいけない文献も格段に増え、大変だったことをいまだに思い出します。
なにしろ創価学会はもともと日蓮正宗の一員だったわけです。ですから相手の文献をいちいちさらい、きちんと読まなければ法論で敵を論破できるはずもありません。



私はいくつもの"法論"の現場にも行きました。勉強会でもその話をし、自前で資料も作成、すぐに相手に示せるように資料をコンパクトに纏めたりすることもやっていました。



広宣部では勉強会とは別に任務もありました。
日蓮正宗寺院のお講の日や、新年勤行会等に参加する車の台数、および参加者の人数を把握するというものです。
二人一組になり、お寺の門が見渡せる場所に車を停め、そこから寺に入る車の台数と参加者数をメモしていくのです。
この数が上に報告され、次の戦いに繋がるということで、きちんと書いていました。今さらながら愚かなことをしていたものです。
時々、車のナンバーを控えるように指示されたこともあります。走り去っていく車の後ろ姿からナンバーを確認把握するのは結構難しく、二人で確認しながらナンバーを控えていました。



この車のナンバーを書いて記録してどうするのだろうとその時には思いました。後年、この理由がわかりました。
私が結構上の方の幹部になった頃、県の執行会議に出席していた時のことですが、極秘資料として「法華講員の名簿」が出てきたことがあります。そこに車のナンバーと住所、電話番号が記載されていました。
つまり広宣部たちが記録した車のナンバーを陸運局に持って行って照会をかけたわけです。するとそこに登録されている名前と住所、電話番号がわかります。それを統監と照らし合わせれば、創価学会員でありつつお講に参加している人もわかるし、そうでなければ純粋な法華講員さんだとわかるわけです。
そこから今度は学会員が家庭訪問をしたり、広宣部を送ったりすることもできるでしょう。実際に家庭訪問があったのかどうかは私にはわかりませんが、極秘資料として分県の一部幹部のみに配られていたことは厳然たる事実です。
私はその時に、自分のやってきたことが形になっていたことを知り、怖くなったことを覚えています。


私は実際に日蓮正宗のお寺の"お講"に潜入したこともあります。私を広宣部に引っ張った元圏男子部長は、もう何度も住職と面会し、法論をしたこともあるそうで、顔を知られてしまっていて潜入できないとのこと(笑)。それで何度か頼まれてお講に参加しました。
立派な仏壇があり、たくさんの参加者がいたことに少し驚いたことを思い出します。
この潜入の理由は何かというと、住職がお講で創価学会の批判をしていないか、どんな内容かを聞き取るものでした。私が潜入した際は特に学会批判は聞かれませんでした。



広宣部というと裏で暗躍する謀略組織と言われています。確かにここに書き出しただけでも、例えば車のナンバーから名簿を陸運局で引き出すというのは非常識なものだと思います。
ただ私が関わっていたのはここまでです。
つまり

顕正会妙観講との法論、勉強会の開催
日蓮正宗寺院のお講参加者の割り出し
・お講への潜入。住職講話の聞き取り。

それらが主に関わっていた広宣部の活動です。盗聴とか尾行とかはしていませんでした。お寺には潜入しましたが、録音もしてはいません。また盗聴や尾行をやっていたというのを少なくとも私の組織内では聞いたことがありません。なので、もし尾行や盗聴とかが広宣部の実態として仮にあったとすると、それは少なくとも私たちが活動していた地域や方面組織のことではないように思います。



実はこの広宣部の勉強会、次第に行われなくなっていきます。
この勉強会がとても好きだった私としては「どうして最近は勉強会が開催されないんだろう」と親しい幹部たちに質問したことがあります。
答えはこうでした。



その先輩の上にも、広宣部の力ある大幹部や実力者がたくさんいました。
ところが、そういった広宣部の勉強をたくさんしていった方々の多くが、創価学会を退会するという事態が起こっていたんですね。
つまり勉強すればするほど、創価学会の教義に対して不信感を抱き、次第に日蓮正宗に接近したり、創価学会を脱会する活動家たちが出てきてしまったわけです。
学会本部からの方針として、学会員に妙観講顕正会が法論を挑んできたら、今までは広宣部の出動があったりしたのですが、これ以降は基本的に相手にしない、話をしない、関わらないという方針に転換したわけです。



私としては「なんだかなぁ」という気持ちでした。相手が対論を迫ってきているのに、相手にしないというなら敵前逃亡みたいではないか、そんなことを思いました。



先日のブログにも書きましたが、創価学会の「敵を作って攻撃する」という思想を最も鮮明に示しているのが、ある意味ではこの広宣部とも言えるでしょう。



最近ではこの勉強会は行われません。
学ぶことで真実をいろいろ知ったのですが、知りすぎてしまったために退会する幹部が増えたわけです。学会本部中央はそこで「もう学ばせない」という方針に転換したように私には感じられます。
この頃から、青年部層の教学力の低下が如実に現れるようになってきます。私が勉強していたことなど知らなくても、今の創価学会員は気にも留めないし、平気なのです。



広宣部の勉強会が再開すればよいなどと私は考えていません。
ただ学ぶ機会がなければ、会員は教義の改正にも不感症になり、考える機会も能力もうばわれていきます。
考えないことが信仰であるかのように語られるのはおかしなことです。
私は「御書が根本である」とここで学びました。このことが私の原点になっているように感じます。
私の根本はあくまで日蓮なんですね。



創価学会という組織には別に未練もありません。どう滅んでいっても構いませんし、活動家の高齢化を考えれば時間の問題です。
ですから、私の中では根本が御書であり、日蓮だったわけです。
それでそういうスタンスでこのブログも書かれていると言えます。
多くの創価学会員は「根本が御書」なのではなく「根本が池田先生」であるようです。そこが私と多くの創価学会員との齟齬の一因になっているような気がしています。