気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

元広宣部としての思い。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さてこんなブログを書いていると、いろんな方から「お会いしたい」旨の連絡がよく届きます。
先日、お会いした方から言われたのは「貴方は広宣部の『良心』だ」とのことです。
彼曰く広宣部の幹部には酷い人が多かったけれど、気楽非活さんは違うと言って頂いたのです。
 
 
とは言え、私が広宣部時代に他宗派、とりわけ顕正会妙観講に対して対論を繰り広げ、相手を回答不能に沈黙するまで追いやったのは私です。そんなことばかりやっていた過去を私は正直に認めたいと思います。すみませんでした。
 
 
ただ彼が述べたように広宣部には、ゴリ押しで相手を威圧するだけ、教学も何もない、パワハラまがいの広宣部幹部が当時いたことも事実です。私はそれを間近で見てきました。
だいたい創価班や牙城会というところがかつてはそういうところでした。指導会に遅れてきた部員がいれば参加者の面前で叱責罵倒は当たり前。そうやって創価班や牙城会に居られなくなった部員など一人や二人ではありません。少なくとも1990〜2000年代くらいまでの創価学会男子部はそのような荒療治で青年層の人材を減らし続けてきたのです。当時の青年部幹部だった太田昭宏氏、谷川佳樹氏、正木正明氏、佐藤浩氏、杉山保氏、竹内一彦氏等が、そのことを知らなかったなどあり得ないはずです。
 
 
 
読書好きな私がなぜ広宣部・言論企画部に納得して入ったのか、その理由はたった一つで、御書を読めるという点だけでした。
創価学会信徒は本当に御書を読みません。とりわけ2010年代以降の創価学会信徒は御書全集を持ち歩くことさえほとんどなくなりました。座談会で持ち寄るのは薄っぺらい『大白蓮華』だけで、しかも御書全集のわずか数行の文章を1ページ大に拡大したページを皆で読み、講義するだけ。御書の内容も背景も知らない。基本的な古文の読解さえできない。そんな人たちの集まりになり果てました。まあ、日蓮正宗の現在の信者も似たようなものです。
 
 
 
私は広宣部に入って、初めて多くの御書の偽書説を知りました。また相伝書とされる『百六箇抄』等に後世の加筆があることも知りました。顕正会対策のために改めて『立正安国論』『三大秘法抄』『二箇相承』等もきちんと読みました。
ただ当時の顕正会対策、妙観講対策に作られた広宣部の資料(多くは波田地克利氏らによって作成されたものと考えられます)は「相手がこう言ってきたら、こう切り返せ」という対論の技術的な内容に偏重していまして、広宣部メンバーでも対論では大声でわめき散らして相手を威圧するだけの品がない人たちも少なからず散見されたものです。
 
 
私は理詰めで顕正会対策をするために『三大秘法抄』等のページに大量のメモ書きをしました。多くの広宣部メンバーが付箋を貼ったりしてすぐに反論できるように準備をしていました。どこに書いてあるのか、即座にページを示せなければ戦いにならないからです。以下は私が使っていた御書の『三大秘法抄』のページです。

 
広宣部がいつかなくなったのはさまざまな理由があります。多くの先輩たちが創価学会から離れて退会したからです。また聞くところによれば、一部メンバーは分派活動に執心することになります。確かに波田地克利氏も創価学会を除名になります。またかつての広宣部の一部メンバーが自活グループに近づいていたことも最近では知られるようになりました。
 
 
私はこんなブログを書いていますが、分派を作るために書いているのではありません。創価学会の改革を目指してもいません。創価学会は既に歴史的役割を終えた昭和の一つのムーヴメントに過ぎませんでした。いずれ会員の高齢化によって緩やかに衰退します。日蓮正宗も同じです。既に衰退は始まっています。
私がブログを書いているのは、今は亡き母に真実の思いを伝えられなかった、全てを伝えることができなかった、その罪滅ぼしの思いが強いのです。それ以上もそれ以下もありません。
だからこそ、私のように原理主義的に狂ったように活動してきた自分の過去は、良い反面教師として伝えていきたい。自身の恥は晒して、後に続く人たちにはどうか間違いのない人生の選択をしてほしい、それだけの願いからブログを書き続けています。
 
 
そんな風に書くと悲壮な決意で書いているように見えますが、当の本人は至って毎日楽しんで生活しています。楽しむことが大切なことです。毎日の時間を教団に費やすのではなく、自分たちの時間に使えるというのは何と幸せなことかと思います。
 
 
私はどんな分派も作りません。会内組織も作りませんし、宗派も講も結成しません。リーダーにもなりません。そんな素養もないです。退会者や離檀者を集めて独自宗派を結成しようとも思いません。
ただ私は苦しんで亡くなった母のことを思い、そして同じように苦しんで生きてきた創価学会日蓮正宗顕正会の信者たちが目を覚まして、新しい人生を生き直すことを素直に願っているだけなのです。