いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は若き日の池田大作氏がタバコを吸っていたことについて、少し書こうと思います。
本来、このことは別に日記に書くまでもないと思っていましたし、有名な話なので、古参の創価学会信者さんなら誰でも知っています。池田大作会長時代の『聖教グラフ』や『聖教新聞』などを丹念に探せば一つや二つ、当時のタバコを指に挟んでいた姿など容易に見つけられるように思います。
しかも私が活動家時代、会長時代の池田大作氏がタバコを吸っていたことはさほど否定的に見られていませんでした。というのも池田氏は幼少時から身体が弱く、結核を患い、その中で病身を押して創価学会の活動に奮闘していた姿がイメージとして多くの信徒の心の中に描かれていたのです。ですからタバコをやめたのは、池田大作氏が健康面に気を使うようになり、長く続く広宣流布の戦いのために「タバコをやめた」と多くの信徒が認識していました(事実、対談集等でそのような発言をしていたように記憶しています)。事実、会長辞任の昭和54年以降、名誉会長になってから池田大作氏がタバコを吸う姿など全く見なくなってしまいました。
ところが近年に至り、創価学会が外資系の経営コンサルティング会社「アクセンチュア」と契約し、アーカイブ事業を確立するための規範となるべき資料については「正統性を担保する仕組み」として認定委員会の承認を経なければならないとし、認定委員会の承認を得られないもの、つまり都合の悪いものは表に出さないようにしました。
彼ら原理主義的な信徒たちは、理想化された虚構の池田大作を「史実」であるように祭り上げ、それ以外の事実を頑なまでに受け止められない「カルト的」信徒に成り果ててしまったようです。例えば池田大作が大蔵商事で金融業をやっていたことも彼らは認めません。タバコを吸っていたことも認めません。青年部時代に池田大作が龍年光の第4部隊の所属だったことも認めません。挙げ句の果ては総務就任前の役職名「参謀室長」さえ信じようとせず、当時は池田「青年室長」だと主張して憚らないような、歴史的事実を否定して、事実を認められないカルト的信者が続出しているのです。
「私も一生懸命タバコを吸います。そんなちっぽけなことに、こだわる必要はありません。なにも、そういう戒律などは守る必要はないのですから。だからといって、べつに、うんとのんで胃をこわしなさいという意味ではありませんよ。ぜんぶそういうことは、自由です! いっさい学会は自由です。ただ『御本尊様だけは、絶対に、死ぬまで放さない』これが学会精神でありますから。」


これを読めばわかるように、池田大作氏が当時普通にタバコを吸っていたことは当たり前のことでした。池田大作氏は自分がタバコを吸っているのが当たり前の前提で当時会員信徒の前で話をされています。誰も彼も当時の信徒は池田大作氏がタバコを吸っていたことを知っていましたし、その吸う仕草に憧れて吸う真似をした会員がいたほどなのです。それほどまでに池田大作会長の人気は当時絶大でした。
ここで池田大作氏は日蓮宗系の末法無戒の考え方から、会長本人がタバコを吸うことも自由であり、「創価学会信徒は御本尊を放さない」という「受持即持戒」の姿勢を堅持することだけが唯一の末法における戒なのだということを指導しているように推察されます。
池田大作氏が健康上の理由から禁煙をするようになり、1980年代から全くタバコを吸わなくなった、その意志の強さは相応に肯定的に評価されても良さそうです。しかしながら、なぜか過去にタバコを吸っていたという事実までも隠して誤魔化そうとしたり、タバコを吸っていた事実まで認めようとしなかったり、そんな一部信徒の歴史修正主義的な態度には辟易しますし、そのような池田大作無謬主義の態度こそが返って創価学会という教団の価値を相対的に貶めているのだということをもう少し認識されるべきなのではないかと思います。