気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

「自受用身」は『大乗起信論』から真言密教を経由して伝わった思想である。

 
 
いつも皆さん、ありがとうございます。
 
 
 
さて「X」(旧Twitter)でも少し呟いたことなのですが、よく日蓮正宗で言われる「自受用身」という仏の三身の概念が、空海の『弁顕密二教論』冒頭に普通に出てくるのです。
ここから考えて、大石寺教学の「自受用身」の考えは、真言由来のものなのかと考えていたところ、「X」でそのことを詳しく教えてくださる方がいました。どうも「自受用身」の概念は『大乗起信論』由来で、それが真言密教に取り入れられたのが実際のようです。
 
 
そこでそのことを教えてくださったアカウントの紹介した論文をpdf.で落としてプリントアウトし、全文を読んでみることにしました。便利な時代になったものです。論文は小瀬修達『本覚法門と現代仏教』(日蓮宗現代宗教研究所編『現代宗教研究』第40号所収、2006年3月)になります。
 
真言宗大日如来は、「起信論」の理智不二法身を基に理論化された仏である。「起信論」の仏身論である「三大」(体大…理・相大…智・用大…利他)の内、法身仏は、体大(理)・相大(智)を具えた理智不二・無始無終の存在として本質界に在り、これを本体として現象界に報身・化身(応身)を方便身として顕現させる(用熏習)が、真言では全てを法身とみなして、自性法身(理智不二法身)を本体として受用法身法身)…自受用・他受用、変化法身(化身)…変化・等流として出現する。」(同175ページ)

 
同ページの画像にある図を見ればおわかりかと思いますが、そもそも「自受用身」の概念は『大乗起信論』の仏身論である「理智不二法身」「三大」は真言において受用法身、変化法身として現れます。そしてこの受用法身(報身)を真言で「自受用」「他受用」とするのです。
従いまして「自受用身」という概念は『大乗起信論』から真言を通じて入ってきた中古天台の思想なのであって、本来日蓮の思想ではないのです。そもそも「中古天台」とは円仁や円珍以降に発展した天台教学です。円仁や円珍を批判して上古天台に帰ることを主張した日蓮が、どうして円仁らの思想に依拠していることになるのでしょうか。
 
「無作三身」もそうです。同書から続けて引用してみましょう。
 
「智証大師円珍は、「顕密一如本仏義」において、法華経本門の無作三身釈迦牟尼仏、当時の無作は円教の意)と大日如来を同一視し、本門三仏(身)を金剛界の事仏、迹門三仏を胎蔵界の理仏に配した。これにより、無作三身大日如来は二仏同体となった。以後、中古天台では法華中心となったが、密教の理を持つ法身為正の無作三身法華経本地仏となった。理顕本において文上久遠実成の仏を迹仏として文底無作三身を本仏としたことは、実質的には天台の三身説を仮説として、密教の理智不二法身を本仏としたことになる。」(同176ページ)

 
如何でしょうか。「無作三身」とは本来、中古天台の円珍において法華本門の無作三身大日如来と同一視するところから始まっているのです。そして日蓮円珍を批判し、上古天台に帰ることを主張していますから、本来「無作三身」も「自受用身」も日蓮の思想でも何でもないことになります。そもそも日蓮真蹟遺文に「無作三身」も「自受用身」も、その用例は一つも存在しないのです。
 
同論文では、このような本覚法門思想から、後世に生まれた日蓮宗、九識霊断、日蓮正宗についても語られています。このことについてはまた別稿を考えて紹介していきたいと思います。