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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

シアトル裁判の和解とは何だったのか。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて今回は日蓮正宗創価学会との間で争われた「シアトル裁判」の和解が平成14年(2002年)に成立したのですが、この和解とは何だったのかを簡単に説明してみます。
シアトル裁判とは何が争われた裁判であったのかというと、昭和38年(1963年)3月19日深夜から翌20日未明にかけ、アメリカ・シアトル市で日蓮正宗の阿部日顕氏が複数の売春婦とトラブルを起こしたという当時の創価学会の主張が「事実なのか、事実でないのか」が争われた裁判です。


原告は日蓮正宗側なのですが、平成12年(2000年)3月21日、東京地裁の判決を不服とした日蓮正宗側が控訴します。その後、平成14年1月31日、東京高等裁判所は原告と被告に和解を勧告し、和解が成立したというものです。


この和解条項は当時の日蓮正宗の機関誌『大日蓮』にも掲載され、また平成14年2月1日の聖教新聞にも4面に掲載されました。ここでは『大日蓮』に載った和解条項を見てみましょう。



今回の記事では、以下のポイント2点に絞って見ていきます

1、本件訴訟の係属が宗教法人における教義を広める等の目的に相応しくないことを裁判所が認め、和解を強く勧告したこと。

2、和解条項における追記は日蓮正宗側に有利な内容となること。



それでは見ていきましょう。



1、本件訴訟の係属が宗教法人における教義を広める等の目的に相応しくないことを裁判所が認め、和解を強く勧告したこと。


東京高等裁判所が示した和解条項には次のように書かれています。

「第1     当裁判所は、次の理由により控訴人らが本件各訴えを取り下げ、被控訴人らがいずれもこれに同意して、本件訴訟を終了させることを強く勧告する。
1    本件訴訟の係属そのものが、控訴人ら及び被控訴人らにおいて、それぞれの教義をひろめ、儀式行事を行い、信者を教化育成して、その維持、発展を図っていく上で、相応しくなく、むしろその妨げとなるおそれがあること。」


これは非常に重い裁判所判断です。このために創価学会はこれ以上、この問題に事実上論及できなくなるのです。
どういうことかを詳しく説明します。


まず「本件訴訟の係属」(「係属」とは裁判用語で訴訟が裁判所で取り扱い中にあることを意味します)が、創価学会日蓮正宗において宗教法人法第2条における主たる目的を果たす筈の宗教法人として「相応しくなく」「その妨げ」となることを裁判所が認めてしまったということです。
宗教法人法第2条では「「宗教団体」とは、宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする」と明確に書かれています。
その宗教法人法第2条の文言を和解条項の中で引き、これ以上の裁判の係属をするなら、日蓮正宗創価学会もそれらの目的を果たす宗教団体として両者が「相応しくない」と言うことを裁判所が認めているのです。

なぜこの和解条項が重い意義を持つのか?
その疑問は宗教法人法第81条を読むと氷解するでしょう。


「第八十一条 裁判所は宗教法人について左の各号の一に該当する事由があると認めたときは、所轄庁、利害関係人、若しくは警察官の請求により又は職権でその解散を命ずることができる。
一 法令に違反して、著しく公共の福祉に反する明らかに認められる行為をしたこと。
二 第二条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと又は一年以上にわたつてその目的のための行為をしないこと。」


宗教法人法第81条はまだ続きますが、煩瑣になるのでこの辺で引用を止めます。
ポイントはある宗教団体にその「目的を著しく逸脱した行為をしたこと」が認められるなら、裁判所はその「職権でその解散を命ずることができる」と法律が定めていると言う点です。


ではこの第81条の適用により、裁判所が宗教団体に解散命令を下したことがあるのでしょうか?
あります。
それは「オウム真理教解散命令事件」です。 


平成8年(1996年)1月30日、最高裁判所は抗告を棄却し、宗教法人法第81条1号1項に定める解散命令が「信教の自由」を定めた日本国憲法第20条に抵触しないことを認め、オウム真理教は解散命令を受けることになりました。
つまり宗教法人法第81条における裁判所における職権による宗教団体への解散命令は、この場合、有効であり可能だと言う判断を最高裁判所がしたということです。


この最高裁の決定は平成8年です。つまりシアトル裁判の和解の6年前になります。
「解散命令」は裁判所が宗教団体に下す最後の「伝家の宝刀」に近いものです。
シアトル裁判に関して、東京高等裁判所日蓮正宗創価学会双方に対して本件訴訟の係属が、宗教法人として「相応しくない」ことを認めているのです。そして和解を「強く勧告する」としています。
つまりこれ以上、裁判をやるなら創価学会日蓮正宗も宗教法人法に定める条件に適さない団体になり、場合によっては解散命令も出すという最後通牒を両者に突きつけたことになるのです。
これは創価学会日蓮正宗も和解を受け入れざるを得なかったということです。



2、和解条項における追記は日蓮正宗側に有利な内容となること。


ところで、和解条項における追記には以下のように書かれています。


「和解条項2、2は、相互に名誉毀損にあたる行為をしないことを確約する趣旨のものであり、同第1、2記載の争点にかかる事実の存在を単純に否認することはこれに抵触しない。」


これはどういう意味でしょうか?
詳しく説明してみます。


この和解条項を受け入れることに同意して、創価学会日蓮正宗が和解することを裁判所が「強く勧告」しているのですが、この際に本件訴訟の争点に対して「事実の摘事」「意見の表明」「論評の表明」を「しない」と明記されています。
しかしながら、本事案に対して「単純に否認することは抵触しない」としているのです。


簡単にいうと創価学会はこれにより、シアトル事件が「あった」とか「事実だ」と述べることが不可能になりました。
ところが日蓮正宗側はこの追記により、シアトル事件が「事実として存在しない」「そんなことはなかった」と述べることは可能になりました。
なので、この和解条項は原告の日蓮正宗側に有利な内容なのです。


というわけで、日蓮正宗側は「シアトル事件がなかったこと」を認めることができるようになった。またこれに対して創価学会は何も論評できないという事態を大いに信徒に述べて「大勝利だ」としました。
創価学会は、原告である日蓮正宗が訴えを取り下げたことを大々的に聖教新聞で取り上げて「大勝利だ」としたわけです。


最後に。
本件訴訟の係属は、宗教法人法第2条における主たる目的を果たす宗教団体として創価学会日蓮正宗も相応しくないと裁判所が認めたことを、両教団は重いこととして受け止めるべきであると私は思います。
宗教団体への解散命令は、宗教団体の「死」を意味します。税制上の優遇措置も消滅します。そこまで踏み込んだ発言をして、やっと両者が和解を受け入れたというのは、宗教者として恥ずべきことです。
大変に申し訳ないのですが、個人の感想として両者が裁判所の勧告から大いに反省したとは私はあまり思えません。
宗教団体の本来の目的は何なのか、その公益性とは誰のためなのか、なぜ税制上の優遇措置を受けられるのか、そういうことを深く考え、反省して行動するのが本来の宗教的使命だと思います。創価学会日蓮正宗はその使命を果たしてきちんと自覚しているのでしょうか。