気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

唱えた題目の数。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて昔々、創価学会では題目を唱える数によって「境涯が変わる」という、出所不明の謎の指導が普通にされていました。
「題目を1時間あげると自分が変わる」とか「100万遍あげると福運を感じる」とかです。
この指導の最後に「7000万遍あげると信心の王者になれる」というのがありました。
で、この間、ふと今までの自分があげてきた題目の合計数を計算してみました。



私は3歳の頃から勤行をしていました。当時は大石寺66世の細井日達書写本尊で、立派な仏壇でした。だいたい子どもでも一日10〜20分はあげていました。
小さい頃、大病をしまして、病院の病室で題目を唱えて顰蹙を買ったこともありました。母親から「心の中で唱えなさい」と言われ、病院の壁に鉛筆で「なんみょうほうれんげきょう」と書いて3時間くらい、下手をしたら日中はずっと唱えていました。
3歳〜13歳くらいの10年間で一日10分平均とすると、1分を50遍で換算して1年で182,500遍、10年間で182万遍くらいの題目を唱えたことになります。



中学生から高校生の頃、私の家は生活が困窮し、題目を1時間〜3時間くらい唱えていました。未来部の担当者に「よく題目をあげる子だ」と褒められたのを覚えています。貧しかった私の家に地区担さんが来た時、学校帰りに家で題目を唱える私の姿を見て、その方が感動して涙を流していたのを子ども心に覚えています。
おそらく13歳〜18歳は1日平均1時間以上といったところでしょうか。創価学会の一般的な計算では1時間の題目は3,000遍と言われています。これを6年間で換算すると657万遍になります。



大学時代、男子寮でよく題目を唱えていました。あまりあげるので、寮生の仲間が心配して「何かあったのか?」とドアを叩かれることもしばしばでした。
4年間は2〜3時間くらいは唱えていたと思います。仮に2時間平均で計算すると、4年間で私は876万遍の題目を唱えたことになります。



大学を卒業し、男子部になります。
40歳で壮年部移行になるまで、およそ18年間、題目を唱えてきました。
圏幹部になったこともあり、最低3時間の題目を欠かしたことはありませんでした。
圏幹部の時、自由唱題会を開催し、本部単位で題目表を会館の壁に貼って皆で競って題目を唱えるようにしました。私個人の題目表も各本部と別に貼ってあったのですが、私個人の題目数が桁違いに増えていて驚かれることもしばしばでした。
布教の現場があればその前日には10時間唱題をしました。家族や仲間が病で倒れれば5時間も6時間も題目を平気で唱えていました。今考えれば愚かしい青年時代を送ったものです。
寝る間も惜しんで題目を唱えました。胸に携帯御本尊を入れ、ポケットに数珠を入れて歩きながら心の中で題目を唱えました。足が痺れて怪我をしたことさえあります。
22歳〜40歳の間、18年間は3時間〜5時間の題目をあげていました。創価学会では3時間の唱題を「1万篇」とカウントしますので、それに倣うと1年間で365万遍になります。それを18年間で計算するとだいたい6570万遍の題目になります。



私の生涯の題目を唱えた数は、

182万+657万+876万+6570万=8285万

となり、だいたい私は少なく見積もって8000万遍以上の題目を唱えてきたことになります。
私は果たして「信心の王者」を越える人間になれたでしょうか(笑)。
結局、私はこんなブログを書く、愚かしい退会者になりました。
今は題目をあげない生活になりました。
時間とお金ができて自由になりました。
心に余裕ができました。
私が生涯をかけ題目を唱えてきてわかったことは「私にとっては題目を唱えるのは時間の無駄だ」ということです。